第32話 ナビィ・レコード
「ひどい荒れようですね」
そう言ってサラは、ハヤカワ博士の屋敷の塀を見上げた。
「まったくだ」
ヒデヨシも同意しつつ、前回来たときよりも罵詈雑言の落書きが増えた塀を眺めた。時刻は午後二時に差し掛かっている。
ナビィが通ってきた塀の穴を通り、ヒデヨシ一行は中へ侵入する。長年手入れがされていなかったせいか、縦横無尽に植物が生えていた。もはやジャングルと言っても過言ではない。
広大な庭を抜け、建物の入り口にたどり着く。ジープに乗れというサラの意向を跳ね除け、乗ってきたマテオのスクーターを裏手に駐めた。近くで見ると、思ったより大きな洋館だった。玄関の鍵は壊されていて、誰でも中に入れる状態になっている。
「夜は若者の溜まり場になっているようです」
サラが補足した。かつては木造の洒落た屋敷だったはずの建物だが、「溜まり場」として利用されるうち、あちこち壊され、落書きをされ、無惨な有様になっていた。
「強盗目的の人も、いたのかもしれないね……」
ナビィの言葉通り、どこもかしこもひっくり返されたように物が溢れていた。値の張りそうなものは根こそぎ奪われている印象で、枯れ果てた観葉植物や、壊れた古い家具などが散乱している。
電気の供給は止まっており、冷房もなく、中は蒸し風呂のようだった。ヒデヨシとサラが玉のように吹き出る汗をタオルで拭いなが屋敷の中を歩いていく中、ナビィだけが唯一、涼しい顔をしていた。
奥に行くにつれ屋敷の荒れようはひどくなる。書類が床を埋め尽くしていたり、食べ物の包装や酒瓶などが大量に落ちていたりしていて、足の踏み場もないような景色に出くわす。
「こっちだったと思う」
一目散に目的の部屋に向かうナビィに続き、ヒデヨシたちは歩いていく。
「サラ、今日の人員配置はどうなってる」
「内部には私ひとりが帯同し、玄関にふたり、外にふたり待機しています。ご安心を」
「そうか」
––––逃走防止の人員増加、か。昨日は派手にやっちまったからな。
階段裏に隠された地下へ続く階段を降りると、重厚な金属の扉が現れた。ナビィはこちらを振り向き、頷く。ヘーゼルブラウンの瞳が、揺れていた。
「サラ、ごめん。ぎゅってしていい? やっぱり、勇気が出なくて。少し、安心したいの」
「それならヒデヨシの方がいいのでは」
反論するサラに、ナビィは口を尖らせる。
「サラがいいの……」
ナビィはサラにむかって、甘えた態度をとる。本当にあざとい表情が得意なやつだと、ヒデヨシは苦笑した。
「仕方ありませんね。どうぞ」
薄く笑みを浮かべた彼女に向かって、ナビィは抱きついた。彼女の両手を拘束するような形で。
「サラ、悪いな。ちょっと眠っててくれ」
「は」
ぱっと見華奢に見えるナビィの腕力は、やはり人間離れしているらしい。屈強なサラでもふり解くことができず、ヒデヨシが取り出したスタンガンの一撃を受け、気を失う。音を立てぬように、ヒデヨシはサラの体を受け止め、そっと床に寝かせると、ポケットに入れておいた縄で縛り上げた。
「なかなかいい連携プレーだったね」
ヒデヨシに向けて親指を立てるナビィに、ヒデヨシは険しい顔で返す。
「無駄口を叩くな。サラの応答がなければすぐに応援が来る。さっさと済ませるぞ」
「わかってるよう」
ナビィが扉に手を添えると、シェルターの如く重厚な扉は、横にスライドして開いた。
中でふたりを待っていたのは、研究室のような真っ白な部屋だった。
ここだけは冷房が生きているようで、ドアを開けた瞬間、ひんやりとした空気が頬を撫でる。
「……非常電源か?」
外から見たとき、屋根にソーラーパネルが設置されているのが見えた。「大事なもの」を守るために、何かあってもここだけは電源が落ちないように作ってあったのかもしれない。
「ナビィ、お前の記憶にある部屋はここであってあるか」
「うん」
他の部屋とは違い、荒らされた形跡はない。ただ、ナビィを襲った男たちが開けたであろう穴が、天井にはぽっかり空いていて。その下にだけ瓦礫が積もっていた。しかしあけられた穴は、ベニヤのような板で塞がれている。
「……荒らされないように、侵入したあとからまた隠したのか?」
部屋の中には実験器具やら、部品の収納された棚、人体標本などが並んでいるが。設計図などが入っているらしき書類の棚はない。
ナビィもそれがどこにあるかは心当たりがないようだった。
––––扉は、ナビィの指紋に反応するようにできていた。ということは。
ヒデヨシはナビィとともに部屋の中をくまなく探した。焦る気持ちを抑えながら、棚という棚に目を通していく。
そのうち、壁にある額縁に目がいった。おさめられているのは、どこかの岬の写真。太陽を反射して輝くエメラルドブルーの海が綺麗だった。
殺風景なこの部屋の中で、明らかに異質なものだ。額を外してみれば、その裏側に小さな扉が現れる。鍵はヒデヨシの予想通り、指紋認証になっていた。
「ナビィ、あったぞ。開けるのにお前の指紋が必要になる」
机の引き出しを開けていたナビィが、こちらに駆け寄ってくる。彼女はおそるおそる指を伸ばし、読み取り装置に指を乗せた。
「……開いた!」
内側から開いた扉の中を覗き込むと、一台のノートパソコンと電源コードが入っていた。コンセントに繋いで電源ボタンを押せば、ログイン画面が現れる。
パソコンが死んでいなかったことに安堵しつつ、ヒデヨシはナビィに呼びかけた。
「これも指紋認証が使える。ナビィ、指を」
「わかった」
ナビィが指紋のマークのついたキーボードに指を乗せれば、デスクトップ画面が開く。トップ画面にはふたりの人物の写真が壁紙として使われていた。––––ハヤカワ博士と、ナビィだ。
「これは、私……?」
画面を食い入るように覗き込むナビィを横に、ヒデヨシも写真を見た。
しかし、目の前にいる「ナビィ」と写真の女性は、少し印象が違う気がする。
写真のナビィは、今のナビィより少し、歳をとって見えた。
ヒデヨシはマウスに手を乗せると、デスクトップ上に表示されたファイルにカーソルを合わせる。
画面に唯一置かれたそのファイルのタイトルは「ナビィ」。
開いてみると、その中には「研究記録」と名付けられたアプリケーションと、「ナビィ・レコード」というファイルがあった。
「これが……私の記憶?」
凍りついたような表情で、ナビィは「ナビィ・レコード」のファイルに指を触れる。
ファイルをダブルクリックすれば、指紋認証が要求され、ナビィはふたたび認証ボタンに自らの指先を合わせる。
するとポップアップ画面が出てきた。
『ナビィ_ver.21に最新のデータを同期しますか?』
ヒデヨシとナビィは、視線を交わした。平静を装いつつも、なんとも言えない喪失感にヒデヨシは侵される。
やはり彼女は、アンドロイドだったのだ。
唇を噛み、悲しみを押し殺したような顔で、ナビィは躊躇いがちにエンターキーを押す。
直後、彼女は動作を止めた。
まるで突然、彫刻の像になってしまったようだった。
「おい、ナビィ?」
ヒデヨシは動揺し、ナビィの名前を何度も呼んだ。しかし反応はなく、目を見開いたまま、固まっている。パソコンを見れば、『データ同期中 三十二パーセント』との表示が出ていた。
「待つしかないってわけか。……まあ、記憶すべてを失ってるわけだから、それなりに同期に時間はかかるのか」
そう言って、ヒデヨシは自分が発した言葉で、自分の心が傷ついたのを感じた。
愛した人は、アンドロイドだったのだ。
それが、今、目の前に現実として、突きつけられている。
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