第2話 囚われの悪役令嬢
「答えて。あなたは誰?」
リリアナは警戒心を露わにしながら、アシュテルに問いかける。
その瞳は、まるで獲物を狙う獣のように鋭く、アシュテルに向けられていた。
「え、えっと……私は、アシュテル、です」
「名前を聞いてるんじゃないことくらい、わかるでしょ?」
「……」
アシュテルは、何と答えていいのかわからず、言葉に詰まってしまった。
自分が“ざまぁ概念”であることを説明すべきだろうか。
しかし、そんなことをしたら、きっとリリアナは怖がってしまうだろう。
それにそもそも、アシュテルは自分が“ざまぁ概念”になったこと自体、認めてなどいない。
(どうしよう……)
アシュテルが戸惑っていると、心の中でシステムの声が響いた。
『不用意な発言は推奨されません。現在、「ローズガーデン・ロマンス」の物語及び、当該システムに重大な不具合が発生している可能性があります。
不具合によって、認識阻害の一部機能が停止しており、リリアナ・ノースフォードに限り認識阻害の対象外となっています。不用意な発言は、更なる不具合を引き起こす可能性があります』
システムの言葉に、アシュテルはますます混乱する。
重大なエラー? 認識阻害の対象外?
一体、何が起こっているというのだろうか。
『原因が分かりません。原因を探るため、リリアナ・ノースフォードへの接触を継続してください』
(接触を継続……って、一体何をすればいいのよ)
『不明です。とにかく接触を継続してください。手段はお任せします』
(あんなにうるさかったくせに……肝心な時に役に立たないわね)
アシュテルは、システムの言葉に従いつつも、内心では不安と苛立ちが渦巻いていた。
「あ、あの……えっと、私は、あなたの敵じゃ、ないわ」
「……」
アシュテルは、精一杯の笑顔を作りながら、リリアナにそう告げた。
しかし、リリアナの表情は、依然として硬いままだった。
「敵じゃない? いきなり現れて、質問にも答えないで、それを信じろって……あはは、面白い冗談ね」
「それは……」
リリアナは、アシュテルの言葉を鼻で笑うと、窓の外に視線を向けた。
鉄格子で閉ざされた窓からは、夜の帳が下りた王宮の中庭が見渡せる。
美しく手入れされた庭園は、昼間ならさぞかし美しい光景が広がっているのだろう。
しかし、今のリリアナには、そんな美しい景色を楽しむ余裕などないようだった。
「ねえ……あなたは、一体どうしてここにいるの?」
しばらく沈黙した後、リリアナは、再びアシュテルに問いかける。
その声は、先程の威圧的なトーンから一変し、どこか寂しげな様子だ。
「私は……その……」
アシュテルは、再び言葉に詰まる。
一体、リリアナに何と伝えたらいいのか。
これ以上誤魔化し続けるのは、さすが気が引けてきた。
しかし、真実を話すわけにもいかない。
"ざまぁ概念"という肩書きと役割だけを見れば、アシュテルは明確にリリアナの敵だ。
それに、話した場合システムもどのような対応をとるか分かない。
(……どうすれば)
『不用意な発言は避け──」
(分かってるわよ! だから悩んでるの!)
『……』
システムは、アシュテルの心の叫びに、珍しく沈黙した。
システムとしてもこの状況はあまり余裕がないのだろう。
「……別に、どうしても話せないなら、いいわよ。実際、敵意は感じないから」
「え?」
意外な言葉に、アシュテルは思わずリリアナの方を見る。
リリアナは、窓の外を眺めたまま、静かに話し始めた。
「いろいろと秘密みたいだけど、あなたは、ここに来てから一度も私を責めたり、罵ったりしなかった。むしろ、私を哀れんでいるようみたいで……
そんな人、あの日からは、いなかったから。少しだけ、信じたい」
「リリアナ……」
リリアナの声は、僅かに震えていた。
アシュテルには、リリアナがどれほどの孤独と絶望の中にいるのか、痛いほど伝わってきた。
「私はね、ここに軟禁されているの」
リリアナは、重たい口を開く。
「婚約破棄が公になった日の夜、私は逆上して、侍女たちに手を上げてしまった……らしいわ。
それで、反省するようにと、この部屋に閉じ込められてしまったの」
「そう………ん? その、"らしい"ってどういう事?」
ゲームの通りだと納得しかかったところで、アシュテルはリリアナの言葉に引っかかった。
リリアナ自身も、その時のことを覚えていないのだろうか。
「私はそんなことをした記憶はないから……気が付いたら、それを告げられて、反省しろって。
けど、侍女たちは怪我をしているし、私が暴れた様子を見ている人もいたの………確実にやってしまったのに覚えていないだなんて。はは、私はどうかしてしまったのかしら」
リリアナは自嘲気味に笑いながら、説明する。
しかし、その瞳の奥には、深い悲しみが宿っていた。
「そんな……」
アシュテルは、返す言葉が見つからなかった。
確かに、ゲームではリリアナは婚約破棄を突き付けられて逆上し、半狂乱で暴れ、侍女を殴りつけていた。
そのため、ゲームでは何をしでかすか分からないリリアナを軟禁すること自体は正当なものだったし、軟禁された後も復讐の算段を立てていた。
しかし、いまアシュテルの前にいるリリアナは、その時の記憶がないというし、悪だくみをしている様子もない。
(ねえ、ちょっと、どういうこと? さっきからずっと黙ってるけど、なんかわからないの?)
『あ……ふ、不明です。引き続き、不用意な発言を避け、リリアナとの接触をお願いします』
(それしか言えないの? ほんと、肝心な時に役に立たないわね)
アシュテルは、心の中でシステムに助けを求めるように呼びかける。
しかし、システムは、アシュテルの問いかけから逃げるように、先ほどと同じような指示を繰り返す。
ただ、心なしかその声は上擦っており、どこか焦りを感じさせる。
アシュテルは、システムに呆れながらも、リリアナの言葉に耳を傾ける。
「婚約破棄のことだってそう。ぜーんぶ、私のせい。私が、数々の悪事を働いて殿下の顔に泥を塗ったからって……みんなそうやって言うのに、証拠だってあるのに…………全部、私だけ、なんにも知らないの。おかしいよね、こんなの。……なんで」
リリアナは涙を流しながら、事の顛末を話す。
最後のほうは涙に濡れて、聞き取れないほどになっていたが、アシュテルには、リリアナがどれほどの苦しみと絶望を味わってきたのかが痛いほど伝わってきた。
(やっぱり……私がゲームで知ってるリリアナとは全然違う。別人なんだ)
アシュテルはゲーム内に登場する悪役令嬢リリアナと、いま目の前にいるリリアナは別人だという確信を深める。
いま目の前にいるリリアナは、突如として降りかかってきた不幸に心を痛める一人の少女でしかない。
『! す、推奨されないこうど──』
そのことを自覚した瞬間、アシュテルは思わずリリアナに手を差し伸べていた。
リリアナは、驚いたように顔を上げると、アシュテルの手をじっと見つめた。
「……あなたは、本当に、私の敵じゃないの? 信じてもいいの?」
リリアナは、アシュテルの目をじっと見つめながら、もう一度だけ尋ねた。
その瞳は、先程までの鋭さを失い、まるで助けを求める子鹿のように、潤んでいた。
「ええ。絶対に。……私はあなたの味方」
「──!!」
アシュテルは、リリアナの瞳を見つめ返しながら、静かに、しかし、力強く答えた。
その瞬間、リリアナの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「う……うう……うああああああっ!!」
リリアナは、アシュテルの腕の中に飛び込むと、声を上げて泣きじゃくり始めた。
アシュテルは、そんなリリアナを優しく抱きしめながら、何も言わずに、ただ彼女の心の痛みを分かち合った。
◇
どれほどの時間が経っただろうか。
リリアナの嗚咽が、少しだけ収まってきた頃、アシュテルは、意を決して口を開いた。
「ねえ、リリアナ。本当のことを教えて。一体、何が起こっているの?」
アシュテルの言葉に、リリアナは、ゆっくりと顔を上げた。
涙で濡れた瞳は、まだ少し赤く腫れている。
「……わからないの。何もかも。婚約破棄を言い渡される数日前から、記憶が曖昧なの。気が付いたら、とんでもないことをしていたことになっていたり、誰かを傷つけていたり……」
リリアナの言葉に、アシュテルは、システムの言葉を思い出した。
システムは、この世界で“重大な不具合”が発生していると告げていた。
(ねえ、システム。リリアナは、一体どうなっているの?)
『……申し訳ありません。原因は、まだ特定できていません。しかし、リリアナ・ノースフォードの身に、何らかの異常が発生している可能性は高いと思われます』
システムは、今までにないほど弱々しい声で答えた。
アシュテルは、初めてシステムに、人間らしい感情のようなものを感じた。
(システム……?)
『とにかく、今はリリアナ・ノースフォードの動向を監視し、更なる情報収集に努めるしかありません。引き続き、接触を継続してください』
システムは、そう告げると、再び沈黙した。
アシュテルは、システムとの会話を打ち切ると、再びリリアナの方を見た。
「リリアナ。私は、あなたを信じてる。だから、頑張ろう」
アシュテルは、リリアナの瞳に映る自分の姿を、しっかりと見つめながら、そう言った。
それは、“ざまぁ概念”としてではなく、一人の人間として、心からの言葉だった。
「……ありがとう」
リリアナは、アシュテルの言葉に、小さく頷いた。
その瞳には、先程までの絶望の色はなく、微かな希望の光が灯っていた。
──その時だった。
「おやおや、これはこれは。誰と話している? 孤独に耐えかねて、空想に友でも見出したか?」
突然、部屋の扉が開き、二人の前に見覚えのある男が現れた。
それは、リリアナの元婚約者であり、「ローズガーデン・ロマンス」のもう一人の主人公である――
「アルバート殿下……!」
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