第31話 筆談

「ナビィ、ちょっとこっち来い」


「え、なに?」


 サラが部屋を辞したあと、ヒデヨシはナビィに手招きをした。どう接するのが正解かまだわからなかったが、とにかく、明日の段取りについて話しておかなければならない。サラとは、ナビィが風呂に入っている間に、話し合っておいた。


 ヒデヨシはソファーに腰掛け、ナビィに隣に座るように促した。一瞬、嬉しそうな顔をした彼女を見て、ヒデヨシの胸は軋み、そして、また黒いモヤのようなものが胸の内に広がる。


 黙ってしまったヒデヨシを見て、ナビィは首を傾げた。


「……話さないの?」


 ハッとしたヒデヨシは、ナビィに顔を向け、彼女の肩を軽く叩いた。


「大変だっただろ。少し気分を紛らわせられればと思って。紙とペンでできる、簡単なゲームがある。やるか?」


「うん! やる!」


 ナビィは両手をぎゅっと胸の前で握りしめて、目を輝かせている。相変わらず子どもみたいな喜び方をするな、とヒデヨシは思った。


 デスクに用意されていたメモパットを、ヒデヨシはカフェテーブルの上に置く。体を屈め、それを自分の体の陰に隠すようにして、文字を書いた。


 ヒデヨシが書いた文字を見て、ナビィは目を丸くする。


『この部屋は盗聴•盗撮されている可能性が高い』


 驚きを顔に浮かべたナビィだったが。ヒデヨシの意図を推しはかるような顔をしたあと、ペンを受け取り返事を書く。


『どういうこと? 誰がそんなことを?』


『サラだ』


 ナビィは顔をあげ、ヒデヨシの瞳を覗き込む。「どうして」と顔に書いてあった。ナビィの疑問に文字で答える。


『どうも、ボディガード会社の動きがおかしい。たぶん奴らもお前を狙ってる』


『なんで、サラたちまで私を?』


 ヒデヨシのペンを持つ手が、震える。事実は端的に伝えるべきだ。しかし、その事実は、きっとナビィを傷つける。彼女が、感情を持ったアンドロイドだったなら。


 深く息をついたあと、ヒデヨシはペンを走らせる。ナビィの表情は、見られなかった。どうしても、目を向けることができなかった。


『お前が、本当にアンドロイドだったなら。研究材料として欲しいやつはいっぱいいる。売れば金にもなる。感情を持っていたとしたら、なおさらだ。お前がハヤカワ博士の遺作である可能性が示された今、誰が裏切ってもおかしくない』


『そうかあ』


 一見間抜けに見える四文字を、ナビィはメモに書いた。


 それしか、きっと書けなかったのだ。


『明日、博士の屋敷に行く』


『急だね』


『時間をおけばおくほど囲い込まれる。記憶を取り戻しにいくなら、早いほうがいい。お前はどうしたい? 博士の屋敷に行くこと自体をやめて俺と逃げるか?』


 アンドロイドに意見を聞くというのもおかしな話だ。相手は人間じゃない。それでもヒデヨシは聞いた。無意識に。これまでのナビィとの日々がそうさせたのだろう。


『私は、ヒデヨシと一緒に真実を知りたい。自分の生まれた意味を、知りたいよ』


『そうか』


 ヒデヨシは頷くと、ポケットから取り出したものをナビィの手に握らせた。


『屋敷の調査を終えたあと、逃げられるタイミングで、逃げる。これを使うときが来たら、合図する』


 ペンを置くと、ヒデヨシの手にナビィの手が重ねられた。不思議と温もりが感じられる。内部のモーターが稼働する際に、熱を発しているのだろうか。


 ヘーゼルブラウンの瞳が、ヒデヨシの濃茶色の瞳を捉える。ナビィはなにかを言おうとしたが、それが言葉になることはなかった。

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