元悪役令嬢、ざまぁ概念に転生する〜ざまぁ概念をぶっ壊して誰も不幸にならない世界を作ります〜

傘重革

プロローグ

 首筋にひやりと感じる冷たさ。アシュテルは、反射的に瞼を上げた。

 視界いっぱいに広がるステンドグラスは、まるでこの世のものとは思えないほど美しく、残酷なほどに輝いていた。


ざわざわ……ざわざわ……


 耳をつんざくような群衆のざわめき。その中に混じる、「ざまぁみろ!」という罵声。

 アシュテルは数々の悪行をはたらき、王国を脅かした悪役令嬢として断罪されている最中だった。


 アシュテルの体は、冷たい石畳の上に跪かされていた。豪華なドレスは泥にまみれ、かつての輝きは見る影もない。

 首筋に突きつけられた剣の重みが、この世の終わりが近いことを告げていた。


 群衆の先、一段高い場所に立つ金髪の麗人――

 女王フェリエスは、今にも泣き出しそうな顔でアシュテルを睨みつけていた。

 フェリエス自身もこの結末は本意ではないのかもしれない。


「アシュテル・アルフォード! 汝は数々の悪行により、王国の平和を脅かした罪を認めよ!」


 フェリエスの銀鈴のような声が、アシュテルの鼓膜を打つ。その声は、悲痛に満ちていながらも、どこか演技めいているような、奇妙な違和感があった。


(そりゃそうだ。ここは私が転生した乙女ゲームの世界、私はヒロインの邪魔をする悪役令嬢。フェリエスだってテキストを読み上げているだけなんだから)


 アシュテルは、遠い目をして自分の置かれた状況を再確認する。

 婚約破棄をきっかけに、あれよあれよと破滅フラグを回収し、今、まさにバッドエンド一直線。

 アシュテルとて、この結末を回避するために奔走したが、何をどうやっても、多少の誤差はあれどゲームのシナリオ通りに進んでしまう。

 女王も群衆も、アシュテル自身もゲームのキャラクターの域を出ることができない。

 アシュテルには、悪役令嬢に転生してしまった自分を責めることしかできなかった。


ざまぁみろ、ざまぁみろ!


 群衆の声が、波のように押し寄せ、アシュテルの意識を遠ざける。


(ざまぁなんて、もうたくさん……)


 前世で数々の乙女ゲームをプレイし、悪役令嬢に感情移入しては、彼女たちの理不尽な末路に涙を流してきたアシュテルにとって、“ざまぁ”ほど虚しい言葉はなかった。


「……私は──」


 アシュテルはゆっくりと口を開く。言い訳はしないし、できない。

 だって、すべてシナリオ通りなのだから。


 フェリエスの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。その涙さえも、きっとシナリオ通りの演出なのだろう。


 すべてが白々しく、滑稽に思えて、アシュテルは心の中で小さく笑みを浮かべていた。

 そのまま、アシュテルの言葉を待つ間もなく、その首が落とされた。





 アシュテルは、ゆっくりと瞼を開いた。

 冷たい石畳の感触はない。

 一体、何がどうなったのか


「ここは……?」


 まるで宇宙空間にでも放り出されたような、不思議な浮遊感。

 アシュテルは困惑しながら、あたりを見回した。しかし、そこには何もない。ただ、どこまでも続く闇が広がっているだけで、困惑は深まるばかりだ。


 ──その時だった。


「おめでとうございます。あなたは、“ざまぁ概念”に選定れました」


 どこからともなく響く、性別のない、機械的な声。

 アシュテルは、声の発生源を探そうとしたが、闇は何も語ってはくれなかった。


「ざ……まぁ概念?」


 アシュテルは、意味不明な言葉に首を傾げた。ざまぁ概念? そんな概念、聞いたことがない。

 ただ、嫌な響きだ。


「ええ。あなたはこれから、数多の物語を渡り歩き、悪役令嬢たちに“ざまぁ”という結末を与えるのです」


 声は、まるで機械のように淡々と告げる。

 アシュテルの頭の中は、疑問符でいっぱいになった。混乱、戸惑い、そして、底から湧き上がるような怒り。


「な、なによそれ……!」


 アシュテルは思わず声を荒げた。

 悪役令嬢として散々な目に遭わされた挙句、よく分からない概念にさせられるなんて。

 しかも、その役割は、自分が散々味わわされてきた“ざまぁ”を与えることだなんて。


「ふざけないで! 私はもう、そんなものに関わりたくない! せめてこのまま死なせてよ!!」


アシュテルは、漆黒の空間に向かって叫んだ。しかし、虚しく声が響くだけで、何も変わらない。


「私は、“ざまぁ”のせいで、どれだけ苦しい思いをしたと思っているの?

フェリエスだって、本当は優しい子なのに! 

きっと、仲良くなれた! なのに、なのに!!」


 思い出されるのは、ゲームの中だけれど、確かにそこに存在したフェリエスの笑顔。

 本当は心優しい少女だったはずなのに、物語の都合で悪役令嬢であるアシュテルを憎まなければいけなかった。

 アシュテルを断罪することで、やっと手に入れられる幸せ。そんな皮肉が、アシュテルの心を抉る。


「もうたくさんよ……! 誰も不幸にならない世界がいい。そう願うことは、いけないことなの……?そんなわけないでしょ!」


 アシュテルは、力なくその場に崩れ落ちた。

 漆黒の空間は、アシュテルの悲痛な叫びを、静かに、しかし、確実に飲み込んでいく。


「さあ、速やかに与えられた役割を実行してください。あなたにはその義務があります」


 有無を言わさぬ声に急かされるように、アシュテルの目の前には、まばゆい光が渦を巻く。

 光が収束すると、目の前にアシュテルにとって見覚えのある物語の風景が映し出されていた。

 それは、アシュテルが前世でプレイした数々の乙女ゲームの世界のうちのひとつだった。


「……嫌よ」


 アシュテルは、小さく、しかしはっきりと告げた。



「私は、誰かを不幸になんてしたくない。

私が、ざまぁ概念とやらになったなら、そうさせないことだってできるはず……だったら、やってやる」


 漆黒の空間に、アシュテルの決意が静かに響き渡る。その声は、もはや弱々しいものではなく、確かな意志を宿していた。


「私はざまぁをぶっ壊す!」

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