第26話 疑念
「外はどうなりましたか」
ルカは、黒ずくめのスーツを着たボディーガードのひとりに声をかけた。
「制圧以降、特に動きはないようです」
「旧市街の教団本部の方は?」
「信者が集まっている様子はありますが。新たになにか行動を起こす気配は今のところありません」
「そうですか。もしかしたら、保守派と強硬派で話し合いでもしているのかな。確実に今回の暴動で警備隊の目は厳しくなりますから、教団として活動しづらくなるでしょうしね。保守派としては怒り心頭でしょう」
ボディーガードの男は、ルカの言葉に頷きつつも、表情を変えずに淡々とした様子で返答する。
「ただ、最近の状況として、強硬派の数が増えつつありますので。今回のような正面突破ではなく、より綿密な計画を持ってことを行う可能性もあります。また状況が分かりましたら報告させていただきます」
「頼みます」
アンドロイド研究所の大会議室には、出勤している研究員のほとんどが集まり、身を寄せていた。こんな状況に至っても仕事をしている狂人も何人かいるが、ほとんどは不安げに今後の対応について意見を交わしている。上級研究員の自宅まで狙われたとあっては、ことは穏やかではない。明日は我が身と皆思っているはずだ。
ルカはボディガードをともなって、一度自分の研究室に戻ると、花柄のあしらわれた大ぶりの缶を抱えて会議室に戻ってきた。蓋をあけ、中身を近くにいた研究員に配る。
「よかったらこれ、食べてください。甘いものが苦手じゃなければいいんですけど」
「わ、ゴーフレットですか。ありがとうございます」
「こういう状況ですが、とにかく今は、落ち着きましょう」
そうルカに声をかけられて、疲れ切った顔をしていた研究員の女性の顔が、少し緩んだ。こういうときの甘いものはいい。人の気持ちを癒し、少しだけ前向きにさせてくれる。
「どうぞ」
会議室内を歩き回りながら、ルカは他の研究員にもゴーフレットを配っていく。
「え、いいんですか」
「もちろん。はい、あなたも。お茶も飲んでくださいね。これ、口の中の水分とられるので」
「ありがとうございます」
研究員の顔が和んだのを見届けた直後。ポケットの振動に気付き、ルカはスマートフォンを手に取った。電話ではなく、メッセージのようだ。差出人を確認し、大会議室の外に出て内容を確認する。
「行方不明……? ナビィちゃんが」
腕を組み、靴の爪先で床を鳴らす。
「困ったな……。何をやっているんだ、ルーダー社は」
カタン、カタンと靴底が床を叩く音が廊下に響き渡る。苛立ちを表すようにテンポを早めていくその音は、突然、ぴたりと止まった。
「ああ、でもまあ」
ルカの顔が歪む。
「この機会を生かすという手もあるか」
口元に笑みをたたえると、ルカはスマートフォンのメッセージに返信を打つ。
手早く用件だけを書き込み、送信すると、ルカは両手を組み、口角を深く歪ませた。
◇◇◇
「いったいどこへ行ったっていうんだよ。この短い時間で」
苛立ちを眉間に溜めて、ヒデヨシは駐車場の中を落ち着きなく歩き回る。すでに日は落ちていた。
「周辺の建物に隠れている可能性も考えましたが……何しろ人手が足らず。増員を要請しているところです」
思わずサラを睨みあげて、そのまま口を引き結ぶ。自分も居眠りをしていたこともあって、彼女を責めるのは躊躇われた。
「か弱い女の足で、そんなに歩き続けられるはずはないし、あいつは水分や食料も、金さえも持ってない。攫われた可能性は……」
唸るようにそう言えば、サラは苦悶の表情を浮かべ、口をひらく。
「……まだ何とも言えません。取り急ぎドローンを投入し、捜索を開始しています」
「……俺は、家の方に戻ってみるかな。もしかしたら、一度寄っている可能性もある」
「あなたに動き回られては困ります。ヒデヨシはここで待機を」
「じっとしてられねえんだよ」
「ルカからの依頼には、あなたの身の安全を確保することも含まれているのです」
反抗しようと口を開きかけて、止めた。一分一秒が惜しい。時間が経てば経つほど、ナビィが手の届かぬところに行ってしまうかもしれない。
「……わかったよ」
「ご理解いただき、ありがとうございます」
それだけ言うとサラは男ひとりを残し、廃ビルを後にしていった。
ヒデヨシは近くに置いてあった自分のバックパックを掴んで引き寄せ、ノートパソコンを取り出す。
–––せめて状況だけでも、リアルタイムで把握しておきたい。
ルーダー社のホームページから、社員用サイトへと飛んだ。ジープに乗っているときに目に入った、助手席の男のパソコン画面が頭に浮かぶ。画面端に表示されていたIDを試しに入力し、お手製のパスワード解析ツールでパスワードを割り出す。
–––入れた!
潜り込める穴が開けば、あとは芋蔓式にさまざまなコミュニケーションツールへの道が開く。通話、メール、チャットの履歴。一つ一つを確認していく中で、ナンバリングされたチャットグループの一つに行き当たった。
近くに立っている男の顔を盗み見る。ヒデヨシの方を一瞥したものの、おとなしくしていればこちらの行動を拘束する意図はないようだ。
–––会話の開始日と内容から見るに、これが今回の警護任務に関するチャットだろ。
直近の連絡は端的な情報のやり取りに終始していた。具体的な作戦内容は、隠語も使われていてはっきり掴めない。
最新のメッセージの通知が浮かぶ。雲のような形のそれをクリックしたところで、ヒデヨシの顔は険しさを増した。
–––おいおい、どういうことだよ。
混乱しながらも思考を回す。カタカタと床を鳴らす指先の音が、だんだんと早くなっていく。
画面に光る文字に、視線を走らせた。
『作戦内容変更。警護対象Hは軟禁。Nを発見保護次第、HにはNの死亡と作戦終了を告げる。なお死因は、教団による暴行のためとする』
––––Nはナビィ、Hは俺のことか? ルカは、これを知っているのか?
ルカは元同僚で、非常に優秀な研究者だ。研究所を辞めてからも、雑用仕事を依頼してくれている彼のおかげで、いい小銭稼ぎをさせてもらっている。今回のナビィの件についても、ルカに話を聞いたおかげで、自分たちに降りかかっている脅威の全体像を掴むことができた。しかし。
信者たちは自宅まで特定していた。
エリザベードにはヒデヨシの自宅住所までは教えていない。
よく考えればサラたちがやってきたタイミングも良すぎたのだ。
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