第22話 救いの手

『第十三保護施設 カモメ』


 青錆がこびりついたその表札を、ヒデヨシは眺めていた。

 自分が十八歳までいた施設だ。ここを出てからもう十三年が経つ。


「さて、入るか」


 途中、スーパーで大量の食品を買い込み、段ボール箱に詰めて持ってきた。箱をスクーターから下ろし足の間に挟む。この辺は治安が悪いので、置き引きが多い。荷物をうっかりその辺に置こうものなら、凄まじいスピードで奪われる。念には念を入れて、スクーターは門に二本のチェーンでくくりつけた。


「すんませーん」


 スクーターを駐車し終え、段ボールを片手に抱えたヒデヨシがインターホンを押すと、職員らしき女性が出た。が、当惑している。当たり前だ。連絡無しで来たのだから。


「事前のアポがないと、困ります」


「食料持ってきたんで、せめてそれだけでも受け取ってくださいよ」


 ヒデヨシは、この施設に多額の寄付をしている。稼げるようになってからずっとだ。だが、施設の建物はヒデヨシがいた頃よりボロボロで、寄付金が適切に使われているとは思えない様子だった。


 ––––ナビィに出会わずに、他者と交流することをずっと避けたままだったら。きっと俺は金を送るばかりで、ここに直接来ることはなかった。


 たびたび見かける保護施設の子どもたちの様子を見て、心配になったのだ。一度見に行くべきだと思っていた。


 しぶしぶ職員が顔を出し、門を開ける。


「ありがとうございます。これで、施設で保護している子どもたちも喜びます」


 愛想笑いで両手を差し出す職員に、ヒデヨシは段ボール箱を押し付けると、無理やりに施設の中へと押し入った。


「えっ、ちょっと、あなた! 待って」


「……なんだこりゃ」


 まるで野戦病院かのような風景が、そこには広がっていた。


 この施設はナビィのように一時的に保護を必要とする成人を入れる場合もあるが、ほとんどの入居者は子どもだ。その子どもたちが、誰も皆限界まで痩せ細っている。服は皆着古してボロボロ。上半身裸の男児もいる。病気らしき子どもたちは、奥の部屋で薄い布団の上に寝かされていた。目を開いたまま、なにかぶつぶつと呟いている子どももいる。

 保護施設のホームページに載せられていた写真の子どもたちは、もっと綺麗な服を着ていたし、溌剌としていた。あれはきっとモデルを雇って撮った、寄付を募るための「やらせ写真」なのだろう。


「おい」


 バタバタと背後から追ってきた職員を、ヒデヨシは睨みつける。額に青筋を浮かべ、鋭い眼光を向ける男に一瞬怯んだ職員だったが、負けじと睨み返す。


「警備隊を呼びますよ!」


「呼んでどうぞ。あんた俺が誰だか知っててそれを言ってんの?」


 職員は眉をひそめる。無理もない。ヒデヨシがいた当時の職員は、すでに全員退職しているのを知っている。


「ヒデヨシ・カタオカだよ。ここの施設の出身で、結構長いこと寄付してるんだけど、名前知らねえかな」


「え……」


「ちなみにここを辞めた職員で仲良い奴がいてさ、どうも俺の寄付金、正当に使われてないらしいって話を聞いたんだけど」


 明らかに職員の顔から色味が消える。ぐうの音も出ないところを見ると、ハッキングして調べたことはやはり事実で間違いないようだ。


 ––––施設にいた頃に磨いた悪事の技術が、ここで活きるとはな。


 職員だって苦しい生活を強いられているのはわかっている。しかし彼らは、自分たちよりさらに立場が弱いものから搾取している。子どもたちの食費や衣類に使われるべき金は、彼らの懐に入っていた。それを見逃すことは、いくらなんでもできない。


「ああ、あと」


 ヒデヨシは意地悪くにやりと笑い、職員を品定めするように見つめた。


「人口減少で税収が減ったことをきっかけに、政府は国営施設の民営化を進めてるよな? 保護施設も対象だったはずだ。ゆくゆく俺はここを買い取るつもりでいるから。寄付金をピンハネするような職員はクビにするつもりだ。他の職員にも言っといてくれよ」


 そう言って職員から段ボール箱を奪い取ると、ヒデヨシは子どもたちに中身を配り始めた。



「ずいぶん遅くなっちまったな」


 押し入る口実で買ってきた食品だけではとても子どもたち全員に行き渡らず、追加で食品を調達した。思ったより時間がかかり、ようやく門を出た今、空は茜色に染まっている。


 しかしこれで、胸のつかえが、ひとつおりた。

 エレナを失ってからは、自分の痛みにしか目を向けられなくなっていた。自分が金銭的に恵まれていることに甘えて、真綿の殻に閉じこもった。


 この壊れゆく世界で、自分より辛い思いをしている人間などたくさんいる。

 しかしそれから目を背けるように、免罪符の如く申し訳程度の金を施設に寄付して、それで許されている気持ちになっていた。


 だが自分はまだ、生きている。

 幸い財力もある。若くて、体力だってある。


 今日を諦めるにはまだ早いと、最近は思えるようになってきた。この終末の世の中でもがく人たちとともに、精一杯幸せを求めて生きたい。自分は神ではないから、すべてを救うことはできないけれど。


 ––––せめて、自分の手の届く範囲の人間は、守ってやりたい。


「ナビィの人の良さがうつったかな」


 ひとり苦笑しつつ、門とスクーターを繋いでいたチェーンを外した。


 記憶が戻って、ナビィの帰る場所がなかったら。できることなら、あの施設が彼女の居場所になってほしい。


 ––––これじゃあ、囲い込もうとしているみたいだよな。


 スクーターに跨り、自宅のディスプレイパネル経由でナビィに連絡を入れておこうと、スマートフォンを取り出す。


「なんだ……?」


 通知画面に、警告が出ている。画面を叩けば、自宅内のセキュリティシステムに異常が発生したらしい。


「監視カメラ停止、火災報知器・スプリンクラー作動……? おいおい、どうなってんだよ!」


 何か非常事態が起きているのは間違いない。ヒデヨシはスクーターに飛び乗り、ナビィのもとへと急ぐ。


 ハンドルを握りしめ、心が急くままに限界までスピードを上げて、荒野を走る。自宅に着くまでの道のりが永遠のように思えた。

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