第1話 ざまぁ概念始動?

アシュテルの意識は、再びあの漆黒の空間に引き戻されていた。

 見渡す限り闇が広がる、虚無の世界。

 しかし、彼女の心は、先程の決意に燃えていた。


「私は絶対に、あんな残酷な結末を"ざまぁ"なんてくだらない言葉で片付けるような仕事をする気はないから」


 アシュテルは、システムに向かって宣言する。


「誰も不幸にならない世界を作りたい。そのために、あなたが寄越した力を使うから……分かった?」


 すると、どこからともなく、あの無機質な声が響いてきた。


『承知いたしました。では、あなたはこれから、数多の物語を巡り、悪役令嬢たちに“ざまぁ”という結末を与えるのです。それが、あなたに与えられた使命であり、存在意義です』


 その声は、まるでアシュテルの決意を嘲笑うかのように、冷たく響いた。


「ふざけないで。はぁ……ほんと、話通じない」


 アシュテルは、怒りに震える声を押し殺すように、深く息を吸った。

 今はまだ、この声、この存在と対立するべき時ではない。

 アシュテルは、自らの意志を貫き通すために、今は力を蓄えなければならないのだ。


「まあいいわ……じゃあついでに、一つ聞きたいことがあるのだけど」


 アシュテルは、少しだけ落ち着きを取り戻した声でシステムに聞き返す。


「私は、これからどんな風に、その任務とやらをこなせばいいの? 悪役令嬢の前に現れて、呪いをかける? それとも──」

『幽霊のようなものだとお考え下さい。あなたの姿は、あなたのような特別な力を持つ存在、つまり他の概念以外には見えませんし、声も聞こえません。難しいことはなく、ただ力を振るえばいいのです』


 システムの言葉に、アシュテルは、なるほどと小さく頷いた。

 確かに、その世界の誰からも認識されないのであれば、物語に直接的に干渉することなく、陰ながら悪役令嬢に“ざまぁ”を与えられる。


(……本当に、そんなことがあるのかしら)


 アシュテルは、まだどこか半信半疑だった。

 しかし、今はシステムの言葉に従うしかない。


「わかった。じゃあ早く、その任務の舞台に送って」

『了解しました』


 システムは、アシュテルの言葉に淡々と反応すると、次の瞬間、彼女の目の前にまばゆい光が渦を巻くように現れた。

 光は次第に大きくなり、アシュテルの視界を埋め尽くしていく。


「……ほんと、嫌になる」


 アシュテルがそう呟いた瞬間、光は爆発するように拡散し、彼女の意識は別の場所に飛ばされた。



 眩いばかりのシャンデリアの光、華やかなドレスを身にまとった貴族たち、優雅に奏でられる音楽。

 そこは、夢のように美しい舞踏会の会場だった。


「ここは……」


 アシュテルは、周囲の様子を恐る恐る見渡す。

 見覚えのある風景、前世でプレイした乙女ゲーム「ローズガーデン・ロマンス」の世界。

 アシュテルは、この世界が舞台であることを瞬時に理解した。


舞台は、王侯貴族が織りなす愛憎劇が渦巻く、華麗なる王宮。あなたは、没落貴族の娘として、ある日、王太子に見初められ、シンデレラストーリーを歩み始める。しかし、その行く手には、様々な困難や、あなたを陥れようとする難敵が現れ……


 脳裏に蘇る、ゲームのあらすじ。

 そして、アシュテルの耳元で、システムの無機質な声が響く。


『この物語のタイトルは「ローズガーデン・ロマンス」。 あなたの最初の任務は、この物語に登場する悪役令嬢、リリアナ・ノースフォードに“ざまぁ”という結末を与えることです』


「リリアナ……」


 アシュテルは、その名を聞いて、小さく息を呑んだ。

 リリアナ・ノースフォード。

 ゲームのヒロインを執拗深く苦しめる、金髪碧眼の美少女。

 アシュテルとて、ゲームをプレイしていた当時、リリアナの悪行の数々に、何度も怒り心頭に発したことを覚えている。


『リリアナは、公爵令嬢という高い身分と美貌を武器に、数々の悪事を働いてきました。婚約者の王子をヒロインから奪おうとしたり、ヒロインを陥れようとしたり……。彼女の行いは、まさに悪役令嬢の鑑と言えるでしょう』


 システムの言葉に、アシュテルは小さく眉をひそめる。

 確かに、リリアナの行いは許されるものではない。

 しかし、アシュテルは、ゲームをプレイしていた時、どこかでリリアナに同情する気持ちもあった。

 そもそも、奪ったのは主人公側ではないのか、陥れたのは主人公の側ではないのか。

 彼女は、ただ、愛する人を求めていただけで、その方法が間違っていただけではないのだろうか、と。

 

「……で、リリアナは今、どこにいるの?」


 アシュテルは、自らの役割を果たすため、まずはリリアナを探す。


『あちらです』


 システムに促されるまま、アシュテルは視線を向けた。

 そこには、華やかな舞踏会とは対照的に、バルコニーで一人佇む、寂しげな後ろ姿があった。

 月の光に照らされた金色の髪、華奢な肩。

 その姿は、まさにアシュテルがゲームの中で幾度となく見てきた、リリアナ・ノースフォードその人だった。


「彼女が……」


 アシュテルは、思わず息を呑んだ。

 ゲームのグラフィックでしか見たことがなかったリリアナが、今、まさに自分の目の前にいる。

 前の世界以来の感動に、アシュテルは軽いめまいを覚えた。


『リリアナは、つい先ほど婚約者の王子から公然と婚約破棄を宣言され、周囲の人々から嘲笑の的となっています。今が、彼女に“ざまぁ”を与える絶好の機会と言えるでしょう』


 システムの言葉に、アシュテルは顔をしかめた。

 確かに、今のリリアナは、精神的に追い詰められているだろう。というか、すでに"ざまぁ"は完了しているのではないのか。

 ここから、更に追い詰めることはアシュテルにはできない。


「……そんなこと、できるわけないでしょう」


 アシュテルは、小さく呟いた。

 しかし、その声は、システムには届いていた。


『可能です。早速ですが、“ざまぁ”を実行してください』

「嫌よ、そんなこと」


 アシュテルは、はっきりと拒否の意思を示した。しかし、彼女の意思とは裏腹に、体が勝手にリリアナの方へと動き出す。


「な、何よこれ……!」


 アシュテルは、まるで操り人形になったかのように、自分の意思とは無関係に体が動いていくことに恐怖を覚える。

 

『あなたは“ざまぁ概念”です。悪役令嬢に“ざまぁ”を与えることこそが、あなたの役割であり、義務です。従わないのであれば──』

「うるさいわね!」

『……強制執行に切り替えます』


システムの声が、アシュテルの鼓膜に突き刺さる。

 それと同時に、アシュテルの体から、得体の知れない力が溢れ出すのを感じた。

 それは、まるで彼女の意思とは無関係に、周囲の空間を歪ませるほどの、強大な力だった。


『強制執行に切り替えました。"ざまぁ"概念の役割に従い、速やかに"ざまぁ"の実行を開始します』

「な、なによこれ……! 体が……熱い……!」


 アシュテルは、自らの身に起こっている異変に恐怖する。

 彼女の視界はぼやけ、耳鳴りがする。

 このままでは、本当に自分が“ざまぁ”という名の呪いをリリアナに与えてしまうかもしれない。


(嫌よ……! 絶対に! 私は、誰も不幸にしたくない……! こんなもの、に……支配される、もんですか!!)


 アシュテルは、必死に抵抗しようと試みる。

 しかし、彼女の抵抗も虚しく、力はさらに増していく。

 舞踏会会場の華やかな装飾が、まるで生きているかのように歪み始め、人々の楽しげな話し声は、不気味な雑音へと変わっていく。

 会場全体が、異様な雰囲気に包まれていく。


「く……っ……!」

『……! 重大な障害が発生』


 アシュテルは、歯を食いしばり、意識を保とうとする。

 そんな彼女の視線の先で、リリアナがよろめいた。

 リリアナは、異変を感じ取ったのか、不安げな表情で周囲を見渡している。


(まずい……!)


 アシュテルは、リリアナに危害が及ぶことを恐れた。

 このままでは、リリアナが“ざまぁ”の力の巻き添えになってしまう。いや、リリアナだけではない、この場にいるすべての人間に危害が及ぶ。

 それだけは看過できない。


 激しい吐き気と目眩に襲われながらも、アシュテルは必死に意識を保とうとした。

 視界がぼやけて、何が起こっているのか、全く理解できない。

 ただ、一つだけ確かなことは、自分が“ざまぁ概念”の力に飲み込まれそうになっているということ。

 そして、もう一つ。

 

(諦め、て……たまるか!)

『障害が深刻化。改善は極めて困難』


 アシュテルは、心の底から湧き上がる熱い決意を胸に、意識を手繰り寄せた。


「この! この……! こんなこと……こ、んな、ものーー!!!!」


 アシュテルは、全身全霊を込めて叫んだ。

 その声は、しかし、システムには届かない。

 届かないはずだった──。


『強制執行が解除されました。任務失敗、通常執行に切り替えます。任務失敗にあたり、物語絶対保護の原則のため、場面を転換。第四章から第六章に切り替え──エラー。認識阻害に不具合が発生』


 次の瞬間、アシュテルの視界は、真っ白な光に包まれた。

 



 アシュテルが目を覚ますと、薄暗く静かな部屋にいた。

 先ほどの華やかで、騒がしい舞踏会とはまるで違う場所。

 アシュテルは、ゆっくりと起き上がり、周囲を見回した。


 部屋は、豪華な調度品で飾られていたが、窓には鉄格子がはめられ、扉は分厚く、まるで牢獄のようだった。

 部屋の隅には、暖炉の火が静かに燃え、暖かさを提供しているが、どこか冷たい印象を受けるのは、この部屋が持つ、閉鎖的な雰囲気のせいだろうか。


(ここは……どこ?)


 再び目を開けると、アシュテルは先ほどまでとは違う場所にいた。

 そこは、静かで薄暗い部屋だった。


「……あなたは、誰?」


 背後から聞こえてきた声に、アシュテルは慌てて振り返った。

 その瞬間、彼女の視界に飛び込んできたのは、金髪碧眼の美少女──紛れもなく、リリアナ・ノースフォードの姿だった。

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