嘘の城

半ノ木ゆか

*嘘の城*

「エイプリルフール?」

 鬱蒼とした森の中を四人で歩いていたら、杏子あんずが首をかしげた。妹に言い聞かせるように覇空はくは教えてやった。

「一年で一度だけ、嘘をついても許される日だよ。地球の暦だと、明日に当るはずだ」

 薄黄色の空に、大小二つの太陽が昇っている。彼らは十年前、突如この世界に迷い込んだのだ。

 覇空は当時、中学生だった。何の前触れもなかった。下校中に気を失って、気付くと一人、薄暗い森の中に倒れていた。

 訳も分らず小迷さまよっていると、隣のクラスの卯美うみとばったり出くわした。あとで知ったことだが、ここに来たのは彼らだけではなかった。年齢や性別を問わず、約二百人が同時に異世界に送り込まれていたのだ。

 この世界には、本来人間が存在しなかったらしい。手付かずの自然がどこまでも広がっている。二百人はそれぞれの知識や智恵を出し合って、道具を作り、森を拓き、しまいには立派な町まで築き上げた。今ではすっかりこちらの生活にも馴染んで、皆、悠々自適に暮している。

 だが、全く不自由のない、平和な世界とも言い切れない。彼らが「魔族」と呼び、恐れている存在があるのだ。

「魔族ってどんな人たちなの?」

 杏子が、紅玉のような美しい瞳で三人を見上げた。

 杏子はつい先日、この仲間に加わった。彼らに血のつながりはないが、身寄りのない杏子のことを、三人は年の離れた妹のように可愛がっている。年齢からして、この世界で生れたようだ。

「それが、よく分らないの」

 卯美が言った。

「夜、みんなが寝静まったころにやってくるから、誰もはっきりと姿を見たことがないんだって。でも、町を散々荒らして、食べ物を盗んだり、人を殺したりするの」

「だから僕たちが魔族の城へ、そいつらを退治しに行くんだ」

 弓と剣をちらつかせて、覇空が誇らしげに言った。

「案外、人間と同じ姿だったりしてな」

 首をぽりぽりと搔きながら、陸斗りくとがそんなことを言った。

「まさか!」

 森の中に、四人の笑い声がこだました。


 杏子は足音を立てぬよう、草むらにそっとひざまずいた。えびらから矢を抜いて、弓につがえる。杏子はしばし息を止めた。

 真っ直ぐ風を切って飛んでゆく。矢は森の奥の、小さな木製の的に命中した。

「やった! 杏子は飲み込みが早いな」

 覇空が自分のことのように喜ぶ。二人は軽くグータッチした。

は大したことないよ。覇空の教え方が上手いから」

 黒いショートヘアを揺らして、杏子が恥しそうに笑う。そして、宣言するように言った。

「明日にでも、きっと大物を射貫いてみせるよ」

 天幕の下では、卯美が薬研やげんを扱っていた。何かを擂り潰しているらしい。杏子が興味深そうに顔を覗かせる。

「卯美、何作ってるの?」

 毒々しいキノコのような物、何かの実、動物の臓器と思しき物――彼女の周りには、怪しげな材料がずらりと並んでいた。

 卯美は内緒話をするように言った。

「ふふっ。できてからのお楽しみだよ」

「……上手くいかないなあ」

 外で声が聞こえた。杏子と卯美は顔を見合せて、天幕を出た。

 覇空が一本の高木を見上げている。視線をたどると、美味しそうなの実がたくさんなっていた。手の届く高さに枝はなく、幹はつるつるとしている。登るのは難しそうだ。

 覇空は勢いをつけて、幹を蹴り上げた。だが、わずかに左右に揺れただけで、木の実が落ちてくる気配はない。

「俺を呼んだか?」

 斧を背負った陸斗が、意気揚々と現れた。

 汗を拭い、彼は自慢の斧を振るった。天幕の方向に倒れないよう、計算しながら切り込んでゆく。

 みずみずしい幹の内側が、すっかりあらわになった頃。黙々と作業していた陸斗が、突然呼びかけた。

「俺の後ろに来い。倒れるぞ」

 彼の言った通りだった。高木が、鈍い音を立てて傾いてゆく。森の間隙に倒れ、木の葉が舞った。獣や鳥に似た小さな生物が、慌ててうろから逃げ出してゆく。

 三人は肩を寄せ合って喜んだ。杏子だけは呆気にとられたように、その場に立ち尽している。

 四人は木の実の近くに駈け寄った。実は傷んでいないようだ。

「この実、食べられるよな?」

「うん。まだ青い実も、野菜として使えるよ」

 覇空が訊ね、卯美が答えた。

 熟れすぎた実から、小さな尺取虫のような生き物が這い出てくる。陸斗はそれを、ブーツのかかとで踏み潰した。


 小川には、魚によく似たすばしっこい生き物が住んでいた。ズボンの裾をまくった陸斗が、ざぶざぶと歩いてゆく。

 川岸に立ち、杏子が呼びかけた。

「陸斗! ぼく、果物だけで十分だよ。無理しなくていいよ」

 陸斗は「ははは!」と豪快に笑った。

「果物だけじゃ、人間は生きられないんだ。蛋白質を摂らなきゃ、元気が出ないんだぞ」

 狙いを定め、もりを一突きする。だが、銛先は水底の石にかつんと当った。逃げてゆく魚影を眺め、陸斗はぽりぽりと首を搔いた。

「おい! 卯美がまた変なことやってるぞ!」

 川上から覇空が呼びかけた。

 卯美は、陶器の瓶のようなものを抱えていた。栓を抜くと、妙な臭いが鼻を突いた。どろっとした液体が入っている。杏子は鼻をつまみ、眉尻を下げた。

「撒餌か? ここは水の流れが速いから、すぐに下流に行っちまうぞ。その量じゃ、とても足らないだろ」

 陸斗の言葉に、卯美は「えへん」と胸を反らした。

「私がそんなヘマをすると思う?」

 彼女は川べりにしゃがみ込むと、中身をどぼどぼと川に注いだ。液体は紫色だ。どう見ても撒餌ではない。杏子にもすぐに分った。

 陸斗の言ったとおり、液体は瞬く間に水面に広がり、川下へと流れていった。卯美は中身をすっかり流したことを確め、立ち上がった。

「私にいてきて。面白いものを見せてあげる」

 彼女に導かれ、三人は下流へと歩いて行った。量は少いが、濃い液体を使ったのだろう。川全体が薄紫色に染まっている。

 ほどなくして、卯美が立ち止まった。川をよく見ると、網が二、三メートルごとに三重に張ってあった。上流のものほど目が粗く、下流に行くほど目が細かくなっていた。彼女があらかじめ仕掛けておいたのだ。

「見て! 真ん中の網!」

 杏子が指差した。

 そちらを見て、覇空と陸斗は目を丸くした。あの魚のような生き物たちが、白いお腹を水面に出してぷかぷかと浮んでいたのだ。

「まさか……毒を撒いたんじゃないだろうね」

 顔を青くして、覇空が訊ねる。卯美はぱちりとウインクして答えた。

「覇空くん、そのまさかだよ」

「あんたイカれてんのか!?」

 陸斗が鬼の形相で言った。

「毒で死んだ魚なんか喰えるわけねえだろ!」

「大丈夫、大丈夫」

 卯美が落ち着かせるように言った。

「私の作った毒は、この世界の生き物にしか効かないの。人間が食べても問題ないよ」

 四人で網を引き上げて、獲物を仕分ける。目の粗い網には枝などの大きなごみが、目の細かい網にはサワガニに似た小さな生き物がかかっていた。卯美もよく考えたものだ。

「卯美、この子たちは……」

 杏子の手のひらには、小エビや昆虫に似た生き物が無数にのっていた。皆、既に死んでいる。

 卯美はくすくすと笑った。

「杏子ちゃん、そんな虫を食べたらお腹壊しちゃうよ。早く捨てちゃいなさい」


 黒い鳥のような生き物がいた。大きさは人の背丈と同じくらい。鋭い鉤爪の生えた足で、木漏日の中を歩いている。卯美は茂みに身を潜め、待ち伏せていた。

 目の前に躍り出て、ぱっと網を投げる。それより早く、鳥が彼女に気付いた。鳥は巨大な翼で飛び立つと、あっという間に空高く逃げ去ってしまった。

 しょんぼりしながら網を畳み直していると、覇空が言った。

「残念だけど、あの鳥は捕まえられないよ」

 卯美は彼にジト目を向けた。

「覇空は弓が上手いから、簡単に射止められるだろうね」

「いや、僕も無理だ」

 覇空は言った。

「町のはずれに、この世界の生物について研究してる人がいてね。地球にいた頃は、動物行動学者をやってたんだ。狩りの役に立つから、僕もよく通って、話を聞いてるんだよ」

 彼は続けた。

「その人が言うには、あの鳥はかなり利口な種族らしい。木の枝を釣竿みたいに使って、魚を捕らえていたところも目撃されてる。鳴き声を調べてみると、人間の言語のように文法があった。その言葉で情報をやりとりして、危険を知らせ合ったり、役割を分担したりしてるんだ」

「じゃあ、どうやって捕まえればいいの」

 覇空は薄笑いを浮べた。

「頭の良さを逆手に取るんだよ……一日早いエイプリルフールだ」

 覇空は河原で拾ってきた石を、森の地面の適当な場所に敷き詰めていった。それを手伝いながら、陸斗が首をかしげた。

「俺たちは一体、何をやらされてるんだ?」

「偽の巣を作ってるんだよ」

 覇空が言った。

「あの黒い鳥は、巣の入口に、こういう小路をつくる習性があるんだ。空からこの路を見つけたら、きっと騙されて降りてくるはず。仲間がいるんじゃないかと様子をうかがっている隙に、皆で射殺せばいいんだよ」

「……もう、みんなやめてよ」

 杏子が弱々しい声で言った。今にも泣きそうな顔だった。

「木の実もたくさん採れたし、魚も人数分用意できた。これ以上、命を奪う必要はないでしょ。さっさと夕飯食べて寝ちゃおうよ」

 陸斗が諭すように言った。

「地球には、『腹が減っては戦はできぬ』っていう言葉があるんだ。明日はいよいよ魔族の城に着く。せっかくここまで来たのに、空腹なんかで負けちまったら、町のみんなはどうなるんだ」

 卯美も頷いた。

「生き物がかわいそうだって思う気持はわかるけど、どんな生き物も、他の生き物の命をもらって生きてるんだよ。動物は、植物や他の動物を食べて生きているし、植物も、動物や他の植物の亡骸を栄養にして成長するの。地球でもこの世界でも、その仕組は変らないよ」

 杏子は結局、みんなに言いくるめられてしまった。

 夕暮時。覇空、卯美、陸斗の三人は、茂みに隠れて獲物を待ち伏せていた。皆、弓矢を携えている。準備は万端だ。

「……杏子ちゃん、何やってるんだろう」

 卯美が呟く。振り返って、覇空は「わっ」と声を上げた。杏子が木に登って、手鏡を空に向けていたのだ。

「杏子!」

 杏子はぴくりと身をすくめた。

「夕日が反射して、鳥に見つかっちゃうだろ。やめなさい」

 杏子は軽い身のこなしで地面に降り立った。手鏡を渋々仕舞い、不安気に空を見る。

「来たぞ」

 陸斗が言った。

 彼らの頭上で一羽が旋回している。偽の巣を見つけたのだ。だが、なかなか降りてこなかった。警戒しているらしい。

 その鳥は一旦引き返した後、仲間の二羽を連れて戻ってきた。三人から少し離れた場所に降り立ち、様子をうかがいながら近づいてくる。覇空は息を殺した。

 リーダーと思われる一羽が、小路に踏み入った時だ。

「今だ!」

 覇空の掛声で、三人は一斉に矢を放った。他の二羽が驚いて飛び立つ。三対一なら、結果は目に見えている。黒い鳥は悲痛な声を上げた。

 杏子が思わず叫んだ。

「覇空、やめて!!」

 彼は無視した。覇空の最後の矢がひゅうと飛んで、鳥の頭を貫いた。鳥はもがきながら、何か複雑な鳴き声を発した。助けを求める言葉だったのかもしれないが、三人には伝わらない。

 鳥の声がだんだんと小さくなる。やがてぐったりとして、ぴくりとも動かなくなった。

 覇空はつかつかと歩いて行くと、足先で死骸をひっくり返した。赤い目が二つ、顔の正面についていて、不気味なほど人間に似ている。彼は皆に報告した。

「大物だ。今夜は腹いっぱい食べられるよ」

 焚火を囲んで、三人はご馳走を堪能した。「旨い、旨い」と頷きながら、陸斗が焼魚に喰らい付く。卯美が心配して声を掛けた。

「杏子ちゃん、食べないの?」

 杏子は皆から距離をとって、小さく縮こまっている。

「ぼく、要らない。お腹空いてない」

 覇空と卯美は顔を見合せた。


 辺りを見張りながら、覇空は新しい矢を作っていた。杏子が起きてきたので、彼は目を丸くした。

「どうしたの。火は三人で交代して見るから、眠ってていいって言ったのに」

「そうじゃなくて。ちょっと、話したいことがあって」

 杏子は彼の隣に坐ると、ぽつりぽつりと話しはじめた。

「……実はぼく、みんなに嘘をついてるんだ。ぼくの正体は、人間に化けた魔族なんだ。魔王の息子で、間者としてここに送り込まれたんだよ」

 覇空はぽかんとしてしまった。

 この子は一体、何を言っているんだろう。

「このまま進めば、明日三人は殺される。でも、これ以上悪さをしなければ、父上も許してくれるはずだ。だから――」

「杏子」

 覇空は呼びかけて、杏子の膝に何かを置いた。作ったばかりの新しい矢だった。黒い羽根が使われている。さっきの鳥からむしった物だ。

「杏子、まだエイプリルフールじゃないよ」

 月はまだ、空のてっぺんに昇り切っていなかった。

「そっか。……えへへ、間違えちゃった」

 杏子は笑った。笑っていたが、目は泣いていた。

 彼は杏子をいたわるように言った。

「魔族が怖いから、そんな嘘をつくんだな。でも、大丈夫。杏子は僕が必ず守るよ」

 杏子は貰った矢を握りしめて、ぽろぽろと涙をこぼしていた。


「覇空、これはどういうことなんだ!」

 あくる日、一行は困惑していた。

 聞いていた話では、ここに魔族の城があるはずだった。だが、行けども行けども木と岩ばかり。詰まるところ、ただの山だったのだ。

「おかしいなあ」

 覇空は腕を組んで考え込んだ。

「場所は絶対、ここで合ってるはずだけど」

「私がもういっぺん、探してこようか?」

 卯美が提案した時だった。

「みんな、足下を見てよ!」

 杏子が言った。

 三人は改めて地面を眺めた。一見すると、ただ森の中に石が転がっているようにも思える。だが、表面が不自然に削れて、平らになっていた。

「これは……石畳か?」

「ねえ、なんか甘い匂いがしない?」

 卯美が言った。辺りには微かに、砂糖菓子のような香りが漂っている。

「この匂い、あっちから流れてくるよ」

「石畳も同じほうに続いてる」

 導かれるように歩みを進める。

 目の前の光景に、彼らは驚きの声を上げた。さっき通り過ぎたはずの場所に、立派な城門が構えていたのだ。

「魔族の城だ」

 覇空は息をのんだ。

 塀の向こうには、レンガ造りの見張台や、はためく軍旗も見える。こんなに大きな建物を見逃していたのが不思議だった。

「どうやって忍び込もう」

「できるだけ少人数で、目立たない場所を選びたいよね」

「じゃあ、ぼくが行くよ」

 杏子が言った。三人は慌てて止めた。

「無茶言うな。子供には任せられない」

「捕まったら、殺されちゃうかもしれないよ」

 だが、杏子は引き下がらなかった。

「ぼくはみんなより体が小さいから、目立たないよ。それに、逃げ足にも自信がある」

「すぐに戻ってくるね」と言い残して、杏子はたった一人、城壁を乗り越えていった。

 杏子が戻ってこないまま、時間ばかりが過ぎてゆく。「本当に捕まっちゃったんじゃないよね?」と、卯美が声を震わせる。

 覇空は意を決した。

「僕が助けに行く」

 二人の制止を振り切って、彼は城壁を乗り越えた。すぐそばに、銀色の鎧を着た騎士がいた。

「言わんこっちゃない。見つかっちまったじゃないか!」

 いてきた陸斗が、頭を抱えた。

 覇空が剣を抜いて応戦する。意外なことに、騎士はあっけなく倒されてしまった。

「どうか、命だけは……」

 兜がぽろりと外れる。素顔を見て、三人は目を白黒させた。

 騎士は、まごうことなき人間の姿だったのだ。

「先ほどは、警備の者が無礼をはたらきまして……」

「いえいえ、勝手に忍び込んだ僕たちが悪いんです」

 覇空、卯美、陸斗の三人は、城の大広間に招かれた。長いテーブルの上には、豪華な食事が所狭しと並んでいる。

「あの、すみません。私たちより先に、ショートヘアの可愛い子がやってきませんでしたか」

 卯美が訊ねる。杏子はあれっきり、三人に顔を見せていない。

「いいえ、見ておりませんが」

「俺たち、ここが魔族の城なんじゃないかって疑っていたんです。あんたら、本当に魔族じゃないんですよね?」

 陸斗は喰い気味に訊ねた。相手はきょとんとして、それから「ハハ」と小さく笑った。

「魔族の城? 何を仰っているのですか。ご安心ください、ここは確かに人間のですよ」

 卯美が、果実酒をこくんと喉に通す。覇空と陸斗も、グラスに口をつけようとした時だった。

「二人とも、飲んじゃだめ!」

 卯美が叫んだ。

 見ると、彼女の顔が真っ白になっている。手足はがたがたと震えていて、呼吸は荒かった。

 卯美のグラスが大理石の床に落ちて、パリンと砕け散る。彼女は椅子ごと倒れて、そのまま息を引き取ってしまった。

 陸斗のこめかみを、一筋の汗が伝った。

 陸斗は出口を目指し、一目散に駈け出した。だが、騎士がすぐ追いかけてきて、斧で彼の腿を断ち切った。

 彼の片手を、騎士がかかとで踏み潰す。陸斗は野太い悲鳴を上げて、絶命した。

「待ってくれ! たのむ……」

 覇空は叫んだ。だが、彼の声は恐怖で震えていて、獣の唸り声のようにしか聞こえなかった。

 弓兵たちは既に、覇空に狙いを定めている。椅子伝いに歩きながら、彼は言った。

「これは命乞いじゃない。ただ、最期に教えてほしいんだ。君たちは、いったい何者だ。僕たちに、どんな恨みがあるって言うんだ」

 ギギギと音を立てて、正面の扉が開く。外に立っていた影に、彼は目を見張った。

 黒い羽毛で被われた体に、鉤爪をそなえた細い足。顔の正面には、紅玉のような二つの目が並んでいる。人間大の巨大な鳥が、覇空を真っ直ぐ見据えていたのだ。

 彼はごくんと唾を飲み、そいつを睨み返した。

「分ったぞ。君たちが魔族だな」

 鳥の王は驚き、そして悲しんだ。

「魔族呼ばわりとは、なんと無礼な。我々は、この世界の人類であるぞ」

 覇空は肝を潰した。

「お前たちの言語は、自然な会話ができる程度に心得ておる。学者を地球に派遣し、お前たちの歴史も調べさせた。お前たちは、自然を従えることで社会を発展させてきたようだな。だが、我々は別の道を歩んだ。――匂いを消せ」

 辺りの景色が一変した。椅子に見えていたのは木の根だった。料理は石ころや落葉である。あの城は、彼らの作った幻だったのだ。

「お前たちをこの世界へ導いたのは、何を隠そうこの私だ。自然と共に生き、社会も発展させてきた我々を知れば、お前たちも心を入れ替えてくれるのではないかと期待したのだ。……だが、期待外れだった」

 冷やかな声に、覇空は怯んだ。

「お前たちは、我々の智性に気付かないだけでなく、我々の住む森を壊し、食べ物を盗み、そして殺した。地球でしでかしたことを、そっくりそのままこの世界で繰り返しておる」

「だからって、こんな仕打はあんまりだ!」

 薄暗い森の中に、覇空の声が響いた。

「エイプリルフールは、罪のない嘘しかついてはいけないんだ。これじゃあただの騙し討ちじゃないか!」

「嘘つきはどちらだ?!」

 王は彼を睨み返した。

「お前たちは自然から生れた身でありながら、世界を自分の物と思い込み、土地を作り変え、食べる以上の命を奪う。お前たちは自然を欺き、裏切ったのだ!!」

 どこからか矢が放たれた。それは鋭く空を切り、覇空の頭を貫通した。

 どさり、彼は人形のように倒れた。彼の頭に突き刺さっていたのは、彼が昨夜作っただった。

 奥の暗がりから弓を持った人物が歩いてくる。その姿に覇空はショックを受けた。喉の奥から呻くように言った。

「まさか、君は本当に」

 信じたくなかった。だが、それは杏子だった。

「アンズー、よくやった」

 王が褒めた。杏子が変化を解く。王と同じ、黒い鳥の姿だった。

 アンズーは父を見上げた。

「中枢神経を射貫きました。もうじき死ぬはずです」

 アンズーはつかつかと歩くと、覇空の傍にひざまずいた。鋭い鉤爪の生えた指で、傷付けぬよう、そっと彼の頰を撫でる。遠离とおざかってゆく意識の中で、鱗のざらざらした感触を覚えた。彼の瞳孔は開き切っていた。彼はもう、瞬きさえできない。

 アンズーは紅玉のような目で、見下すように言った。

「きみたちが夕辺ゆうべ食べたのは、ぼくの母さんだよ。エイプリルフールの嘘、上手につけたかな?」

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