第37話 ひさしぶりの悪事
「ねえ、本当に任せて大丈夫なのかな」
心配そうな表情を向けるナビィの頭を、ヒデヨシはポンポンと叩く。
「お前が話をややこしくしたんだろうが。……まあ、大丈夫だろ。子どもの頃からあいつは悪知恵の働くヤツだったから。なにをするつもりかわかんねえけど」
手早くタオルで体を拭いたあと、ナビィとヒデヨシは、貧民街のメインストリート沿いの路地に隠れていた。ボディガードたちは、ヒデヨシとナビィがこの街に身を隠していると考えたらしく、あたりを車に乗ったまま巡回しているようだ。
屋根に登った見張り役の男が、路地に隠れているヒデヨシに向かって、親指を立てた。通りに出ろという合図だ。
「行くぞ」
「うん!」
メインストリートにスクーターで飛び出すと、タイミングよく追手の車が後方に出現した。相手もすぐにヒデヨシたちに気がつき、勢いよくアクセルをよく踏む。
「野郎ども、今だ!! やっちまえ! 貧民街の星を守れ!」
怒号とも取れるようなトモの叫びに、そこらじゅうから雄叫びが上がる。
瞬間、木の棒を手に持った男たちが、追手の黒い車に一斉に襲いかかる。通り沿いの家からは車に向かって生ゴミが投げつけられた。
想定外の住民たちの攻撃に急ブレーキをかけた車は、群がろうとする人々を避け、近くのバイク屋の店先へと突っ込んで停車した。
騒ぎはどんどん大きくなっていく。初めは遠慮がちにゴミを投げていた人間たちも、途中からなりふり構わず、目につくものを片っ端から投げている。
増員されたらしき車が道路に入り込んできた。すると今度はペンキの入ったバケツを持ってきた集団が、フロントガラスに大量に青いペンキをぶちまけた。
どちらも車の中から人が出てくる様子はない。多勢に無勢、今外に出るのは危険だと判断したのだろう。
ゲリラ戦には参加せず、なぜか道で踊っている貧民街の住人たちもいる。
沿道の一部の人たちは、笑顔でこちらに手を振り、声援をおくっている。ヒデヨシとナビィを家に匿っている間、トモが自分の妻に向かって「貧民街の星が富裕層の姫を奪って駆け落ちをしようとしている、街のみんなで力を合わせないといけない」とかなんだとか言っていたので、大方同じ説明を町中でしたのだろう。
––––よくもまあ、突貫であれだけ巻き込んだな。昔から、人に慕われるやつだったけど。
この短い時間でのことなので、街に躍り出てバカ騒ぎをしている人間たちまでも、事情を知っているとは思えないが。
宙を舞っているのは生ゴミやちり紙であるし、次々と到着するルーダー社の車両を、日頃の鬱憤を晴らすが如く襲っているし、踊っている人はいるしで。貧民街はカオスに陥りつつあった。
しかし不思議とその光景は、ヒデヨシの瞳には、富裕層のパーティにも負けない、この上なく豪華で美しいものに映っていた。
まるで町中でお祭りが開かれているような有様に、スクーターを運転しながら、ヒデヨシは笑いを堪えきれなくなる。
「これ、俺らのことを言い訳にした、単なる憂さ晴らしだろ」
笑いながらそう言うヒデヨシを、ナビィが嗜める。
「助けてくれてるんだよ。そんな言い方しないの」
かつてのヒデヨシの生きがいは、エレナだけだった。
彼女のために勉強をし、学位を手に入れ、国家に認められるレベルの研究者になることを目指した。
しかし並々ならぬ努力は、彼女とのすれ違いのきっかけを生み出した。
さらに功績を認められたがために、ルカの嫉妬を受け、ヒデヨシはエレナを失った。
努力した結果は無駄であったと、自分の人生の選択は間違いだったのだと、ヒデヨシは思っていた。
だがしかし。
保護施設のボス猿であるヒデヨシの成り上がり譚は、貧民街の住人にとって、希望の光であり、誇りになっていた。貧民街の底辺で育った人間が、富裕層のエリートを押し除け、国家プロジェクトのメンバーに選ばれる。これほど気持ちのいいことはなかったのだ。
貧民街の住人は公権力に見向きもされず、最低レベルの生活も保証されぬまま、不遇な人生を送っている。結果ヤトミに加わり、暴徒化してしまった人間もいた。
それでも。
エレナの死によりヒデヨシが表舞台から去ったあとでも、『貧民街の星』がこの街の住人にとっての誇りであることは変わらなかった。
その「貧民街の星」が富裕層の令嬢を奪って逃げると聞いて、彼らは応援せずにはいられなくなったのだ。
メインストリート沿いには、ヒデヨシがかつて暮らしていた保護施設もあった。保護施設の二階からは、子どもたちが職員の制止も構わず窓から顔を出している。
彼らも、古いおもちゃやら、使用済みのオムツやら塵紙やらを、車に向かって投げながら、こちらに手を振っている。その中には、ナビィが出会った子どもたちもいた。
大きな声で、ヒデヨシとナビィに向かって叫んでいる。「ありがとう」と。
保護施設の前を通り過ぎれば、今度は男たちの集団が声をかけてくる。
彼らはかつてのヒデヨシの仲間でもあり、マテオを慕う人間たちでもあった。
「マテオを弔ってくれて、ありがとよ」
「俺も今度、マテオの墓参りに行く」
「落ち着いたら遊びにこいよ」
「幸せになれよ」
口々にそんなことを言って、ヒデヨシの肩を叩いていく。
「またな」と返すのが、精一杯だった。
「ヒデヨシ」
「なんだよ、ナビィ」
「エレナさんのことは、悲しい思い出になっちゃったけどさ。ヒデヨシが頑張ったことは、全然無駄じゃなかったね」
「だまれ、この野郎」
「えっ、ひどっ」
「いいこと言った気になってんじゃねえよ」
「あー、ヒデヨシ泣いてる!」
「うるせえ!」
子どもたちや旧友の集団に手を振りつつ、ヒデヨシは再度後方の追手を確認する。
彼らはボディーガード会社で、人殺しは本意ではないはず。
やはり車に群がってくる人々を蹴散らすことができず、町中の人間から攻撃を受け続けている今、立ち往生したままだ。
街の出口を示すゲートを潜るとき、背後から走ってくるトモの姿をナビィが捉えた。
「あ、トモだ。ありがとねー!」
「お前らー! 幸せになれよー! ヒデヨシ、お前は俺たちの星なんだから、生きて、絶対に幸せにならなきゃ、許さねえからなー!」
トモは、子どものようにぴょんぴょん跳ねながら、太い両腕を振っている。
「うるせえな。言われなくても生きるっての」
鼻を啜りながらも悪態をつくヒデヨシを、ナビィが小突く。すると投げやりではありつつも、「ありがとな」とまるで怒っているかのようにヒデヨシは叫んだ。
「ねえヒデヨシ」
一台のスクーターが、荒野を進む。
草もろくに生えていない、打ち捨てられた街の残骸ばかりの、世界の終わりのような大地を。
「なんだよ」
「人はひとりじゃ生きられないね」
「……そうだな」
「助け合って生きるものだ」
「だな」
自分の生に一生懸命になるあまり、他人の命に無関心な人間も増えた。
現実は理不尽だし、頑張っても頑張っても、事態は良くならない。
そして人間は消えゆく運命だ。
それでも。
毎日を一生懸命生きていれば、出会いがある。
手を差し伸べれば、こうしてつながる縁がある。
困ったときには、それが自分たちを助けてくれたりする。
「毎日を、一生懸命生きよう」
「おう」
「明日は来ないかもしれないから。笑い合って、一緒に泣いて、前を向いて。辛いことがあっても今日を精一杯生きるんだ」
「そうだな」
ふたりは顔を上げて、前へ前へと進んだ。
かけがえのない今日を、生きるために。
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