第29話 ナビィの正体
「ヒデヨシ……?」
さっきまで落ち着いていたのに。迫り来る「死」を受け入れていたのに。
ヒデヨシの姿を見たら、心の内に押し込んでいた感情が吹き出した。
「ヒデヨシぃいい!」
気づけばナビィは、みっともなく喚いていた。
人混みを掻き分け、取り押さえようとする信者たちを凄まじい勢いで薙ぎ倒しながら、ヒデヨシがこちらへ向かってくる。
ヒデヨシの他にも、ヒデヨシのあとを追うようにして武装した人たちがこちらへ向かってくるのが見えた。その中には、サラもいる。
––––助けに来てくれたんだ。
勝手をしたのに。探さないでくれと書き残していったのに。
サラたちに比べれば、お世辞にも洗練されているとは言えない喧嘩殺法を駆使しながら、彼は先頭を切ってやってくる。
目潰しはするし、頭突きは食らわせるし、猛獣のようなその動きを見て、ナビィは思わず吹き出した。
そしてあっという間にナビィの足もとまでやってきたヒデヨシは、猿のように十字架を登ってくる。
「ヒデヨシ、危ないよ。銃とかで撃たれたりしたら」
「ヤトミの奴らは『原点回帰の原則』を信条としてる。機械類は使わない。もちろん銃もだ。もし銃を使うような奴らなら、お前はすでに蜂の巣になってるよ」
「……蜂の巣は嫌だなあ」
ヒデヨシは腰に装着していたダガーでナビィの縄を解いた。片手でナビィの体を抱えながら、スルスルと柱を降りる。地面では、サラが待機していた。
「なぜ廃墟で待っていなかったんですか。危ない真似を。ナビィも。勝手に失踪されては困ります」
返り血まみれになったヒデヨシを睨めつけるような目で見ながら、サラは言う。
「へへ……ごめん……ごめんねサラ」
「とにかく……無事でよかったです。助け出すのが遅れて、申し訳ありません」
サラはそう言って、ナビィを抱き寄せた。筋肉に覆われた彼女の体は、思ったより硬かったが、温かかった。
「サラ、ナビィを頼む」
「どこへ行くんですか」
「ちょっと説教」
「また……! あなたは勝手を。ヒデヨシ、ここにいて下さい」
サラの叫びを丸無視して、ヒデヨシはやぐらの上に駆け上ったかと思うと、その場で状況を見守っていた老婆の胸ぐらを掴んだ。
「うわっ、なにやってんのヒデヨシ」
ナビィはハラハラしながら状況を見守る。
「おいてめえ、こいつがなにをしたってんだ。ハヤカワ博士の血筋だから? 博士の研究に関係しているから? ひとりの女に大の大人がよって集って。恥ずかしいと思わねえのかよ!」
凄まじいヒデヨシの剣幕にも関わらず、老婆は負けじと言い返す。
「彼女は博士の蛮行の産物なの。存在自体が神への冒涜なのよ。ウイルスで死に行く患者たちを看取り続ける中で、私は神の啓示を受けたの。あらゆる人間の業を排除せよ。神の領域に踏み入った人間たちを排除せよって」
ヒデヨシは相当頭に血が昇っているらしい。彼女を頭上まで掴み上げ、怒鳴り続ける。
「博士はとっくに死んでる年齢だろ? 博士が死んで、それで世界はマシになったのか?」
「彼女がまだこの世に存在しているから、神は怒りを収めないの」
苦悶の表情を浮かべながらも、教主は続ける。
「私は医者として、人生を賭けて死のウイルスを駆逐しようとした。でも、どんなに研究を続けても、死の連鎖は止まらなかった。生き残る命を選択しなければならないこともたくさんあったわ。今は被害がおさまっているけれど、ウイルスの亜種は産まれ続けてる。もう人間を救うには、原点回帰の原則に沿うしか方法はないの。彼女は排除するべき存在の筆頭なのよ!」
「ヒデヨシ、やめなってば! そんなことしてるとヒデヨシが警備隊に捕まっちゃうよ!」
ナビィの声など聞こえないように、ヒデヨシは怒鳴る。
「ふざけんな。これまでの歴史を考えろ。生き物にはいつか終わりがやってくる。環境変化、疫病、隕石の衝突、さまざまな要因でひとつの生物の歴史が終わる。それは人間とて例外じゃない。何が原点回帰の原則だ! そんなもので救われるわけがないだろうが」
「人間を他の生物と一緒にするな!」
「一緒なんだよ。こいつが死んでなにが変わる? 明日急に人類が繁栄するのか? 死んだ人間が生き返るのか? そんな奇跡、俺は聞いたことがない。もし今ナビィが死んで、明日世界が変わらなかったら、てめえらは責任取れんのかよ!」
「それは……しかし、人間の罪を悔い改めることにより、神は徐々にご慈悲を……」
ヒデヨシは拳を振り上げた。しかし歯を食いしばると、なにかを悟ったように、力無くそれを下ろした。やるせなさの漂う彼の表情を見て、ナビィも唇をむすぶ。
––––そうだよ、ヒデヨシ。殴ったってしょうがないんだ。
きっと議論は平行線だ。なにを言っても彼らには響かない。ヤトミの信条に従って、排除すべきものを排除し切ったあと、それでも変わらない世界を見て、やっと彼らは納得するのだろう。それかきっと、また別の批判対象を作り出し、自らを正当化し、心の安寧を得ようとする。
警備隊が到着したらしい。広場にいる群衆を誘導しようとする警備兵の叫び声が聞こえた。
ざわめきの中、教主を木張りの床の上に放ったヒデヨシは、やぐらから周囲を見渡した。ナビィを磔にしていた十字架を囲うように集まっていた信者たちに、彼は視線を定める。
「おい、あんたたち」
何人かは暴れているようで、ルーダー社のボディーガードたちに取り押さえられている。それ以外は無様に尻餅をついた教主とヒデヨシを見比べて、その場に立ち尽くしていた。
ヒデヨシは深呼吸をすると、彼らに向かって言葉を紡いだ。
「滅びゆく世界で大事なものを失って、辛いのはわかる。俺も大事な人を失った。だけど、その辛い思いの原因を、他人に被せるのは違うだろ。今日信じていた明日は、必ずくるとは限らない。他人を害することに時間を使うくらいなら、今日のこのかけがえのない時間を、大事に過ごせよ」
信者たちは、ただ、黙ってその言葉を聞いていた。ヒデヨシを睨みつけるもの、涙を流し始めるもの、納得のいかない表情を浮かべるもの。さまざまな感情がそこにはあった。
理解しあえるとは思わない。人間はそんなに単純じゃない。
ただ、その場にいる人間が、少しでもマシな幸せを掴めることを祈るように、きっとヒデヨシは彼らに言葉を残した。
そんな彼の姿を見て、ナビィの頬は緩む。
出会ったときのヒデヨシは、ただ、日々を消費していた。悲しみに囚われ、無味乾燥な毎日を虚ろな目で眺めていた。
でも今は違う。今日を生きることに目を向けている。それがなにより嬉しかった。
「……ずいぶんと、『罪の子』に思い入れているのね」
やぐらを降りようとしたヒデヨシに、教主が声をかけた。
「罪の子って言うな。ぶん殴られたいのかてめえ」
「あなたは、罪の子が何者か知らないの?」
「は?」
ナビィは、教主がなにを言おうとしているのかを理解し、目を見開く。
気づけば、ヒデヨシのもとへ駆け出していた。
それは、自分の言葉で伝えなければならない。こんなふうに人の口から伝えられていい話じゃない。
ヒデヨシは背後の教主を振り返る。腰をさすりながら、彼女はヒデヨシに侮蔑の表情を向けている。
「だめ!」
ナビィの制止は間に合わなかった。
なんでもないことのように、教主の口から真実が滑り出す。
「罪の子は、ハヤカワ博士が作った感情を理解する、限りなく人間に近いアンドロイドなのよ」
群衆のざわめきは、その言葉をかき消すことができなかった。
「……は?」
ヒデヨシが顔をこわばらせる。それを、ナビィはやぐらの下から見上げていた。
時間が止まる。吹き荒ぶ熱風に、ヒデヨシの長い髪は揺れていた。
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