第35話 逃走
「ルカ、やっぱりお前……」
「ようやく気づいたんだ、ヒデヨシ。君は本当に、怖い顔の割にお人好しだよね。人を信じて疑わないっていうか」
不適な笑みを浮かべるルカを前に、ヒデヨシは警戒を強める。
「いかにお前といえど、ずいぶん手際が良すぎるなとは思っていた」
「ちょっと派手に人を動かしすぎたね。反省しているよ」
頬を掻くルカの表情には、ちっとも反省の色は見られない。
「……目的は、『感情を持ったアンドロイド』の開発データと現物か」
ヒデヨシがそう問えば、観念したようにルカは口を開く。
「そうだよ。実はさ、国家プロジェクト行き詰まってて。でも成果は残したいでしょ、研究者として。そしたらさあ、博士の研究成果が、隠し部屋に残ってるっていう都市伝説を耳にして。あったらいいな、くらいに思って忍び込んだんだけど。本当に残っててびっくり」
ヒデヨシはナビィをうしろ手に庇う。
「まあ、隙をついて逃げられちゃったのが想定外だったけど」
「電源が切れていたナビィを、叩き起こしたのもお前らか」
「うん、そう。まあ、あのとき一緒に屋敷に入ったのは、別のボディガード会社だったから、正確には僕『ら』じゃないけど。表向きには言えない仕事を頼む、専任の会社があってね」
いつもの通りの爽やかな顔で、ルカは微笑む。
「でも逃げ込んでくれたのが君のところっていうのが、縁だよねえ。本当はヤトミ教の暴動を利用して、どさくさに紛れてナビィちゃんを連れ去るつもりだったんだけど。ナビィちゃんは失踪しちゃうし、ヤトミは派手な断罪パフォーマンスを始めちゃうし、おまけに君が大活躍してくれちゃったりからさ」
つまりヒデヨシは、博士の研究成果を狙っていたルカの前に、ナビィを連れて行ってしまったのだ。自分のバカさ加減に嫌気が差し、ヒデヨシは渋い顔をした。
「ヒデヨシ、君にも来てもらうよ。君がいたほうが、ナビィちゃんは言うことを聞いてくれそうだしね。専門家として、これまでナビィちゃんと暮らした中での経過観察についても聞いておきたいし」
「ふざけんな」
感情をむき出しにして唸るヒデヨシを見て、ルカは嘲笑する。
「世紀の大発明なんだよ。世の中に生かすべきだろう。今起こっているアンドロイドの暴走も、彼女の体に詰まった技術を分析すれば、防ぐ手立てがわかるかもしれないし。君も開発データを見たんだろう? それならわかるはずだ。さまざまな分野に転用可能な技術が彼女には詰まっている。人間の人体構造を模している部分も多いから、医療分野に活かせるものも多いだろうね」
ヒデヨシは黙っていた。ルカの言っていることは、研究者として真っ当な考えではある。
「それとも君は、そのアンドロイドと恋でもしてるの? 個人的な感情から、彼女の存在を秘匿しようとしているの?」
侮蔑の表情を向けられ、ヒデヨシの口の中には苦いものが広がった。
「……うるせえ」
ルカはヒデヨシの表情を見て、口角を上げる。
「ああ、やっぱり図星なんだ。可愛いもんねえ、彼女。まるで男の理想を詰め込んだみたいな容姿と動きをしてる。博士の願望が現れてる感じだ」
「黙れ! だいたい、こんなことしていいと思ってんのか。研究の盗用だぞ」
ルカは興味を失ったような顔をして、サラの方を向く。
「サラ、ふたりを捕まえて。ああ、そこにあるパソコンも忘れずに確保ね」
「了解しました」
サラに指示された男たちが、部屋の中に飛び降りてきた。拳銃を構えたふたりの男に左右から取り囲まれ、ジリジリと距離を詰められる。
「クソが」
「相変わらず、貧民街のハイエナは口が悪い。僕はね、君と同じ空気を吸うのも本当は嫌なんだ。僕を差し置いて君が国家プロジェクトに選ばれたのも、我慢ならなかった。君の婚約者が死んでくれてよかったよ」
––––『婚約者が死んだ』?
ヒデヨシの動きが止まる。手が、震えていた。
「おい」
「なんだい」
「俺は、研究所で婚約者の話なんてしたことがない。付き合っている女の話も」
「……いやあ、どっかで聞いたんじゃなかったかな」
「俺は職場で無駄口を叩く趣味はない。彼女の話も、研究所の誰にも話したことはなかった」
ルカがわざとらしく視線を外したのを見て、ヒデヨシは確信する。
「辞令をもらった日、プロポーズをする予定だったんだ。だから婚約もしていなかった」
ヒデヨシの顔色は真っ青だった。
ナビィが血の気の引いたヒデヨシの手を握り、ヒデヨシの言葉の続きを引き取る。
「まさか、あなたが殺したの……? ヒデヨシに、国家プロジェクトのメンバーを辞退させるために?」
ルカは、やれやれ、と言った様子で鼻から息を漏らす。その顔は、笑っていた。
「地盤沈下を引き起こすのは簡単だったよ。そもそもあの建物、設計が良くなかったんだ。地下で爆発を起こしたら、簡単に沈んだ。退職した君を顎で使うのは、非常に気分が良かったよ。さすが貧民街の星、仕事はできるからね。最高の雑用係だった」
あの規模の建物が崩落したら、費用の問題で捜索活動も数日しかされないし、原因究明も深くは行われない。今の政府の懐事情を勘案して、きっとルカは地下に爆発物を仕掛け、地盤沈下を装ってエレナを殺したのだ。
「無関係な一般市民まで殺したのか?」
「僕がやらなくても、あの建物は構造上いつか崩落して大量に死人が出てたよ。僕はエレナを確実に仕留められる日を狙っただけ」
「このクソ野郎!!」
ルカに飛びかかろうとするヒデヨシを、ナビィは引き留め、耳元でささやいた。歯を食いしばりつつ、涙を堪えたヒデヨシは、葛藤しつつも頷いた。
今は、復讐の怨嗟にのまれてはいけない。
感情のままに対応を誤れば、この男に監禁され、一生日の当たるところには出してもらえなくなる。
「おしゃべりの時間は終わりだよ。サラ、早く」
ルカがそう言った直後、あたりは眩い光に包まれた。ナビィはヒデヨシの手を引き、一目散に金属の扉へと走り始める。
アンドロイドに目眩しは効かない。それを踏まえた上で、ヒデヨシはナビィに閃光弾を持たせていた。
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