第17話 今日を生きる

 ホテルの外に出る頃には、すでにあたりは暗くなり、街灯には明りが灯っていた。


 街はすっかり夜の景色に変わっていて、高価な毛皮のコートを羽織った婦人が若い男を連れて歩いていたり、身なりのいい若者の集団が馬鹿騒ぎをしていたりする。有名ブランドの路面店では、仕立ての良いスーツを纏った二足歩行型のアンドロイドたちが客を迎えていた。


 この辺りは新市街の中でもトップクラスに地価の高い場所だ。歩いている人間たちも、皆この世の贅を集めたような格好をしている。


 貧民街と同じ国だとは思えないな、とヒデヨシは思った。


 ホテルの高額な駐車料金を払うのが嫌で、いつもの格安駐車場に停めていたのだが。向かう途中で何かを発見したナビィが、急に駆け出した。


「ヒデヨシごめん、ちょっとだけ待ってて! すぐそこだから」


「おい、お前は……どうしてそう勝手なんだ! またうっかり襲われても知らねえぞ!」


 ヒデヨシがナビィの背を追っていくと、彼女は商業施設の壁沿いの歩道にしゃがみ込んでいた。彼女の視線の先には子どもたちがいる。


 骨の浮いた体、ぼろ布のような衣服。顔を一目見て、この間の子どもたちだとすぐにわかった。


 ––––ここで、物乞いをしているのか。


 虚な目をして空を見上げていた子どもたちだったが。ナビィの姿を見て目を輝かせた。きっとまた、食べ物がもらえると思ったのだ。手を差し出し、「お願いします」と懇願している。


 ––––きりがない。毎度見かけるたびに食事を与えても、それは根本的な解決にはならない。


 しかしこのまま放っておくのはかわいそうだ。ナビィに声をかけて食品を買いに行こうかと思ったが。彼女はなにやら、子どもたちと話している。ヒデヨシの方を向かないところを見ると、ナビィはヒデヨシが考えたのとは別のことを考えているようだ。


 成り行きを遠目で見守っていると、ナビィは突然手拍子を始めた。


 そして立ち上がり、通行人に輝くような笑顔を振り撒くと。小鳥のさえずりのような声で歌いはじめる。高級レストランに入るために着せた光沢のある男ものの背広は、まるでステージ衣装のように彼女の美しさを引き立てていた。


 ナビィの透き通るような声が街に響く。

 穏やかで包み込むような、心地よい歌声だ。


 衆目が集まってくると、長い腕を天に向かってあげて、ナビィはその場で優雅に舞い始めた。


 ––––あれは。


 数日前、ナビィはテレビの画面に夢中になっていた。バレリーナが映っていたのだ。有名な曲目を、風にのった羽のように舞う踊り子の姿に、彼女は見惚れていた。


 歌も振り付けもナビィがテレビで見ていたそのまま。

 もちろん本物には遠く及ばないが、見事な再現具合だった。


 ––––あいつ、結構記憶力がいいんだよな。しかし一度見ただけで、あんなに覚えられるもんか? 実はダンサーだったとか?


 ナビィの行動に驚いた顔をした子どもたちだったが、知っている曲だったのだろう。顔を見合わせたあと、微笑んで歌を口ずさみ始めた。


 目に光を失っていた子どもたちが、ナビィがおどけた様子で歌う様子を見て、笑顔を見せる。ひとり通行人が立ち止まれば、ふたり、三人と続いていき、あっという間に人だかりができた。


 最後には子どもたちと手を取り合い、一緒に合唱した。歌い上げたナビィは、かぶっていた帽子を取って、聴衆にチップを求める。


 十五分くらいの出来事だった。


 たくさんの拍手とともに、あっという間に帽子に溜まった銀貨を子どもたちに渡すと、ナビィは笑顔で戻ってくる。


「ごめん、ヒデヨシ! お待たせ」


 帽子を被り直したナビィは、はにかみつつ、両のポケットに手を突っ込んだ。


「食べ物を買ってきてあげようよ、って、言うんじゃないかと思ってた」


 そう言ったヒデヨシに、ナビィは口を尖らせる。


「言わないよ」


「何で」


「それじゃあ、ヒデヨシにお金を出してもらうことになっちゃう。……私が、できることで何かしたかったんだ」


「そうか」


「それにね。楽しいことを教えてあげたいなって。食べ物を渡すだけじゃ、心は満たされないでしょ。歌を歌ったり、踊ったり。毎日を楽しむ術を教えてあげられたらって。ついでにお金も稼げれば、一石二鳥だしね」


 ナビィは学んだ。この世界がどうしようもなく壊れていることを。そして人々の心が著しく貧しくなっていることも。


 権力のカードゲームにうつつを抜かし、優雅に暮らす富裕層の下で。弱いものたちは搾取され、日々に希望を見出せぬまま生きながらえている。人類に対する運命の審判は間近に迫り、今の生活でさえ近い将来砂と消える。


 ––––だけどこいつは、それでも前を向いている。


「お前がいなきゃ、毎度あそこまで金は集まらないぞ」


「それでも。ただ座って空を見るだけじゃない方法があるって知るだけでも、明日につながる知恵を得られるでしょ」


 ナビィの言葉に、ヒデヨシは目を見張る。


「まあ……そうだな」


「もしも明日人間が絶滅するとしても、私はあの子たちに今日を生きてほしい。友達と歌って、笑って。少しでも楽しい思いをしてほしい。綺麗事だと思うけど、でも、そう思うの」


 ヒデヨシは、心底感心した。


 ナビィはきっと生きている限り、こうやって自分の手の届く人たちに、ささやかな希望を与え続けるのだろう。そして「今日」を笑って生きていく術を、ともに探るのだろう。


 ヒデヨシがナビィに救われたように、彼女の温かい手のひらに、救われるものは多いのかもしれない。


「……いつか」


「なあに」


「いつかお前がどこの誰だかわかって。帰る場所がないような状況に陥ったら」


「うん」


「俺と、児童養護施設の運営でもやるか」


「ヒデヨシ……そういう施設の運営って、そんなに簡単じゃないと思うよ。本当にやれると思って言ってるの?」


 呆れた顔を向けられ、ヒデヨシはムッとする。


「俺は考えなしにこういうことを言う人間じゃねえよ」


「そう、じゃあ、できるっていう確信があっての言葉なんだね」


「そうだ」


「その話、乗った!」


「賭け事じゃねえんだから」


 ナビィは両腕を組み、大袈裟に頷いてみせる。


「素晴らしい。実に素晴らしいよヒデヨシくん! 素敵な夢だね。ワクワクしちゃう。……少しでも多くの子どもたちが、今日を楽しく生きられるようになるといいな。そして明日に希望が持てるようになったら、最高だね」


「そうだな」


 ヒデヨシは思わず破顔した。


 ––––いつか本当に。こいつと一緒に、俺みたいな境遇のやつらが、幸せに暮らせる場所を作れるといい。


 上機嫌で鼻歌を歌うナビィの横顔を見ながら、ヒデヨシは未来に想いを馳せたのだった。

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