第21話 不穏な影

「やあ、ヒデヨシ。最近はずいぶん頻繁に連絡をくれるね」


「交友関係が狭いもんでな。頼れる先が限られてんだよ」


「僕は君に頼ってもらえて嬉しいけどね。ナビィちゃんは元気?」


「ああ、まあな。それで用件なんだが」


「少しくらいスモールトークを楽しもうよ。せっかちだねえ」


 電話の相手は、ルカだった。マテオ以外にボディガードなんて紹介してくれそうな相手は、この人物しか思いつかなかった。


「腕のいいボディガードを知らないか」


「物騒な依頼だなあ」


 ルカは、電話の向こうで眉を顰めたようだった。


「もしかして、ヒデヨシもヤトミ教に狙われているの?」


「『も』ってどういうことだ」


「実はね、その件でこちらからも君に連絡を取ろうと思っていたんだ。最近ヤトミが活発化していてね」


「なんで今? 奴らを刺激する出来事でもあったか?」


「いろいろ理由はあるみたい。ひとつは教祖がこの街に今滞在してるってことかな。勧誘活動が活発化してる」


「ああ……教祖はこれまで海外にいたんだっけ?」


「そうそう。世界各国布教して回ってたんだよ。ご苦労なことだよねえ。あとは保護施設の民営化っていう事実上の見放し政策が発表されたのもあってか、貧困層の過激派の一部が教団に合流しているようでね。彼らの言葉を借りれば、『神の怒りを買う愚物』を力づくで排除する動きが出てきている。僕も先日襲われてね」


 自分がアンドロイド研究者だった時代も、過激なデモをする新興宗教団体だという記憶はあったが。まさか研究者を襲うまでに過激化しているとは思わず、ヒデヨシは閉口する。


「大丈夫だったのか」


「なんとかね。で、ちょうどボディガード会社と契約したところなんだ。もしよかったら君も打ち合わせに同席してみる?」


「助かる。ありがとな」


「来週中に初回のミーティングを調整するつもりだから、日取りが決まったら連絡するよ。いつでもいい?」


「陽が照ってない時間帯なら、いつでも」


「オーケー。じゃあまた連絡するよ」


 ヒデヨシは電話を切ると、カモミールティーを啜っているナビィの方を向いた。


「来週、またルカに会ってくる。お前はどうする?」


「私は家で待ってるよ。読んでる小説が今いいとこなんだ」


 ナビィはカップに視線を落としたままそう答える。

 ヒデヨシは首を傾げる。どこかへ行くと言えば、「私も絶対行く」と言ってきかなかった彼女の態度としては、どう考えても違和感があった。


「なんだ珍しいな。あの趣味の悪い甘々の恋愛小説か?」


「いいじゃん、ああいうの好きなの。ロマンチックで素敵じゃない」


「……本当に小説が読みたいだけか?」


「そうだよ?」


 ヒデヨシはテーブルに手をつき、ナビィの顔を覗き込む。


「なに? にらめっこ? 負けないよ」


「そんなことするかよ。子どもじゃねえんだから」


 ここのところ、ナビィの様子が変だ。ぼうっとしているときが多くなった。


 ––––何か、記憶を刺激する出来事でもあったのか?


 不安が頭をもたげる。実は少しずつ記憶が戻っていて、自分から心が離れて始めているのではないかと疑ってしまう。彼女が帰るべき場所がわかってしまったらと思うと、胸が軋む。


 だけど避けてはいられない。これは自分たちが先に進むために越えなければならないハードルでもある。


 ヒデヨシはナビィの隣の椅子に腰掛けると、彼女の頬にキスをした。不意をつかれたナビィは、大きな目をぱちくりさせてこちらを見ている。


「え、どしたの?」


「なんでもいいだろ」


 もう一度頬に、次に鼻の頭に。自分の思いを伝えるように、ヒデヨシは口づけをした。

 そのまま唇を奪えば、ナビィは目を閉じる。彼女の表情を見て、ヒデヨシの心は少しだけ満たされた。


 ––––拒まないってことは、俺から気持ちが離れたってことじゃあないんだよな?


 やきもきする心を悟られないよう、ナビィを抱きしめる。

 好きな人に自分だけを見て欲しい。同じ時間を共有していたい。ただ、そばにいてくれるだけでいい。エレナがかつてヒデヨシに願った気持ちを味わっていた。


 ––––今さら理解するなんて、遅すぎるよな。


 ヒデヨシは腕を緩め、ヘーゼルブラウンの瞳を覗き込み、ふたたび唇を重ねる。

 最近はこういう時間が増えてきた。どちらともなく、ふれあい、抱き合い、そして離れる。キスより先にはいかない。お互いにまだ、踏み込んではいけない領域だと、理解している。

 

 ◇◇◇


 アンドロイド研究所の正面入り口には人だかりができていた。


 黒い装束を身に纏い、首から銀色のネックレスを下げた怪しげな集団がデモを行っている。「アンドロイド開発反対」「神の裁きを受けよ」などと書かれた横断幕を掲げ、ビルに向かってメガホンを使って怒鳴っている。


 他の抗議団体ならきっと拡声器を使っているのだろうが。「原点回帰の原則」を信条としている彼らはそういった機械は使わない。結果、声を張り上げ続けている男の声は、しゃがれていた。


 警備員が対応しているが、黒ずくめの集団は来訪者にまでくってかかっている。うっかり警備員が手を出せば、そのまま乱闘騒ぎになってもおかしくないような不穏さだった。


 ––––こりゃ、なかなか入りづらいな。


 ポケットのスマートフォンが振動する。着信はルカからだ。


「やあ、着いたかい」


「タイミングがいいな」


「ヒデヨシはいつも十五分前行動でしょ。そろそろ着く頃なんじゃないかと思ったんだ。入れないでしょ、正面入り口」


「ああ、ちょうど困ってたとこだ」


「裏に回って。搬入口で待ってる」


 それだけ言ってルカは電話を切った。昔から変わらず嫌味なほどにスマートなやつだ。小走りで裏道へ向かえば、すぐに白衣を着た栗毛の男が目に入った。ルカだ。

「おや、ナビィちゃんは来なかったんだね」


「今日は留守番だ」


「へえ、いつも一緒なのかと思った」


 ルカに連れられて、ヒデヨシはアンドロイド研究所の中に入っていく。通されたのは来客用の会議室。ルカに促されて椅子に腰掛ける。ヒデヨシが座ると、どんな椅子でも小さく見えるとルカは笑った。


「ねえ、その髪切らないの。かなり長いじゃない」


「結べるから楽なんだよ」


「根暗なオタクみたいだよ」


「うるせえな、ほっとけよ」


「本当に君は態度が悪いねえ」


 他愛無い会話をこなしているうち、会議室の部屋がノックされる。もう時間か、とヒデヨシは時計を見た。


 ルカが契約したのはルーダー社というボディーガード派遣会社。やってきたのはガタイのいい、いかにも軍人といった風貌の中年の男だった。ルカが依頼したサービス内容と見積もり内容を聞き、その金額の高さについ眉を顰めてしまった。払えない金額ではないが、即決するには躊躇われる金額だ。名刺の交換だけし、ヒデヨシからの依頼に関しては、別途連絡するということで、その場は終えた。


「ふう、打ち合わせってやっぱり疲れるね。研究ならいくらでもやっていられるんだけど。どう、ヒデヨシ、このあと軽くお茶でも」


 ルカの人懐っこい笑顔に、ヒデヨシは仏頂面で応える。


「悪いが、寄らなきゃいけねえ場所があってな。またにする」


「つれないなあ。せっかくまた対面で会えるようになったのに」


「今度また、ナビィと一緒に来たときに連れてってくれ」


 ひらひらと手を振りながら会議室をあとにし、ヒデヨシは次の目的地へと向かっていった。

 

 ◇◇◇


「アンドロイド研究、感情、検索……」


 ナビィはひとり、ヒデヨシから借りたパソコンを使って、ウェブ上の情報をさらっていた。初め難しい論文ばかりを開いてしまい、ちんぷんかんぷんだったが、ナビィの頭でもかろうじて理解できそうなサイトを見つけて読み始める。


 ナビィはテーブルに頬杖をつき、マウスで画面を下へ下へとスクロールしていく。


『アンドロイドが感情を持つことは長く不可能だと考えられてきたが、その理論を覆したのがゲンナイ・ハヤカワ氏である』


 その一文を見つけて、スクロールする手が止まる。


『昨今問題となっているアンドロイドの暴走は、繰り返された深層学習の結果として、「人間は不要である」という解を導き出した結果の、人工知能の暴走であるという説が濃厚であった。しかしハヤカワ氏はこれが「怒り」の感情の発露によるものではないかという仮説を立てた』


「アンドロイドの暴走……か」


 路上で暴走していたアンドロイドが頭に浮かぶ。もし怒りの発露が原因なのだとしたら、きっと暴走したアンドロイドは、使用者からよほど酷い扱いを受けていたのではないだろうか。


「だとしたら……かわいそうだな」


 人間のために生み出されたアンドロイドたち。都合よく使われ、人間のストレスの吐口にされ、最後はスクラップにされる運命で。そんな人間のエゴに振り回される一生に、感情が加わったとしたら。


 ナビィはひとり項垂れ、ページの最後に書かれた一文を見て、ため息をついた。


『……アンドロイドの感情、およびそのコントロールに関する研究については、ハヤカワ氏の失踪により頓挫。あとを引き継ぐべく、国家支援によるプロジェクトチームが立ち上げられ、現在までチームが研究に取り組んでいるが、ハヤカワ氏の目指していた成果にはいまだ到達していない』


 パソコンを閉じ、気分転換に紅茶でも淹れようかと席を立とうとしたとき。

 突如、玄関の方から大きな打撃音が聞こえた。それも一度ではなく、何度も。


「えっ、なに?」


 その音には聞き覚えがあった。なぜなら自分もやったことがあるからだ。


 ––––誰かが鉄格子を叩いてる?


 ナビィはヒデヨシの見様見真似で、壁に設置されたディスプレイで自宅内システムをいじってみた。


「監視カメラの映像はー。えーと、これだ!」


 指先でディスプレイを操作すると、門の前の映像が映る。そこに映ったものを見て––––ナビィは身構え、両手で口を押さえた。


「やだ、何この人たち」


 カメラに写っていたのは、黒い装束に身を纏い、首からそろいの金属のネックレスを下げた集団だった。インターホンが反応しないとわかり、一番前に立っている人間が、ハンマーのようなものでガンガンと鉄格子を叩いている。無理やり押し入るつもりのようだ。


「ど、どどど、どうしよう」


 ヒデヨシは夜まで帰ってこないと聞いている。連絡手段もない。今できる唯一のことは、居留守を決め込むことだ。ヒデヨシが、我が家はその辺の小さなビルよりもセキュリティレベルは高いと言っていた。人の手による攻撃の範囲であれば、びくともしないはず。


「とにかく、いないふり!」


 ナビィは簡易ベッドに潜り込んで布団を被り、彼らが諦めて去っていくのを祈りながら、息を潜めた。

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