第30話 動揺
考えないようにしていた可能性が、他人の口で語られ、それが現実だと突きつけられている。
ヒデヨシは動揺していた。さっきまで汗ばんでいたくらいなのに、体の芯まで一気に体温が失われていく。
「ちょっと待て、そんなわけ……食事だってするし、涙だって流すし。第一あんなに人間そっくりなアンドロイドが、今の技術で作れるわけが……」
「疑うなら確かめればいいわ」
ナビィはアンドロイドである、という可能性を、ヒデヨシも一度は考えたことがある。調べれば調べるほど、ハヤカワ博士の子どもが存在しないという仮説の方が現実味を帯びて来ていたからだ。そしてナビィの容姿は博士の妻そっくり。そう考えると、博士の妻自体がアンドロイドであったという可能性も考えられる。
だが人間に瓜二つのアンドロイドを作る意味など、果たしてあるのだろうか。この資源不足の世の中で。
用途に特化し、極力無駄を省いたほうが実用に向く。人間らしい振る舞い、肌の質感、食事と排泄をする機能、涙を流す機能。そのどれもが、必要のないもの。
ヒデヨシは、ナビィを観察した。
ひどい暴力を受けたらしく、彼女の体は痛々しいほどに汚れていた。しかし、汚れている割には怪我がない。血も流れていなかった。
––––そういえばこいつは、汗をかかない。
朝晩決まった時間に起き、電池が切れたように眠る。いくら動き回っても疲れた様子を見せない。記憶力に優れている。言われてみれば、彼女が人ではないなにかであるという仮説を、裏付ける要素は山ほどあった。
「ヒデヨシ……あの……」
ナビィがヒデヨシの手を掴んだ。
咄嗟に、彼女の手を振り払ってしまう。
「あ……」
無意識だった。
行き先を失ったナビィの手は、しばし宙に浮いたあと、下げられる。
「とりあえず、休めるところへ。ナビィもヒデヨシも、疲れたでしょう」
言葉を発したのは、サラだった。
ヒデヨシとナビィは無言のまま、サラの背中に続く。ふたりの間には、人ひとり分の隙間が空いていた。
◇◇◇
「コーヒーをどうぞ」
「サンキュ、サラ」
ルーダー社が、新市街のホテルの一室を手配してくれていた。ナビィにはシャワーを浴びるように言い、ヒデヨシはソファーに腰を落ち着けていた。
カップを片手に、ヒデヨシはため息をつく。
「サラは、知ってたのか」
「なんのことでしょう」
表情を変えぬまま、彼女は答えた。
「聞こえてただろ。ナビィのことだ。驚かなかっただろう。あの男が言ったことを聞いても」
「いえ、知りません。仕事柄、あまり表情を出さないようにしているもので。私も驚いています……しかし、まだわからないのでは? 彼の言う通り、ハヤカワ博士の屋敷を確認をするまでは」
「……まあな」
「ナビィは自分がアンドロイドであるという可能性を知っていたのでしょうか」
サラにそう返されて、ヒデヨシは俯く。
「わからん。表情が読めなかった」
シャワーの音が聞こえる。彼女が人間だったら、相当しみるだろう。木の棒で一晩中叩かれたと言っていた。それを聞いたときは、怒りで腑が煮えくりかえった。
しかしナビィは飄々としていた。医者を呼ぶかと一応言ったときも、断固として断られた。「どこも痛くないし、体も動くから」と。
ひとつひとつの事実が、彼女がアンドロイドであるという事実を裏付けている気がする。
ヒデヨシの胸にはまた、黒いものが広がっていった。
自分が好きになった彼女は、博士が作り出した虚構の女だったのか。
ナビィが笑ったり泣いたり、愛情を返したりしてくれるのは、そう、プログラムされているからなのではないか。
あの日初めての口付けをして、自分に向けてくれた濡れた瞳でさえも。
––––博士の「感情を理解するアンドロイド」の研究成果は表に出てきていないし、完成していたかもわからない。感情を理解する技術まで、ナビィは搭載しているんだろうか。そうでなかったとしたら、俺は……。
途端に、自分のナビィに向けてきた感情が、とても気持ちの悪いもののように思えた。
心のうちに広がった暗雲を振り払うように、ヒデヨシは頭を振る。
「なにか悩み事でも?」
サラにそう尋ねられ、ヒデヨシは表情を固くする。
「いや、ちょっと疲れただけだ」
「無理もありません。ゆっくり休んでください。入り口の守りはしっかり固めておきます」
サラに適当な笑顔を返しつつ、心の中でヒデヨシは彼女に疑いの目を向けた。
『もし奴らが銃を使うような奴らなら、お前はすでに蜂の巣だ』
自分で言った言葉で、ハッとした。なぜ今までそれに気がつかなかったのか。
ヤトミ教の信者は、文明の力を厭う。だから暴動に使う武器も、ナイフや火炎瓶だった。屋敷前で自分たちを襲ったのはヤトミ教の信者ではない。奴らは銃を使っていたからだ。
つまり、ナビィを付け狙っていた連中は、別にもう一団体いるということ。
––––可能性として一番怪しいのは……。
「ヒデヨシ、出たよ。入ってきたら?」
ナビィの声を聞いて、ヒデヨシはどきり、とした。
それはこれまでのような甘酸っぱい鼓動ではなく、どちらかといえば、未知のなにかに対する恐ろしさからくるもので。その感情を隠すようにヒデヨシはナビィから視線を逸らす。
「ああ、俺もちょっくら浴びてくるわ」
ヒデヨシはナビィとは目を合わぬまま、クローゼットからタオルを取り出し、バスルームへと向かっていった。
◇◇◇
恐れていたことが、起きてしまった。
しかも他人の手で、予想していなかったタイミングでヒデヨシに伝わってしまった。
ナビィは平静を装っていたが、内心動揺し、そしてヒデヨシの反応に、深く傷ついていた。
あの日。剃刀で傷つけてしまった皮膚の奥から覗いたのは、金属の部品。傷口を押し広げてみれば、それが単なる見間違いではないことがわかった。
あれから自分の感覚に意識を向けるようになった。風をどう感じるか、食事をどう感じるか。痛みを感じることができるか。寒さを感じることができるか。––––それは、隣にいるヒデヨシが感じているのと、同じ感覚なのか。
結論、痛みや気温を感じることはなかったが、飲み物や食事などの温度に対し、反応を示すことがわかった。なぜそうなっているのかはわからない。味覚に関しては、特定のものを「美味しい」、と判断できるようにはなっているようだ。
––––アンドロイド、かあ……。
アンドロイド研究を憎む団体で、博士を敵視していた団体なのであれば、きっと博士のことも、ナビィたちよりずっとよく知っているはず。屋敷にも忍び込んだとも言っていた。
信じたくない。しかしもはや、否定する材料の方が見つからない。
ただ、わからないのは、なぜこのように自分が作られたのか。
それに「感情を理解できない」と言われているアンドロイドだが、自分はたしかに感情を理解しているように思える。だとしたら自分は、世界で唯一、感情を理解するアンドロイドだということになる。博士の研究成果の集大成ということになるだろう。
––––それで、罪の子。人の形状を模した、感情を持ったアンドロイドだから。
ヒデヨシを「好きだ」と思う気持ちに偽りはない。これはプログラムされたものではないと感じる。悲しいと思う気持ちも、辛いと思う気持ちも、作り物ではないと感じる。
––––とにかく、すべてはきっと、あの場所に行けばわかるはず。
マテオのところで記憶の断片を見て、過去を思い出すことに消極的になっていた。ここまで来たら、ひとりではなく、ヒデヨシとともに自分の真実に向き合いたい。
それでヒデヨシと歩む人生が別れてしまうとしても。彼に、自分のことをきちんと知って欲しかった。
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