第27話 ナビィの行方

「しかしあなた、こんなところでなにしてるの?」


 女性に問われ、ナビィは肩をすくめる。


「あ、えーと。リトルトーキョーから隣街に移動したかったんですけど、道に迷っちゃって?」


 咄嗟に考えた回答だったので、疑問形になってしまった。怪しまれてはいないだろうかと、ナビィは女性の横顔を伺う。


「道に迷うって……。ああ、もしかして船に乗ろうとしてたのかしら? 分かれ道のところを間違えたの?」


「そう! そうなの! もし迷惑じゃなかったら、船の乗り場まで連れてってくれない……?」


 不審には思われなかったようで、ほっと胸を撫で下ろす。


「そこまで遠くないから大丈夫よ。ただ今の時間定期船は出てないわよ? 朝まで待つことになると思うけど」


「大丈夫。来るまで待つから!」


 ––––よかった、たまたま人が通りかかって。これでだいぶショートカットできる。

 ナビィはサラの前から姿を隠してすぐに、マテオのビルから五〇〇メートルほど離れた場所にそびえる、崩れかけたマンションを目指した。傍に併設された駐輪場には、カバーを被った自転車が放置されている。これ幸いとナビィは自転車カバーを外し、自分の身をその中に隠した。


 普通の人間なら、薄手のポリエステルのカバーのみで何時間も地べたに座っていたら、冷えて風邪でも引いてしまいそうだ。しかし、ナビィには耐えられる自信があった。実際そのまま夜まで待機して、移動の隙を待つことができた。


 駐輪所を離れたところ。大きな丸太を積んだトラックを見かけて声をかけた。運転席に座っていたのは五十代くらいの女性。まだ緑の残る地区で、木材を仕入れてきたのだという。


 街に帰ると言う彼女にナビィは頼み込み、同乗させてもらうことができた。


「お姉さんは、どうして木材を?」


「私彫刻家なのよ」


「へえ! こんなに大きい木に彫るんですか」


 ナビィは荷台を振り返り、積まれた丸太を見て感嘆の声を上げる。


「そうなの」


 彼女はそれなりに名の知れたアーティストらしい。新市街に芸術家を支援するパトロンがいて、提供されているアパートメントで暮らしながら制作をしているのだそうだ。


「すごいなあ」


「好きなことをやってるだけよ」


 女性は照れくさそうに笑う。


「でも、すごい。私だったら絶対できないもん」


 彼女はナビィの言葉を聞いて、困った顔をした。褒めたつもりだったのだが、気に触るようなことを言ってしまったのだろうか。


「……私ね、ウイルスで、夫と息子を失ってて」


「あ……」


 女性は前を見たまま、静かなトーンで話を続ける。


「それから一度彫れなくなっちゃったんだけど。でもあるとき思い直して。もう私にはこれしかないから。生きてる限り、彫り続けようって。受け止めた苦しみと悲しみを、芸術として昇華しようって思って。私がこの仕事を続けている理由は、ただそれだけ。すごくなんてないのよ」


 悲しげに顔を歪める彼女の瞳には、たしかな決意がある。自分の生きる道を定めている人の目だと、ナビィは思った。


「そう、だったんだ」


 この世界の人たちは皆、痛みに耐えて生きている。終わりに向かう命を、人間の歴史を、自分なりに受け止めながら、自分だけの生き方を模索している。


 マテオは、辺境の地で機械をいじりながら、自給自足の質素な暮らしを。

 保護施設の子どもたちは、大人の暴力に耐えながら、それでも生き延びることを。

 エリザベードは、優れた服飾デザインを世に残すことを。

 この女性は、痛みと向き合いながら、木を彫り続けている。


 –––私はどう生きたいんだろう? もしも今自分が想像していることが、私の真実だったとして。


 ヒデヨシの顔が浮かぶ。いつも仏頂面で、時折優しい眼差しを向けてくる、彼の顔が。


 あの人と一緒に生きたい。笑って、愛し合って、日々を慈しんで、いつか死がふたりを別つまで。それが今のナビィの心からの願いだ。


 ––––でもヒデヨシが「本当の私」を知ったら。きっと嫌われちゃう。


 彼が自分を見つめる視線が冷たいものになったとき。その瞬間を想像すると耐えられる自信がない。それに一緒にいれば迷惑をかけてしまう。


「なにか、悩んでいることがあるの?」


 下を向いて考え込んでいたからか、心配そうな声を運転席からかけられた。


「もしよかったら、話してみない? ほら、旅は道連れ、世は情けって言うし」


 女性の言葉にナビィは首を傾げる。


「初めて聞いた」


「あはは、そうね。古い東の国のことわざらしいわ。ちなみにこの街も、東の国の住民が多く住んでいたエリアってことで、その国の首都の名をとっているみたい」


「誰にも言わない?」


「言わないわ。約束する」


「じゃあ、聞いてくれる?」


 意を決し、ナビィは口をひらく。


「私、好きな人がいるの。だけど、一緒にいたら、彼を危険に晒すかもしれない。それに、記憶がなくて……。でも、最近手がかりが手に入って。ただ、それは、彼の気持ちを裏切ることになるかもしれなくて……」


 博士のことは触れないように、自分の秘密には触れないように。不器用ながらも、言葉にならない想いを、ナビィは吐き出した。


「なんだか抽象的でわかりづらいけど。難しい問題を抱えているのね」


「はは……話せないことが多くて。わかりづらくてごめんなさい」


「話して楽になるなら、それでいいのよ。あと、私が言えることとしたら、そうねえ」


 車はいつの間にか海岸線を走っていた。桟橋にはいくつも船が止まっている。


「好きな人には、ちゃんと自分の正直な気持ちを伝えたほうがいいわ。今の世の中、明日どちらかが死んだっておかしくない」


 女性は前を見たまま、ナビィに向けて言葉を重ねる。


「私もまさか家族がふたりも一気にいなくなっちゃうなんて、思わなかった。もっと何気ない一日を大事にすべきだったって、今も思ってる」


「……うん、そうだよね」


 ––––私も、そうしたい。そうしたいけど。


 ナビィは、女性にお礼を言うと車を降りた。


「本当にここでいいの? 男の子の格好してるって言っても、もう暗いし……」


「大丈夫です。じゃあ、お姉さん、お元気で」


 ナビィは船着場に向けて歩き出す。いつの間にか歩みは駆け足になっていた。夜の闇を切り裂くように、速く。迷いを振り切るように、もがくように。


 少しでも歩みを止めてしまえば、動けなくなりそうだった。


 錆びて朽ちかけたトタン屋根の待合所には、船の利用者らしき人はいなかった。代わりにこの場で夜を明かそうとする男たちの姿がある。酒瓶を片手にベンチに寝転がる人。地べたで眠る人。壁に向かってうつろな表情でぶつぶつと呟き続ける人もいる。


 ––––あんまり気持ちのいい場所じゃないな。船が来るまでここにいないといけないのかぁ……。


 ふと、ベンチに腰掛けていた人物のひとりと目があった。小柄なその人物は、こちらに向けて歩いてくる。


「あなた、おひとり?」


 皺がれた女性の声だ。コートのフードをかぶっていて、顔が見えない。


「あ。はい」


「そう。それは良かったわあ」


 嬉しそうに微笑む彼女に、どこか異様なものを感じ、ナビィは後ずさる。直後背後からの衝撃を受けて、床に投げ出された。


 ◇◇◇


 夜明けが近い。空が白み始める頃には、ルーダー社の交代の人員がやってきた。

 すでにナビィの失踪から何時間も経っているが、状況の報告は未だない。


 ヒデヨシはルーダー社のチャットをチェックしつつ、街中に設置された監視カメラをハックしていた。ナビィが消えた理由を考えれば、自ずと行き先は絞られてくる。旧市街のハヤカワ博士の屋敷付近、保護施設、空港、船着場。記憶も金もない彼女が乗り物に乗れる可能性は低いが、考えられる可能性は潰していく。


 ––––見つからねえ。どこに行きやがったんだ。


 監視カメラの映像から目を離し、タバコを取り出して、口に加える。火をつけようとしたところで、チャットの新着通知が目に入る。


『旧市街広場にて、ヤトミに動きあり。Nと同じ服装の女性の姿あり。B班が現場到着』


 慌ててスマートフォンを手に取り、ソーシャルメディアの情報をチェックする。位置情報から絞り込み––––そして、見つけた。


 旧市街の広場を映した動画には、大勢の人間がひしめく様に集っている。服装から見て信者の数が多い様だが、野次馬らしき一般人も大勢いた。


『諸悪の根源であるハヤカワ博士に鉄槌を。神の領域を侵犯した彼の愚行の産物を、天に帰すべきときが来た。神よ、人間を許したまえ』


 動画に映った黒ずくめの男が、広場に即席で建てられたらしきやぐらの上に立ってそう叫んでいる。直後、男が指を指し示した先にカメラが移動した。


 映し出されたものを見て、血の気が引いた。

 それは、十字架に括り付けられたナビィの姿だったのだ。

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