呪術師の独り言

 庭から心地良い風が吹いてくる。季節がぐるりと一周回った景色の淡々と変化する様も、こうして爽やかな風に触れて改めて時が過ぎていったことを感じる。

 寿院じゅいんは、卓上に古紙を広げて現在の複雑この上ない朝廷の勢力図を書き込んで遊んでいた。最初は縁側にごろりと横になって頭の中に思い浮かべていたが、一つの勢力を思い浮かべ、協力者や従事者を線で繋げ、更にもう一つの協力者を線で結び、協力者同士が裏で敵対する構図が生まれ、更に違う協力者を別の所から引っ張ってきて、一つの協力者を潰す。そうなるとまた新たな勢力が生まれる。そうこうしているうちに寿院じゅいんの頭の中が真っ黒になって収拾が付かなくなって、書き出すことになったのだ。しかし、すぐに古紙が真っ黒になって、寿院じゅいんは苦笑した。

 「…ったく、朝廷複雑だな」と、寿院じゅいんは書き潰した紙を丸め虚空こくうに放り投げた。「まぁ、どうでもいいか?どうしたって民は何処にも存在しないのだから。今、民を苦しめているのは誰なのかはわかっているからな。まぁ、しかしそれを除いたところでまた新しいものが現れると言うわけか。尽きぬことはわかっているさ」

 寿院じゅいんは再び縁側にごろりと横になる。庭に注ぐ風が草木をさらさらと揺らしている。そのたびに夏の終わりの独特な香りが鼻先をくすぐった。あまりの心地良さに寿院はうたた寝をした。しばらく、静粛のなかの草木の音や昆虫の啼き声を聞きながら頭の中に広がるくうの世界に身を投げた。そうすると身体全身が空中を浮いているような虚無きょむを感じる。この上ない心地良さだ。しかしそうした瞬間を不躾ぶしつけな音が邪魔をする。

 「寿院様」

 その声はしばらく前に親しくなった譜薛ふせつのものだった。

 「昼寝ですか?」譜薛ふせつの遠慮のない声が響く。「まったく寿院様は呑気だな。起きて下さいな。寿院様」

 まったく遠慮のない男だ。と寿院じゅいんは思う。そもそもこの男は勝手に人の家に入り込んでいるのか?隆鷗たかおうは何をしているのだ?

 「寿院様、譜薛です。」

 寿院はゆっくり目蓋まぶたを開け、譜薛ふせつの声を追った。譜薛ふせつは、廊下でうたた寝していた寿院のそばの庭にいた。入口からではなく、庭の垣根から入ってきたようだ。

 寿院は素早く上体じょうたいを起こし、いぶかしげに譜薛ふせつを見た。「何故庭にいるのだ?ちゃんと挨拶をして入口から入って来いよ」

 「はぁ、申し訳ない。わたしもそうしたいのですが、入口から入ると寿院様の弟弟子おとうとでしが…そのう…恐ろしい目で睨むでしょう。恥ずかしながら、わたしは、あの方が大層苦手なのですよ」

 寿院は、にわかに笑った。

 「おぅ、隆鷗たかおうが苦手か?譜薛様は見る目がお有りだ。隆鷗たかおうを子供だと見下す者は多いが譜薛様のように出会った時から警戒する者は少ない。譜薛様が正しい。アレは勿論剣術も達者だが、何よりも邪悪な者を一瞬で見抜く。さて、譜薛様はどちらかな?」

 「からかわないで下さいまし。わたしが邪悪だろうが無垢だろうが寿院様には決して害を為しませんので、それはお約束いたします。」

 「そうか?まぁ、庭で立ち話と言うのもなんだ…とにかくお上がり。」

 譜薛ふせつが廊下に上がると、たちまち反対側の戸が開いた。今二人が話していた隆鷗たかおうが姿を見せた。

 「おぅ、今お前の話しをしていたところだ。お前は譜薛様に何をしたのだ?お前が苦手だとよ。」

 隆鷗たかおうは、寿院じゅいんの言葉を一つも返すことなく、ひざまずいて、お茶を差し出した。音一つ出さない隆鷗たかおうの動作に感心しながらも、譜薛ふせつは緊張を隠しきれず苦笑いを浮かべた。

 「これは隆鷗さん。庭から失礼しております。」

 差し出されたお茶を、膝を滑らせ移動した譜薛ふせつが受け取ると寿院じゅいんに差し出した後、元いた場所にもう一つのお茶を持って素早く戻った。

 「決して隆鷗さんが怖ろしくて、入口から呼ばなかったわけではないのですよ。」と、譜薛ふせつは苦笑した。

 「何も言ってませんが」と、隆鷗たかおうは戸を閉めて、部屋の隅に座った。

 「おや、何か気になる事でもあるのかい?話しを聞く気なのかな?」と、寿院が言った。

 「まぁ、そうですね。」と、無表情に隆鷗が言う。

 「…と言う事ですが譜薛様は如何ですか?」

 「わたしは構いません。隆鷗さんはおそろしいですが、邪悪を見抜くお力があるのならば、ある意味好都合かもしれない。」

 「と言うと、そう言うたぐいの話しですか?まぁ、隆鷗たかおうが興味を示した訳だから、そう言う事なのでしょうね。」と、寿院じゅいんは微笑した。

 「いえ、興味ありません。」隆鷗が無表情に言う。

 「…な訳ないでしょう?お前が自ら茶を運び、ちゃっかりそこに座る訳がない。…って言うか、お前は譜薛様がここに来られる前から、もうすでにわかっていたのだろう?」

 「えっ。そんな事があるのですか?わたしが家に来る前から、もう既に邪悪を見抜いていたとでも?」ひとみをまんまるにして譜薛ふせつが言った。

 しかし隆鷗たかおうは黙っていた。

 この子は無口なのか?いや、そんな事ではない、何者なのか?と、譜薛ふせつが思う。

 「…邪悪って…何それ」くっと隆鷗たかおうが笑った。しかし、その声はとても小さくて、譜薛ふせつは聞き取れなかった。

 「寿院様、それはどう言う意味ですか?」

 「まぁ、そのうちわかるさ。それで譜薛様、今日はどう言ったご用件でお越しですかな?」と、寿院は茶を啜った。

 「はい。寿院様、先だって妹の事をお話ししましたでしょう。わたしの妹の事です。」

 「妹君ですね。行儀見習いで他家たけに預けていらっしゃるとか?」

 「はい。そうです。しかし寿院様、それだけではないのですよ。妹は父上の指示である事を調べるために預けられたのです。」

 「ある事?」寿院の表情が厳しくなる。

 「はい、左様さようでして。妹はわたしと違って、大層たいそう真面目な子だから、無理をするのではないかと気が気ではありません。案の定危険もかえりみず真面目に父上の命令をこなしております。定期的にふみ寄越よこすのですが、ふみを読み進めていくうちに妹が結構難儀な所にいるということがようやく理解できたのですが、いったいどうしたものかと…」

 「うーむ、父上の指示はいったん置いとくとして、難儀なんぎとは、どう言った難儀なんぎなのだ?」

 「はい。寿院様、そこは都の外れにある大層たいそう大きなお屋敷なのですが、もともと三代くらい前でしょうか?上級貴族の位の高いお家柄だったのです。ところが詳しく存じませんが、まつりごとの中心に居られたのが、次の代くらいからまつりごとから退しりぞかれ、何があったのかどんどん落ちぶれてしまい、現在では自ら庶民であると宣言されるほどになってしまったのです。それでも元上級貴族のお家柄。都の外に代々続いた荘園がございまして…。一族で、立派な田畑でんばたを含む馬鹿にならない大きさの領地の領主となっておりました。しかし、田畑でんばたの土地は荒れ放題、とても年貢など納めることが出来ないと毎年上奏が上がってくるとかで、そこで平家が地頭として領主の代わりを務める異例なことになったのです。ところが平家の家臣が出向いたところ驚いたことにそれは立派な田畑でんばたでございました。毎年の上奏じょうそうは嘘っぱちというのがわかったのです。これは相当の隠し資産を持っているに違いないという話しになりまして、都の屋敷の様子をさぐることになったのです。」

 「なるほど、その多大な資産を何処に隠し持っているのか?帳簿等ないか…?そういったことをさぐりに間者として、妹君を向かわせたのでございますね。」と、寿院は確認した。

 「まぁ、そうなのですが、しかしそれだけではないのですよ。都の屋敷をさぐる前に、勿論領主の上奏じょうそうを問い正さなければならないでしょう。だから家臣は厳しく取り締まったそうなのですが、どんなにえた土地の田畑でんばたでも、その土地は呪われているのです。と訳の分からないことを言う。小作人がすぐにやまいになり死んでしまうと。幾人も入れ替えたそうなのですが、やはり呪われて死んでしまうと言うのですよ。」

 「それは随分可笑しな話しですよね。だったら田畑は荒れ果てて当然なのに田畑は肥えた土地なのでしょう?」と、寿院は不思議そうに言う。

 「まったくです。」

 「収穫はどうなっているのですか?」

 「それが分からないのです。」

 「うーむ、それは甘いのではないですか?徹底的に帳簿等を見たりして調べるべきなのでは?」 

 「それは勿論です。領主への取り締まりも厳しくやっておりますし。しかし…、またもや呪いです。いや祟りなのか?領主へ拷問した者が突然気がれて自ら命を絶ってしまったのです。それも呪いや祟りだと騒がれ、そういったことが次々と起こり、もはや平家の家臣たちは皆、心の病にあちいった次第でなのです。」

 「うーむ。もはや調べるのは呪いや祟りの方なのですか?」と、寿院が呆れて尋ねた。

 「いえ、勿論、両方でございますよ。隠れ資産を調べると同時に、都のあの屋敷の者が呪いや祟りに関係しているのか?それを妹が調べております。」

 「それは思っている以上に難儀なんぎな話しですよ。また、どうして妹君を内定などに行かせたのですか?譜薛様、貴方が行けば良かったのでは?」

 「わたしは父上の考えている事の詳細は存じておりませんが、少し厄介なのは、都に構えたお屋敷は代々受け継がれた寝殿造なのです。」

 「えっ?それがどうしたと…?」

 「天皇家や上級貴族が住む寝殿造の屋敷だ。目立つでしょう。」

 「あぁ、武家では清盛公だけが住んでいるのでしょう。」

 「それだ。だから目を付けられている。清盛公は何かとあの屋敷を毛嫌いしているのですよ。」

 「あらっ、清盛公もお心が狭い。しかし、いくら庶民と称していても、実際は貴族なのでしょう。」

 「それは駄目ですな。庶民を称した時点で、もう貴族ではないのですよ。それに清盛公から目を付けられるようなことをしては駄目です。もうその家は終わりです。」

 「しかしなぁ、寝殿造も代々受け継がれたもの。どう見ても言い掛かりとしか思えないなぁ。」

 「まあ、それはそれとして、疑惑の目を向けられたのは、その家の不始末でしょう。知ったことではございません。」

 「まぁ、そこは我々がとやかく言ってもしかたのないことですし。まぁ、しかし、一番気になることは、妹君にそんなことを調べさせるなんて危険この上ない。譜薛様のお父上は何を考えているのでしょう。それだけが気になりますなぁ。」

 「わたしも同感ですが父上は恐いお方です。言葉をはさむなどとても出来ませんし、妹とて同じでございましょう。ただ妹も父上によく似て正義感が着物を着て歩いているようなもので。お任せ下さいと意気颯爽いきさっそうと出掛けました。そして行商人を雇い決まった時にふみのやり取りが出来るようにしておりましたが、最初は難なくやり過ごしていたようです。しかしふみが届くうちにこの家は奇妙だと思うようになりました。」

 「ほーう。妹君は優秀なお方だな。早速調べ始めたのですね。」

 「はい。実に優秀です。迷いがございません。」

 「それで奇妙と言うのは?」

 「はい。幾つかあるのですが、ひとつはる高貴なお姫様をかくまわれているようなのですが、この方が今巷で名を馳せた予知者だそうです。公家や貴族、はたまたお忍びで皇族のるお方など、こぞって面会を求めて止まないと。それもこの方が予知することがぴたりと当たるそうで、噂が噂を呼び、面会者もどんどん増え、それを当主が報酬に見合う者を選んで面会させているようです。その報酬というものがかなりのもので、絹、麻、砂金、銀とあらゆるものが出回っているようなのです。おそらくこの家をうるおしているものの一つになるのでしょう。」

 「うーむ。本当に妙だな。る高貴なお姫様をかくまう?そのお方が今巷で名を馳せた予知者?ここにすごい矛盾を感じるのだが?そのお姫様は何故匿われているのか?匿っているのに隠そうとしないのは何故か?まるでかたりのようだ。高貴なお姫様とは予知者を広く知らしめ、また信頼を得る為の手段なのだろう。わたしはそんなたわけた者たちをよく見てきた。直接会えば、その者の嘘を見抜ける。おそらく当主が裏で面会者のことを調べ予知者に教えているのですよ。そして予知者はもっともらしく語るのですよ。あゝ、わたしはこんなやからがもっとも嫌いだ。鼻を明かしてやりたいものだ。」

 「是非鼻を明かしてやって下さいませ。わたしは近いうちにその家を訪ねるつもりです。寿院様もご同伴いただけたらと願っています。その為にうかがったのです。」

 「わかった。そのかたりはわたしに任せろ。それで譜薛ふせつ様、先程幾つかと申しておったな。他には?」

 「はい、寿院様には予知者のかたりなど小者にすぎないと思います。もう一つの奇妙なこととは、全てが解明されているわけではないのですが、妹が言うにはその家は邪神に祟られていると。」

 「なんと今度は邪神か?」寿院は大袈裟に驚いた。「実にふざけた家だな。邪神?まつられなくなった、地を追われた神が物の怪にちたうらみで人を害すると言う話しは聞くが、ああ言ったたぐいの話しは大抵人が都合よく流行はやらせた噂話にすぎない。そしてその噂話を利用して人は悪事を働くものだ。予知者に邪神。そしてこの二つは関係あるのだろうか?」

 「それは分かりません。妹のふみにはその関係にはまったく触れていません。」

 「うーむ、まだわからぬな。続けて」

 「はい。邪神は奥方にとりいていて、奥方は命があるのかないのかわからない状況でずっと部屋に監禁され、その扉に注連縄しめなわが巻かれているそうで誰も近づけないと。唯一若様だけが監禁された門戸もんこの前に座って、ただ悲しんでいるだけ。そしていつこの家に入り込んだかわからない祓い屋が門戸もんこの前で訳のわからない儀式を行っている。その寝殿は屋敷の北側にあって、どんなにさぐっても見つけることができなかったそうです。これは侍女から聞いた話しをもとにふみを書いたそうなのですが、次のふみにその侍女が殺されたと書いてありました。殺されたとは妹の推測ではあるのですが、侍女たちの噂話になっているそうなのです。奥方様の秘密を知った侍女は始末しまつされると。言い忘れていましたが奥方はやまいせっていることになっているらしいです。」

 「その家には祓い屋もいるのか?」

 「そのようですね。そして、最後の奇妙な話しになりますが、その祓い屋はどうもこの家を支配していると妹は言うのです。ここの当主は、もう祓い屋の思うがままになっているそうで、先日殺された侍女は大量の鮮血を抜かれ奥方に奉納されたと言う噂もあると…それに蔵のなかのものも祓い屋が自由に使っている。しかしまだその証拠はないので、徹底的に調べる、と。それを最後に妹のふみが来なくなった。もう随分時が経つんです。心配でなりません。下手に首を突っ込んで死んでいやしないかと。ですから父上に許可を取り妹の無事を確かめに行くつもりです。ですが、このたぐいの話しは苦手だから、寿院様もわたしの従兄いとことして同行していただきたく、お願いにあがりました。」

 「そうか。妹君が心配だな。無事だといいが。そう言うことなら力をお貸しいたしましょう。予知者、邪神、祓い屋。これは面白くなってきたなぁ」

 「ありがとうございます。寿院様には危険なきようしっかりと守ります。屋敷の周辺に用心棒を配置し、忍びのものも連れて参りますので、ご安心下さい。」

 「周到だな。それは安心だ。ところで譜薛様は平家の家臣なのですか?」

 「それは違います。私どもは朝廷の依頼を受けている者の、その下っ端でございますよ。平家の家臣などと、そんな身分ではございません。出かける前に使いを出しますので、ご準備をお願いします。その日は迎えに参ります。宜しく頼みます。」

 そう言うと、譜薛は庭に降り、去っていった。

 寿院はそれを見送ると隆鷗たかおうを振り返った。

 「なぁ、お前は何であの者の話しに興味があったのだ?」

 「いえ、興味ありません」と、無表情で隆鷗たかおうは言った。

 「いやいや、どう見てもあるでしょう。自分からこの部屋に入って来たのだ。れたこともない茶まで持って。」

 「いえ、特に興味ありません」

 「お前はいつもそうだ。いつも何にも話さない。いつもわたしがお前の言いたいことを予測するばかりだ。疲れるだろう。」

 「すみません。」

 「まぁ、お前は嘘を付かないからなぁ。話しに興味が無いのは本当だろう。だったら何故部屋に入ったか?そこだな。」

 「はい。」

 「あぁ、導かれたか?」

 「はい。」

 「と、言うことは、もう妹君は亡くなっているのか?」

 「あれが妹さんだったら多分」

 「あぁ、そうか。女子おなご譜薛ふせつさんに寄り添っていたのか?お前を呼びに来たのか?」

 「はい。」

 「そうか。妹君はもう亡くなっていると思っていた方がいいのか?」

 「よくわかりませんが。ただ、良い亡くなり方をしていませんね。人をうらんだ方の亡くなり方です。」

 「何か感じたのか?」

 「うーん。本当によく分かりませんが、殺されたのではないかと思います。」

 「そうだな。話しの内容からしたらそうかもな。ああそうだな。結構厄介な話しだったしな。ああ、なんか面倒臭くなってきたな。」

 「寿院さん、ただかたりの予知者をからかいたいだけでしょう。」

 「あっ、そうかも。いや、予知者なんかかたって公家やら貴族に大層ふっかけて、それでも次から次へと公家や貴族がやって来るなんてこんなに腹立たしい話しはないしね。」

 「嫉妬ですね」

 「う…。なことはない。それで、予知者は任せてもらっていいから、後の邪神だの祓い屋だのはお前に任せるから」

 「………?」

 「いや、返事」

 「いや、行かないっす」

 「えぇ、なんで?」

 「興味ないです。」

 「いや、これ呪術師の仕事だから」

 「いえ、仕事の話しなんかしてませんでしたよ。ただ寿院さんは予知者の話しを面白がっていただけだし、報酬の話しは一切していませんでしたよ」そう言うと、隆鷗たかおうは立ち上がり茶碗を持って部屋を去った。

 「報酬なんて暗黙の了解だよ。心配するな。まぁ、どうせ邪神も祓い屋も偽物だ。この世にああいうたぐいの本物を、わたしは見たことがないからなぁ。」と、寿院はごろんと横になり、両手を後頭部の下に置き枕がわりにして、少し黙り込んだ。

 寿院は考えていた。この世で本物と思えるものを、これまで二人知っている。そして、一人師匠から聞いたことあるが、それはまだ会ったことがなかった。しかし、いずれお前も会うだろうと、師匠が言っていた。そう言った者たちは、呼び合うものだ、と。その者たちもまた、お前を見ているのだと、師匠は言う。

 「いや、暗黙の了解なんて甘すぎますよ。」と、台盤所だいばんどころから戻った隆鷗たかおうは言った。

 「そうだな…」と、寿院がから返事をした。

 「あっ、聞いていませんよね。」

 「聞いてるよ。わたしはね。二人知っているんだ。本物をね…」

 「そっちの話しですか?」

 「その二人以外は全て偽物だ。この世に不可思議なものなど滅多に存在しないのだよ。大抵人がはかったもの。しかもどれもこれも出来の悪いはかりごとだ。陰陽師しかり、呪術師しかり、祓い屋、悪霊、妖怪。陰陽師なんか安倍家と賀茂家の世襲って何だよ。名乗れやしない。」

 「………?」

 「家柄が良く、大層裕福な家を乗っ取る為に祓い屋が、いや謀屋はかりやはかっただけだな。たまたま奥方が病にせっていたから、それを利用した。おそらく当主は祓い屋に洗脳されているのだろう。しかし洗脳はあなどれない。解くのが困難だ。」

 「寿院さん、妹さんが殺されたこと忘れてません?」

 「あぁ、そうだな。忘れては駄目だな。そうだ舐めてかかっては駄目だ。隆鷗、お前は何を見たのだ?何に導かれて部屋に入ってきた?」

 「そうですね。その者の言葉を聞けたらいいのですが、わたしは聞いてやれないから。ただその者にかれて数人の影も見えました。もしかしたら、共通の境遇の者たちなのかも。同じ場所で同じ怨みをもって死んでいった者たち。結構大きな塊でした。多分譜薛さんは自分でも訳の分からないぼんやりとしたおびえを抱いているでしょうね。だから寿院さんに頼らずにはいられなかったのでしょう。」

 「同じ場所で同じ怨みをもって死んでいった者たち?そうか何かの目的で殺されたのか?」

 「さっき、なんか鮮血を抜かれて供物くもつにされたみたいなこと言ってませんでした?そんなとこじゃないですか?」

 「うーむ。儀式か?」

 「そうですね。」

 「他に何か感じなかったか?」

 「特に…。何か喋っていたような気がしたんですが…。わたしには聞き取れないですし」

 「そうだな。声が聞き取れたら解決も早いだろうな。残念だ」

 「いや、聞きたくないです。」

 「聞かなくていいからさ、お前も一緒に来てくれよ。屋敷に入らなくていいから、こう、近くのどこかで待機してくれたらいいから。」

 「何処で待機するんですか?」

 「そう言うなよ。わたしが見た本物の一人って言うのはお前なんだよ。わたしが唯一本物と認めているのだ。頼りにしているのだから頼むよ。」

 「わかりましたよ。わたしは周辺で屋敷のことを調べてみます。」

 「気をつけろよ。平家の密偵が300人も潜んでいるそうだ。平家の悪口でも言おうものなら、とらえられて拷問されるらしい。」

 「いえ、興味ないですし、悪口なんて言いませんよ。」

 「いや、あやしい動きをしていたら捕えられるかも知れない。奴ら見境がないから。なんでも身寄りのない子供を集めて結成されたと聞く。無責任で権力を持った残酷な子供だ。あなどってはいけない。人の命も虫の命も区別できない畜生と同じだからな。誰も逆らえないのさ」

 「分かりました。気をつけます。」

 「屋敷の場所が分かったら、わたしの顔の広さを駆使して宿泊させてくれる友を探してみよう。」

 「ありがとうございます。ところで、後一人って誰ですか?知っている人ですか?」

 「おぅ、お前が興味を示すなど、珍しいなぁ。」

 「あぁ、いえ、わたしも一人知っています。もう、随分昔の話しなんですが、ちょっと思い出して。」

 「そうなのか?今は何をしているんだ?」

 「多分、もう亡くなっていると思います。」

 「そうか。どんな人だったのだ?」

 少し躊躇ためらった隆鷗たかおうの顔が打ち明けたことの後悔を隠し切れていなかった。寿院はこのまま話しを続けていいのか迷った。しかし、隆鷗たかおうは続けた。

 「父上と山猟りに出掛けた時だった。わたしはまだ幼く、ひどく我儘を言って、散々騒いでようやく連れて行ってもらったのです。わたしは父上の従者の馬に一緒に乗せてもらって、凄くはしゃいでいたことを覚えています。他の家人と離れ、父上と兄上だけになった時、木々の隙間に幼い子が見えたのです。こんな所に幼い子供がいることに皆驚き、馬から降りて静かに近づきました。すると、木々の間に驚く光景が見えました。わたしは恐怖に思わず叫び声を上げ、父上に口をふさがれました。幼子おさなごはよちよち歩きでようやく立っていられる弱き者なのに、沢山の山犬に囲まれていました。山犬は牙をうめいていた。今にも襲われそうだった。幼子おさなごが山犬に喰われる様など想像もできない。そんな残酷なこと…。辺りを見回しても幼子おさなごの付き添いはいない。いったい何が起こっているのか分からなかった。そして一匹の山犬が幼子おさなごに飛びかかろうとした時、その群れのなかで一番大きな犬が、飛びかかろうとした犬を一瞬に喰い殺してしまったのです。父上はそんな光景を見ながら、弓を引いていましたが、硬直して動けないようで、父上の様子を見ていたたったその間に山犬の群れは全滅していた。最後に、幼子おさなごの前で大きな犬の命が尽きていました。幼子おさなごの、何事もなかったように立ち上がり、よちよち歩いていた、あの姿が目に焼き付いています。記憶がぼんやりしていますが、その後、付き添いの者なのか貴族の身なりをした男が現れ、幼子おさなごを抱き上げ、ほっとした様子で去って行った。父上はその者と顔見知りだったようです。ずっと後に知ったのですが、幼子おさなごは神の子とあがめられていたそうなのですが、一方で忌み嫌われ排除されて、あそこに捨てられたそうです。そしてあるじがそれを見つけて連れ戻した。と、兄上から聞きました。これは他言したら消される、と脅されもしました。あの幼子おさなごは本物と思いますよ。あっ、言ってしまった。まぁ、わたしの家も没落しましたし、殺されることはないでしょうが…」

 「何、それ。すごく興味ある!」寿院が楽しそうに言う。「えっ、その幼子おさなごは、その後どうなったの?本当に亡くなったのか?会えないの?」

 「会えないでしょうね。もう亡くなったと聞いていますので」

 「うそぉ…ええ、絶対会いたかった。本当に亡くなったの?」

 「多分。でもそれは兄上から聞いたのですが、兄上が誰から聞いたのかは分からずじまいです。真実は分かりません。本当言うと、あの光景は現実だったのか、父上と兄上が亡くなってから、なんかもういろんなものがぼんやりして…わたしももう一度会ってみたいです。」

 「いろいろ興味あるなぁ。神とあがめられたその子が何処の子だったのか?誰に忌み嫌われ排除されたのか?何故、山に捨てられたのか?山犬に襲われた時いったい何が起こったのか?興味しかないよなぁ。もう会えないなんて残念だ。」

 「そうですね。わたしが幼かったばかりに曖昧ですみません。皇族や公家とか貴族の話しであれば、寿院さんの仕事の役にたったかも知れませんね。」

 「お前の幼い頃の話しか。その頃はまだ後白河上皇と二条天皇、信西と藤原信頼。いろいろいくさがあった後だったからなぁ、くすぶった火は消えることはない。今だにくすぶっているさ。その為に民は苦しんでいる。お前の父上と兄上は大火で亡くなったんだったか?」

 「あぁ、いえ。大火に乗じて襲撃されました。何処の者かは分かりません。まるで戦さ場の如き有様でした。わたしはあまり覚えていません。ただわたしの見える力はその時からと師匠が後から教えてくれました。」

 「そうか。その者たちを探して復讐したいと考えたことはないのか?」

 「どうなのでしょう?上手く言えないのですが、その者たちを見つけたとしても、その者たちを動かして父上を殺せと命じた奴がいて、そいつがたかだか権力を大事に守るためにこんなふうに人を殺したのだったら、父上も兄上も何かの渦に巻き込まれたに過ぎないような気がします。父上も兄上も家族が何より重要でした。家族を守るために命を捧げていました。」

 「渦…?」

 「復讐しても何の解決もしないと言うことです。」

 「お前はなかなか面白い考えを持っているよね。わたしが見たもう一人の本物を思い出すよ。なんか似ているなぁ」

 「どんな人だったのですか?」

 寿院は虚空こくうを見つめ、あの子に出会った時の事を思い出していた。

 都のたたずまいは一見して何の変哲もない、日常の一齣ひとこまだった。日々が過ぎる度に荒れていく様をずっと幼い頃から見ていた。巻き上がる砂埃や民家の隙間から漂ってくるすえた匂い。時々出会頭に見るむくろ。最初は驚いたが、そのうち慣れてしまった。

 そんなみやこにその子は物乞ものごいの格好をして、民家の塀を背にむしろを敷きひっそりと座っていた。寿院にはその子が不思議に見えていた。物乞いの格好をしていても、その子から漂ってくる風格が身分の違和感を覚えさせる。そして、何より子供が小さく唇を動かして絶えず何かを喋っているのが不思議だった。まるでお経でも唱えているようだ。

 寿院はそうした興味ある者を放っておくことはできなかった。

 「ねぇ、そこのわらべ。器空っぽだな。ここに座って食い物でも与えてくれる者がいるのかい?」

 埃にまみれたわらべの顔がわずかに寿院の方へ動いたが、すぐに元の位置に戻り、呪文のように何かを呟いた。

 「あぁ、残念だったな。生憎あいにくわたしも何も持っていないなぁ。恵んでやりたいのだが…。明日もここにいるのなら、米の何粒くらいは持ってきてやるのだが、ここにいるのか?」

 「わからぬ」

 「ほぅ、口は聞けたか。では明日は何処にいる?」

 「わからぬ」

 「お前は恵んでもらうことが仕事なのだろう。明日米を持ってきてやるのだから、何処にいるのか教えろ。何粒なんてけちなことは言わないよ。たらふく食えるぐらいの米を恵んでやるから。」

 「わからぬ。向こうへ行かれよ。」

 「ふぅーん。お前は恵んでもらわずとも良いのか?帰って誰かに叱られないのかい?」

 「放っておかれよ」

 「だったら今から取りに帰ってやるよ。しばらくここにいるだろう?」

 「わからぬ」

 「そうか。やっぱりそうだな。お前は物乞ものごいではないな。何かを見張っているのか?面白い。だったら明日も探してやるぞ」

 「放っておいた方が其方そなたの為です。」

 「あぁ、お前は結構身分の高い者だな。物乞いはそんな喋り方をしない。わたしの勘はよく当たる。どうだ?」

 「其方そなたは呪術師なのでしょう。さぞ名高い方なのでしょうね。ここを通る幾人いくにんかの者が其方そなたのことを噂していましたよ。寿院様と仰るのか?我を構う意味なぞないでしょう?」

 「へぇ、これは驚いた。わたしの名前まで分かるのか?面白いなぁ、わたしにはここを通った者の喋り声など聞こえなかったぞ?」

 「其方そなたがぼんやり生きておられるからです。まだ聞こえてきましたよ。本当は陰陽師の看板をあげておられたが、安倍氏に言い掛かりをつけられて仕方なく呪術師の看板をおあげになったとか。おやおや、呪術師の方が格下と思われている短絡的なお方なのですね。陰陽師と呪術師は比較できるものではございません。まったく別物でございますよ。」

 「それは分かっている。呪術師の看板をあげたのには、それなりの理由があったのだ…て言うか、それは大きなお世話と言うものだ。」

 「寿院様は面白いお方ですね。もうお喋りはこれくらいにいたしましょう。近いうちにまたお会いできると思いますよ。」

 外見は確かに子供だった。しかし何だろう、大人でさえ尻込みしてしまうような、この圧倒的な存在感。寿院は更に、そのわらべに興味が沸いてきた。

 「近いうちっていつ?」

 「近いうちです。寿院様には大事なご用がおありなのでしょう。」

 子供の言葉に寿院は肝心なことを思い出した。大事な用事を忘れてしまうくらい子供の存在は特別なものになっていた。ほんの短い時だったというのに。

 大事な用事とは、近頃よく耳にする呪い屋というたわけた者から被害を受けたといった相談が相次ぎ、放っておいた寿院もようやく重い腰をあげた。とりあえず様子を見に行こうとしていたのだった。しかしあまり気が進まず、ふらりふらりと余所見よそみをしながら歩いていた時にあの子を見つけたのだった。

 「はて、それにしてもわたしに大事な用事があると何故わかった。かまをかけたのか?」

 寿院は、振り返りわらべの様子を見た。一度戻ってその訳を聞きたい衝動に駆られたが、その気持ちを抑えた。わらべは相変わらず同じ姿勢で、ただ正面を見据え、身動きせずにじっとしている。そうした光景を見ていたら、近いうちにまた出会うことがあるのだろう。と、不思議とわらべの言葉が信じられた。あの短い時のなかで行き交う人の言葉を聞き、あっという間に寿院の正体を見抜いた、あの洞察にいたっては、何か種があるのだろうが、さて、その種を見抜くことができるだろうか?寿院には自信がなかった。

 呪い屋が拠点としている民家は、すぐには見つからなかった。被害を受けた者からの訴えを元におおよその見当をつけて探してみたのだが、やはり気が進まなかった。片手間でやるような仕事ではなかったようだ。そもそも呪い屋などと言うものが本当に存在するのかさえ怪しいと思っていたのだが、糖粽売あめちまきうりから面白い話しを聞いて重い腰を上げたのだ。

 寿院は、都のあらゆる面白い話しを聞くために、幾人かの行商人を贔屓ひいきにしていた。行商人は、寿院が好みそうな話しを心得ていて、それを商品の代わりに売っていた。寿院が好みそうな話しを見つけると、わざわざ寿院の家までやってきて、話しの値踏ねぶみを受けていた。

 寿院は、糖粽売あめちまきうりから次のような話しを聞いた。

 「旦那、面白い話しを仕入れましたよ。最近よく呪い屋と言う話しを耳にしませんか?」糖粽売あめちまきうりは、そう切り出した。

 「ああ、聞くよ。実際、被害にあった者から相談を受けているのだが、どうも呪い屋などと言う眉唾ものは相手にしたくないと思っているところだよ」

 「へぇ、呪術師なのだからこれは旦那のお気に召すお話しかと思っておりましたが、意外ですなぁ。」

 「そういったたぐいのものは後を絶たないのだがなぁ、実際全て偽物。人が起こしたもので、大概悪い企てだな。ただ今回の呪い屋なるもの汚くて触りたくないんだよ」

 「これは予想だにしなかった。と言うことはこの話しは買ってもらえないんですかね」

 「いや、話しの内容によっては買うよ。」

 「よしきた。実は貴族の九堂くどう家の若様が首を吊ったって話しは聞いてますか?」

 「おぅ、実は九堂くどう家の奥方からの相談も聞いているところだ。」

 「やったぜ。だったら旦那、宮廷御用達の酒などいけますか?」

 「まぁ、内容によるな」

 「宜しくお願いしますよ。まぁ、噂が発端だったんですが、若様には悪い噂がありまして、町の若い連中と連んで大層女子たいそうおなごに悪さをしていたと。ある日、美しいと評判の町の女子おなごを捕まえて監禁したそうで、連んでいた若い連中と幾日ももてあそんだ挙句死なせたらしい。ところが美しい女子おなごは、若様の知人だった貴族のはた家の若様と好き合っていたと言う。そのはた家の若様は絶望のどん底に堕ち生きる屍となってしまった。そんなある日接触してきたのが例の呪い屋と言う訳だ。勿論、はた家の若様は呪いを依頼したさ。しばらくして九堂くどう家の若様は愚か連んでいた連中も一掃されたと言うことらしい。」

 「ふうーん、そんな話しだったら、皆が噂している程度だな。わたしもいろいろな所から聞いているよ。知らぬは奥方くらいだ」

 「まぁ、そうですね。酒は無理か?でも、秦家はその後、破産寸前になるまで呪い屋から巻き上げられたそうで、結局復讐したところで皆不幸になってしまうのですな。旦那の言う通り汚いです。それから秦家の下働きの女子から聞いたんですが、一度呪い屋を見たことがあると。何でも刀に印が付いていたのを覚えていて、陰陽師の五芒星の真ん中に剣みたいなものが付いていたそうですぜ。」

 「へぇ、五芒星の真ん中に剣?安倍家と関わりのある者か?刀に焼き付けをしていることが何処の者か手掛かりになるやも?」

 「そうですね。後二つあるんですが、女子おなごが下男から聞いた話しでは黒根こくねと言う名前を聞いたと?若様が黒根こくねの者か?と、問いただしたところ、呪い屋は大層慌てていたそうで、その名前を出したら命はないぞ。と凄まれたそうです。返って怪しいですよね。その男の頭の悪さが目に浮かぶ。それと、民家の目立たないところに呪符を貼って、それを何らかの連絡に使っているのではないかとか何とか。旦那、これくらいですかね。」

 「おぅ、糖粽売あめちまきうり。充分酒の価値はあるぞ。今度仕入れておこう。推測するとこうだな。秦家の若君から依頼を受けた呪い屋は、おそらく秦家の若君が呪い屋に九堂家の若君を呪うように依頼した。と噂を流し、まず脅した。そして怖がらせた挙句、実際に手を下したのだろう。そうやって呪いの噂を広める。噂が広がるほどに不思議なことに呪いの威力は高まる。そのうち実行しなくとも、自滅する者も出てくるだろうな。」

 「いやいや、寿院様手を下すなんて、それでは呪い屋ではなくただの復讐を代行する者ではありませんか?手を下さず、苦しんで必ず死ぬ。それが呪いですよ。寿院様は面白いことを仰る。皆呪いを怖がっているんですぜ。呪いではなく手を下したなど道理が通りませんよ。直接、秦の若様を問いただしてみてはいかがでしょうか?」

 「いや、もう秦家から話しは聞けないだろう。お前さんは幸運だったんだよ。おそらくお前さんが女子おなごから話しを聞いた後、いなくなっているだろう。人を呪えば穴二つ。と言うからな。おそらく、呪い屋は報酬を巻き上げた後、依頼者も始末しているのだろう。家ごとな。そうやって己の正体を隠し続けている。もし、そうであれば本当に汚い連中だ。」

 寿院は、私腹を肥やしている呪い屋のことを思った。これはもう放っておくことは出来ない。

 翌日、秦家を訪ねてみると、予想通り屋敷には誰もいなかった。まだ生活感が残っているのに、人だけが忽然といなくなっていた。寿院は、秦家は皆殺しにされたと考えていた。その方法はわからないが、一夜のうちに短い時間であっという間に。秦家には家族以外にも秦家に仕える者たちが少なくなかっただろうに。何が穴二つだ。こんな輩には虫唾が走る。

 寿院は、暫く秦家のことを調べると同時に黒根こくねという者を探してみたが、手掛かりを得ることは出来なかった。聞き込みで唯一、ひと昔前に存在していたという黒根家を訪ねてみたが、そこには安倍家を名乗る陰陽師が住んでいた。分家のようだ。本家から程遠い、うだつが上がらなそうな当主は黒根こくねの名前を出した途端声を荒げて「二度とその名前を口に出すな!そして二度と訪ねてくるな」と怒鳴るなり、門を閉じた。

 寿院は、やはり黒根こくねは安倍家と何ら関わりがあるのではないかと思った。だが、糖粽売あめちまきうりが聞いた、下男の男が見たという呪い屋の反応とよく似ている。黒根家が呪い屋という結論は出せない。黒根家は陰陽師にとって裏陰陽みたいな存在かもしれない。裏陰陽は、違う流派の統一をはかる者たちと聞いたことがある。その中で呪いに通じる流派の存在を聞いたことはなかった。次に刀鍛冶を周り、刀の刻印を調べて回ったが、五芒星の真ん中に剣の印を見つけることは出来なかった。それでも寿院は諦めずに、町をふらふらしながらも、民家の目立たない場所に貼られた呪符を探してみた。しかし何も見つからず途方に暮れていた時、再び見つけてしまった。

 寿院は嬉しさのあまり成果が上がらない呪い屋のことなどすぐに忘れた。

 「やぁ。わらべ、やっぱり会えたね。お前の言う通りだ。あぁ、でも今日も恵んであげるものないなぁ」

 「あっ、寿院様。」

 あれっ。今日は先日のように冷たくないな。と、物乞いのわらべを見た。

 「いつもふらふらふらついているのですね」

 「だな。わたしはいつもふらふらふらついているんだよ。」

 「何か探し物をしているんでしょう?だけど一向に見つからない。って感じですか?」

 「うーむ。それも通りかかった人が話していたのかな?お前は全てお見通しだな」

 「寿院様に、もしかして素敵なものを見せられるかもしれませんよ。良ければあすこの民家の陰に隠れて、観ていて下さい。ただ、条件があります。」

 「条件?」

 「はい。我に何が起ころうと、絶対助けようとしないで下さい。あの民家の陰から絶対出ないで下さいね。」

 「おい、危ないことするなよ。お前が危ない目にうんだったら、それは助けるさ。」

 「それではダメなんです。辛抱して下さい。それに我は子供だけどそんなに弱くないよ。寿院様、早く隠れて。」

 寿院は促され、民家の方へ向かった。振り返ると、物乞いのわらべは正面にある屋敷の、閉ざされた門に向かい何やら、お経を唱えるように呟き始めた。それとも呪文だろうか?通りは不気味なほど人通りがなく、あたりは静かだった。寿院が、民家の陰に隠れ、これから何が起こるのだろうと、固唾を飲んでいた時、子供のはしゃぎ声が聞こえてきた。何かと思い物乞いのわらべから視線をはずすと、子供を伴った琵琶法師の姿が見えた。寿院がよく知った琵琶法師だった。

 「夜一よいちではないか?」

 「寿院だ。」先に子供が寿院に気づいた。「寿院、そんな所で何しているの?隠れん坊か?」

 「おぅ、手鞠か?隠れん坊ではない。わたしも何をしているのかわからん」

 「寿院殿ですか?」琵琶法師の夜一よいちは目があまり見えなかった。ぼんやりと見えるらしいが、ほぼ視界に入るものを認識することはできなかった。だから娘の手鞠がいろいろ手助けをしていたのだった。

 「丁度良かった。寿院殿、手鞠と一緒にいてくれませんか?」

 「それは別にいいが?何をするつもりだ。」

 「何をする訳ではありませんが、先刻から手鞠が退屈しておりまして、丁度話し相手を欲しがっていたところでございまして、寿院殿にお会いしたのは幸いでございます。手鞠、わかっているな?寿院殿から離れてはなりませんぞ。」

 「うん、わかっている。寿院から離れない。父様も気をつけてな」

 「大丈夫だ。心配するな。」

 寿院は琵琶法師がこれから何をするのかぼんやりとしていたが、予測はついた。予測はついたが、それは寿院の思考の領域を超えたものだったので具体化が出来ず、ぼんやりしていたのだ。

 寿院の予測通り夜一よいちは、物乞いの童の隣に腰を下ろした。わらべ夜一よいちを見ると微笑んだ。寿院にはその表情は見えなかったが、寿院の脳がそれを補足した。夜一よいちわらべの頭をさすると、深い呼吸をし、琵琶を弾き始めた。と、同時にわらべの口が微妙に動く。すると琵琶法師が流暢に歌い出した。

 「あれってお化け屋敷なんだよ。」手鞠の声で琵琶法師が何を歌ったのか聞き取れなかった。だから寿院は手鞠の言葉を聞かずに琵琶法師の歌に集中した。だが手鞠は容赦なかった。

 「父様、即興で歌っているように見えるでしょう。でも違うんだよ。あの歌は隣でつぅちゃんが呟いている言葉を速攻で歌っているんだ。父様とつぅちゃんはいつも息ぴったりなんだ。」

 「へぇ、物乞いの子はつぅちゃんって言うのか?いつもああやって歌っているのかい?」

 「いつもじゃないけど、時々ね。聞き惚れるでしょう」

 「そうだね。何て歌っているんだろう?」

 「呪いの歌みたいだね。うーん、呪いたい者と呪われる者、共に死ぬ定め、定めは誰が決める。呪いの王が決める?呪いの王は愚かだからそれは決められぬ。決められると思い違いをして、人の運命を決める。呪いの王は我は神なりと信じる愚かな凡夫ぼんぷ。罰を畏れぬ愚かな凡夫…こんな感じで歌っているよ。」

 「さすが手鞠。よく聞き取れたね。」

 「寿院が馬鹿すぎるんだよ。」

 「そうだな。手鞠、これって今巷を賑わしている呪い屋の歌なのか?」

 「そうだね。」

 「なんで?今、この場所なのだ?」

 「つぅちゃんも父様も無駄なことはしないよ。多分何か意味があるんだよ。手鞠もわからないけど、観てたらわかるよ。多分。あのお化け屋敷、皆人が住んでいないと思っているんだけど、つぅちゃんはそう思っていないのかも。だってつぅちゃんあのお化け屋敷に向かって呟いているもの」

 手鞠が言うお化け屋敷の様子は民家の陰から死角になって見えなかった。

 「手鞠、そのお化け屋敷が見える位置に移動したいのだけどここに一人でいられるか?」

 「手鞠も行く。向かいの家の塀の中に入れば、塀の隙間からお化け屋敷が見えるよ。でもそうすると父様たちが見えなくなる。」

 「手鞠はここに来たことがあるのか?」

 「うん。あるよ。つぅちゃん、呪い屋のこと追っていたから。呪い屋は家を転々としていているから誰も正体がわからないんだよ。でもつぅちゃんを誤魔化すことはできない。つぅちゃんに町のことでわからないことなんかないんだよ。」

 「物乞いのわらべは…」

 「つぅちゃんだね。」

 「つぅちゃんね。あの子は本当に物乞いなのか?」

 「それは手鞠もわからない。でも物乞いなんかではないよ。父様が言うにはつぅちゃんは不思議なんだって。父様は目が見えないのにつぅちゃんの周囲は他の誰よりも光っているように見えるんだって。町のいろんな所から光の塊がつぅちゃんに集まってくるんだ。そしてその光はつぅちゃんの身体に入っていく。それをつぅちゃんに話してみると、町のいろんな会話や独り言。気が遠くなるくらいの無数の言葉が見えるって言っていた。人より何倍も耳がいいんだろうけど、聞こえるとはちょっと違うんだって笑っていたけど、父様はそうではないと言っていた。言葉は霊魂、あるいは精霊によって運ばれているに違いない言霊だ。と。そうでなかったら、あんなにも輝いていない。手鞠にはわからないけど、でもつぅちゃんは不思議だってわかる。だってつぅちゃんといるとすごく幸福を感じる。他の誰にも感じたことないんだよ。」

 手鞠と話していると、いつのまにか、物乞いのわらべの前に黒い着物を着た少年が立っていた。手鞠との会話に夢中になっていたことに気づかなかったのだ。

 「手鞠、なんか話している。聞こえない。聞こえる所に移動できないかな?」

 「今、動いたら見つかっちゃうよ。お前何している?って言ってるみたいだよ。つぅちゃんはそれを無視して、いつものように呟いているし、父様も歌っている。」

 「相手が子供だからって危なくないだろうか?」

 「でも、今出て行ったら、きっと父様たちに迷惑がかかる。」

 物乞いのわらべと少年はじっと対峙していた。すると、少年が懐から呪符を取り出して、童の額にバシッと貼った。

 「貴様に呪いの本当の怖さを教えてやるよ」と、少年が凄む。

 しかし、わらべは微動だにしない。夜一よいちさえも少年を無視していた。少年は、片方の手の人差し指と中指をピンと張って眉間に突き立て声を上げ呪文を唱え始めた。童に貼られた呪符がゆらゆらと踊り始める。次第にその動きが大きくなっていく。やがて動きが激しくなると、パチンとなって呪符が舞い上がりボッと燃え消えてなくなった。少年は、ひどく驚いて腰が抜けたのか尻餅をついた。

 「貴様、何をした!」少年は叫んだ。

 「人を呪う者は、呪いによって破滅の因を積む。其方そなたらの破滅はもう目の前まで来ている。」わらべが言う。

 「貴様何を言う!」

 その時、別の少年がわらべに歩み寄ってきた。少年は刀を持っている。一瞬に緊迫感が走った。

 「なんだお前?邪魔ばかりして。馬鹿にして、蔑んでいるのだな、お前の命は貰うぞ。」と、少年は刀を振り上げた。

 「おい、手鞠大丈夫なのか?」と、寿院はその場を離れようとしたが、手鞠に着物を捕まれた。寿院の勢いに手鞠の身体はふわっと浮いて、民家の壁に衝突した。寿院が手鞠を気遣っているうちに刀を振り上げた少年が横倒しになり、刃先が地面に突き刺さっていた。

 「てめぇ、物乞い、大概にしろ!」と、再び地面から刀を抜き、物乞いの童に向かって振り上げた途端、少年の身体が硬直し、やがて地面に倒れた。

 寿院は何が起こっているのか理解できなかった。寿院の着物に捕まった手鞠が微笑んで「ほらね。大丈夫でしょう。」と言うより早く寿院は民家の陰から飛び出していた。あたりの様子も窺わずに夢中でわらべの傍に駆け寄っていた。

 「おい、大丈夫なのか?」

 「寿院様駄目です。出てきては」

 「いやっ、殺されていたかもしれないのだぞ」

 「大丈夫です。今日はもう引き揚げます。どうやらこんな子供を引き留める大人もいないのでしょうから」

 寿院はほっとした表情を浮かべると、わらべの両手首を掴まえてゆっくりと立たせた。

 「もう、こんな危ないことをしないでくれよ。子供とはいえ、一人はお前さんより歳が上の男の子だろう。刀なんか振り回す危ない奴ではないか。」

 「この子は女子おなごですよ」と、わらべは微笑した。

 寿院は、驚いて、そこに倒れている子供を見た。「これの何処が女子おなごなのだ。」と、呆然とした。

 刀を持ってきた子供はすっかり気を失っていたが、最初に出てきた少年は、瞳をかっと開き、唇をわなわな震わせていた。正気を失っているようだった。

 物乞いのわらべむしろを巻き始め、夜一よいちは、寿院の後を追いかけてきた手鞠に手を引かれ立ち上がった。

 「さて、長居は無用です」と、夜一よいちが言う。

 「待って。あのお化け屋敷に呪い屋がいるのなら、正体をつきとめるよ。わたしは呪い屋の被害者から頼まれたのだ」と、寿院は、引き留めた。

 「寿院様、歩きながら話しましょう。」とわらべが言う。寿院は仕方なく、先を行く三人との、僅かな距離を埋めた。

 「呪い屋は用心深い。普段だったら、どんなに挑発したところで門を開けて出てくるはずがないのです。ところが今日は子供が二人出てきました。用心深い者たちが不在だったと言うことでしょう。子供を止める者がいなかったのでしょうから。つまり呪い屋は、今日は仕事に出ていると言うことです。」

 「なるほど」と、寿院が言う。「それはわかった。ところでわらべ、さっきのアレは何だ?呪符が燃えたり、あの女子がお前に刀を振り上げた途端、横倒れになったよな。その後、また刀を振り上げたら身体が硬直して倒れたが、いったい何をしたのだ。」

 「寿院。それを聞いては駄目だ。つぅちゃんは守られているんだよ。従者に」と、手鞠が言う。その時、わらべは、手鞠に向かって、「しぃ。」と人差し指を唇の前に立てた。

 「従者?いったい何者なのだ。物乞いでないのは間違いないな」と寿院は呟いた。

 寿院は、暫く黙り込んだ。頭の中を整理する為だ。しかし何から整理していいのか正直分からなかった。整理する項目が大きく二つあるのだが、勿論寿院にとってこの物乞いのわらべに興味が注がれていた。

 わらべは、寿院の数歩先を歩いていた。道の先には十字路があり、今歩いている道は人通りがなく静かだけど、十字路には行き交う人々の姿が見えていた。ひとつ道を外すと、こんなにも静かなのだろうかと、寿院は思う。やがてわらべが十字路の中に入ると右折して姿を消した。寿院も慌てて後を追い童の姿を探した。むしろを抱えたわらべは、うつむきながらしっかりと歩いていたが、辺りを見ようとはしない。暫くすると、琵琶法師と手鞠の姿が見えなくなっていた。十字路に入ると、暗黙の了解で見知らぬふりをして別れるのだろう。

 辺りの光景を見ながら、さてこの先どうしたものか。と寿院は考えた。このままわらべについて行っても良いのか?わらべは、すでに寿院の存在を忘れているかのようだ。わらべに出会ったのはたったの二回なのだ。なのに、もう随分前から知った者のような気がした。これもわらべが持っている独特なものだ。手鞠が言っていた「幸福」と相通ずるものがある。ぼんやりとそんなことを考えていると、突然童が立ち止まって、くるくる辺りを見回した。と思うと、路地の隅に寄って、いつものように塀の傍にむしろを敷き座った。その姿を見て、身分の違和感を覚えたのがその姿勢だった。と、改めて思う。それにボロを纏っているが、袖から出た両腕は白くて、肌に艶がある。物乞いの腕ではなかった。何と言うか説明の付かない品の良さが滲み出ていたのだが、そうした姿に誰も気づかないのだろうか?

 寿院は、吸い込まれるようにわらべの前で立ち止まり、その姿を見下ろした。

 「寿院様、少しの間でしたら隣に座っても大丈夫ですよ」と、わらべは言った。

 「座ってもいいのか?」

 「我に尋ねたいことがお有りなのでしょう。」

 「うーむ。確かに尋ねたいことはある。しかし何から尋ねていいのか分からないなぁ」と、寿院はわらべの横に座った。むしろから半分はみ出た尻に段差を感じる。

 「もしかして、前に会った時、わたしが呪い屋のことを調べていると知っていた?」と、何も思いつかない寿院は、唐突に聞いた。

 「知っていました。寿院様って、あまりご自身のこと分かっていらっしゃらないでしょう?其方そなたがいつもふらふら歩いていらっしゃるのを存じておりました。でも寿院様は目的もなくふらふら歩く方ではないのですよ。いつも辺りを見回し、ご自身に必要な物を探し、必ず見つけているのです。もしそれに気付いていないのなら、其方そなたはすごいお方なのですよ。きちんと目的を分かっていらっしゃって、そこに確実に向かっていて、そして辿り着くのです。ですから今日お会いする事が出来たのです。我は確信していたのですよ。」

 「確信?」

 「別に呪い屋を追いかけていたのではないのです。我は寿院様が追いかけている呪い屋を追いかけたのです。寿院様が追っていなければ、我も追わない。」

 「うーむ。何か、こう呪い屋を追いかけることに違いがあるのか?」

 「寿院様は、そこいらへんを歩いている人とは違うのですよ。いえ、違いすぎて、我はいつも知らず知らずのうちに探していたのです。そしたら寿院様が見つけてくれた。」

 「えぇ、嘘でしょう。あんなに冷たかったのに?」

 「其方そなたが呪い屋を探していたとすぐに分かりましたよ。其方そなたは真っ直ぐだから。真っ直ぐだからこそすぐに呪い屋にたどり着いた。」

 「何を言っている?お前が教えてくれなきゃわたしは何も分からなかったぞ」

 「我は其方そなたに聞いていたから、わかったのですよ。寿院様はご自身を知らな過ぎます。寿院様は普通の人より膨大な言葉に包まれながら、いつもいつも歩いていらっしゃるのですよ。ご自身でも、幾つもの必要な言葉や光景を目にして、寸分の狂いなく選んでいる。それを無意識下で行っているという驚異的なことをしているんです。びっくりです。」

 「うーむ、わたしにはお前が言っている事がわからないなぁ」

 「でしたらひとつ、其方そなたの言葉から教えてもらった事がある。」

 「うん?わたしの言葉から教えてもらった?言葉から…?言ってる意味がそもそも分からないなぁ」

 「だから驚異なのですよ。秦家の若君は、九堂家の若君を恨んでいた。それは好きな女子おなごを殺されたからではない。そもそも秦家の若君には好きな女子おなごなどいなかった。ただ優秀な九堂家の若君に嫉妬し、決まっていた出世を妬み潰したかっただけ。噂は作られたものにすぎなかった。それを其方から教えて貰ったのだよ。」

 寿院は、黙り込んだ。言葉?それは寿院がたくさんふらふらふらついて聞き込んだ言葉。それを何故、わらべが知っているのだ?寿院は夜一よいちの言葉を思い出した。霊魂、或いは精霊が、本当に言葉を運んできて、このわらべの中に入り込むのだろうか?

 「噂とは故意に流されるから急激に流布されるのだ。と、理解したよ。今回は秦の若様の謀略にすぎない。九堂家の若様の姿がまったく見えなかった。悪い連中と連んでいなかったし、ましてや女子おなごを監禁したり、そんなことができる人ではなかった。本当に真面目で、学問一筋な人だった。それが噂一つで運命が狂わされてしまった。恐らく自殺だったのだろう。わたしは無能だった。」寿院は、自分自身でわらべの言葉を続けた。

 わらべが微笑した。「ほらっ。其方そなたの中から溢れてくるのですよ。其方そなたの言葉が。」

 「わたしの言葉?」

 「そして其方そなたは秦の若君の行動範囲を調べ、幾つかの、呪符を剥がした後を見つけたのではないのですか?あっ、これは我の想像ですけどね。」

 「それは想像なのか?」

 「想像といっても、其方そなたの断片的な言葉を並べて、組立てているのですから、当たっているでしょう?」

 「恐れ入ったよ。お前のその能力は何なのだ。わたしは仕事柄、不可思議な能力を誇示してくる多くの者を見てきた。預言者、呪術師、祓い屋、霊能者、妖力、イタコ。どれもこれも全部、かたりだったよ。」

 「寿院様の、その能力の方が驚異です。でも寿院様、これからは寿院様に会っても声はかけませんので、寿院様もそうして下さい。我は義父に言葉を集めても干渉するなと言われています。これを知られると、義父から罰せられますので。」

 「あぁ、義父がいたのか?そして従者か。そうだな。寂しいがもう簡単には声はかけられないな。たった二回しか会っていないのになぁ」

 「そうですね。其方そなたには二回だったかもしれませんが、我は幾度も其方そなたを見ていた。いつもいつも言葉の渦を連れて。どんなに遠くにいても、すぐに其方そなただと分かりました。」と、わらべが笑う。

 それから暫くして呪い屋は、貴族のある屋敷で大勢の平家の密偵に囲まれて、一族皆殺しになった。清盛公が呪いを恐れ、呪いを行う全てのものを一掃したという話しだったが、あの呪い屋に関しては密告者がいたという噂があった。また、噂を流され、平家を誘導する者がいたとか、様々な噂が飛び交った。

 しかし寿院には、そんな世間の話題より、呪い屋襲撃の夜、突然童が訪ねて来たことに驚いた。

 わらべは子供のようにしゃくり上げ、辺り構わず泣いていた。子供ではあるのだが、わらべには似つかわしくない泣き方だった。寿院の家の門の前で立ちすくみ、門の中に入ろうとはしなかったが、入口から寿院が姿を見せた途端、突然童は走り出し、寿院にしがみついた。

 「どうした?わらべ、何があったのだ?」

 「寿院。」

 「おぅ、呼び捨てかよ。」

 「手鞠が。手鞠が呪い屋の騒動に巻き込まれて、亡くなった。」

 「手鞠が?何があったんだ?」

 「夜一殿が言うには、ぐすん…呪い屋の子供が斬られるのを助けようとして、斬られた。と。」

 「平家の密偵がやったのか?」

 「そうとも言うが、そうでないとも言える。夜一よいちは目が見えない。しかし、夜一よいちは我には言わなかったが、手鞠を切った者の身体からお香の匂いがした。と。お香の匂いと言えば、あの女子おなご。」

 「あぁ、お前を切ろうとしたあの女子おなごか?」

 「あの女子おなごから匂ってきたのを覚えている。我は許さない。絶対許せない。必ず、必ず手鞠の仇を討ちます。」

 「わかったから。わかったから、もう泣くなよ。その女子おなごは生きているのだな?」

 「生きている。あの女子おなごは生きている。我が言うのだから間違いないです。」

 「そうか。だったらわたしの仇でもあるな。共に仇を討ちましょうぞ。しぃちゃん。」

 「我はしぃちゃんではない…」

 わらべはいつまでも寿院の衣のなかで泣き、やがて疲れて、眠りに落ちた。

 「それからわたしたちはその女子おなごを探しながら、他の幾つかの事件も片付けたが、やがて、わらべが心配した通り、わたしの家にわらべの義父がやって来たよ。わらべが世間に干渉することは危険であると言いにな。でも、驚いたよ。わらべの義父って、わたしの子供の頃の師匠だったんだよ。何から何まで驚かされたよ。…って言うか、お前聞いているのか?ってか、寝ているのか?隆鷗たかおう…おい」

 「あっ聞いてますよ。それで何でしたっけ。都が埃だらけで…なんでしたっけ?」

 「いや、何でもない。お前にこんな長い話しを聞かせたわたしが馬鹿だったよ。」

 義父に連れて行かれたわらべとは、それから二度と会うことはなかった。しかし、それと入れ違いのようにお前が突然やって来たのだ。師匠のふみたずさえて。師匠がわたしを信じてくれたことが嬉しかったよ。と寿院は声に出さなかったが、そう続けていた。

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