第36話 貧民街
ナビィとヒデヨシを乗せたスクーターが、洋館の裏手から外へと飛び出す。
蛇行しながら発砲し、屋敷の庭にいたボディーガードたちを蹴散らしながら、ヒデヨシたちはやっとの思いで旧市街を抜け出しつつあった。
全速力で飛ばしてはいるが、先方もプロだ。屋敷内にいたルカたちが追ってくる姿は見えなかったが、外にいたボディーガードたちが車ですぐうしろまで迫って来た。
「追いつかれちゃうよ!」
あわてるナビィを落ち着かせるように、ヒデヨシは叫ぶ。
「大丈夫だ。しっかり捕まってろ」
旧市街の住宅街を疾走し、ヒデヨシはどんどん廃れた方へと走っていく。
この先にあるのは、貧民街だ。
「なんかこっちの方、街がボロボロだよ?」
変わっていく風景を見ながら、ナビィが疑問を口にする。
「ボロボロとか言うんじゃねえ、俺の出身地だ!」
「ってことは貧民街?」
最後に舗装されたのがいつだかわからないくらい、ひび割れた地面が続いているせいで、スクーターが上下に揺られる。建物と建物の間は狭く、小さな窓からは鈴なりに洗濯物が干されていた。
「貧民街には二輪車がギリギリ通れるくらいの狭い道が多い。車を撒くにはもってこいだ」
貧民街に入れば、身なりのいいヒデヨシとナビィは異質な目で見られた。通り過ぎるときに唾を吐きかけてくる人や、ものを投げてくる人もいる。
小さな悪意を振り払いながら、スクーターは狭い路地に猛スピードで突っ込み、広い通りに出てを繰り返していく。
ヒデヨシの狙い通り、車に乗った追手は路地を抜けられず、迂回を余儀なくされた。
「次の路地を抜けたら、この街を出る」
そう、ヒデヨシが言ったときだった。
「おい、そこのクソ野郎ども。止まれ!」
声の主は、路地に面したアパート二階のベランダから身を乗り出していた。
気づいたときには上から泥水が降って来ていて、もろに頭から被ってしまった。ヒデヨシたちは停車を余儀なくされる。いつの間にか男はベランダから飛び降り、ヒデヨシたちの前に仁王立ちをしていた。
「……おい、なにしてくれてんだよ!」
「富裕層のゴミどもが。俺たちのテリトリーに入ってくんじゃねえ! 嫌味ったらしくスクーターで走り回りやがって」
濡れた前髪をかきあげ、ヒデヨシは男にガンを飛ばす。
だが、視線を合わせた瞬間。男たちはお互いに目を見張った。
その様子を見たナビィは、困惑している。
「え、なに? どしたの?」
「お前、トモか?」
「そういうお前は、ヒデヨシだろ?」
「てめえ、ちょっと見ねえうちになんだその腹は。おっさんになりやがって」
「ヒデヨシは変わらず、見た目が良くていけすかねえな!」
次の瞬間、さっきまで一触即発だった男たちは、肩を叩き合って大笑いした。
ナビィだけなにが起こっているのかわからず、取り残された形だ。ふたりの顔を交互に見上げるナビィを見て、ヒデヨシが説明をする。
「ナビィ。こいつは、マテオのバイク屋で働いてたヤツで。俺のダチだ」
「あ! あの、ヒデヨシの悪行を言いふらして回ってた人?」
思い出した、という顔でニコニコするナビィを見て、トモは複雑な顔をする。
「おい、ヒデヨシ。てめえ、彼女になんて俺のこと説明してんだよ。この『貧民街の星伝説』の伝道師である俺を捕まえて」
「なんだよ、貧民街の星伝説の伝道師って。俺じゃねえ、お前のことをこいつに話したのはマテオだ」
「ああ、あのオヤジ、おしゃべりだったからな……」
そこまで言うと、トモは急に萎れたようになり、鼻を赤くし目頭を押さえた。
「ヒデヨシ、ありがとうよ。オヤジの最期を看取ってくれて。俺もたまに行ってたんだけどさ。まさかあんなに急に逝っちまうとは」
「……最期には間に合わなかった。ただ、俺は埋めただけだ」
「それでも。墓を作ってくれて。マテオと交流のあった人間たちには連絡をくれて。俺も花を供えにいくことができた。……あのオヤジは、あの事件から、人との交流を極力絶ってたけど。本来は、寂しがりな人だったからさ」
トモの話を聞いて、ナビィはヒデヨシを見た。
「ヒデヨシ、連絡してたんだ」
「……まあな」
「しかし、悪いことしちまったな。たいしたもてなしはできねえけど。上がってってくれ」
「いや……俺たち、追われてるんだ。すぐにこの街を出ないといけねえ」
「逃げてる? なんだどうした、なにがあったんだよ」
ヒデヨシはどこまで話すか悩んだ。相手が納得するように話さねばならないが、赤裸々に伝えることもできない。言い淀んでいると、先にトモが喋り出した。
「ヒデヨシ、まさか……」
トモは驚愕の顔をしたあと、ナビィをチラリと見て、なぜかニヤニヤと笑い、ヒデヨシの肩をバンバンと叩く。
「お前は、昔からやることが派手だよな」
「は?」
困惑するヒデヨシを無視するかのように、トモは言葉を続ける。
「富裕層のお嬢さんと駆け落ち中なんだろ? まったく。昔っからお前ばっかりモテやがって、腹立たしいな」
「駆け落ち……いや、俺は」
「そう! 駆け落ち中なの!」
横から突如ナビィが口を出し、ヒデヨシは呆気に取られた。
「私、この人が大好きだから。一緒にこの街を出たいの。でもうちの警備に追われてて……」
両方の人差し指をくるくるしながら、ナビィは演技がかった説明をする。
「おいこら、ナビィ」
するとトモは、すべてを理解したとでもいうふうに大きく頷き、自分の胸を叩いた。
「そういうことなら任せとけ。今は俺がこの街の元締めをしてんだ」
「おい、待てって」
今度はヒデヨシがおいてけぼりになる。会話がどんどんあらぬ方向に進んでいき、もはや終着点が見えない。
「ヒデヨシ、これは前元締めのマテオの墓を作ってくれた礼だ。っかー! ひさびさの悪事だな。楽しくなってきた。すぐ準備するから、お前らうちに隠れとけ。追手はコテンパンにのしとかねえと、追いつかれちまうだろ? かーちゃん! ふたりにタオル貸してやってくれ!」
トモは二階に向かってそう呼びかけると、有無を言わさずヒデヨシとナビィを自分の家へと引っ張っていった。
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