第16話 アンドロイド研究者の友人

「状況を整理しよう」


 ヒデヨシはリビングの壁に設置されたホワイトボードに向き合い、マーカーを取った。


「まず、お前は容姿や着ていた服から、ゲンナイ・ハヤカワ氏の娘である可能性が高い。服が作られたのは約二十二年前、お前と容姿がそっくりだというハヤカワ氏の妻が当時二十代くらい。そのワンピースはナビィのために作られたのではなく、母親から受け継がれたものだろう」


「私が博士の妻っていう可能性は?」


「それだとお前が四十代ってことになるぞ」


「それはないかー」


「真面目に考えろよ」


 まるで他人事のようなナビィを尻目に、ヒデヨシはボードに要点を書き込んでいく。


 ここまでわかっていれば、帰る家がわかったも同然なのだが。肝心のハヤカワ氏が妻と共に行方不明な上、屋敷は廃墟になっている。


「で、お前は謎の覆面男たちに追われている、と。確認できているだけで三人。この間俺を撃ったときにいたのも三人だったか?」


「あのときは二人、だった気がする」


「そうか。お前が覚えている一番古い記憶が、ハヤカワ氏の屋敷内で、男たちに襲われたときの記憶だな?」


「うん。でもひどいことされる前に逃げた」


「そのときに見たもので覚えているものは?」


「私が目を覚ましたのは、書斎みたいな、研究室みたいな部屋だった。男達を端からのして、ドアから出ようとしたんだけど。ドアノブも取っ手もなくて。試しに手を置いたら、自動ドアだったみたいでスライドして開いたの。屋敷の廊下に出て、どっちに進もうか迷っているうちに、男たちが復活したみたいなんだけど。あの人たちには開けられなかったんだよね、そのドア。お陰で時間が稼げて、うまく逃げられて」


 ボードの上を滑らせていたマーカーの動きをヒデヨシは止める。


「開けられなかった? どういうことだ、その自動ドアからそいつらも入ったんじゃないのか」


 そう問えば、ナビィはふるふると首を横に振る。


「部屋の天井に穴があいててね。たぶんそこから入ってきたの。私が開けたドアは使ってなかったんじゃないかな。で、私を追おうとして、ドアに触れたら」


「開けられなかったと。指紋認証とか、生体認証になっていたと考えるのが自然か。やっぱり、お前あそこに住んでたのか?」


「いや、わかんない。記憶にないんだよねぇ」


「そうか……」


 腕を組み、ヒデヨシは首をひねる。


「やっぱり一度あの屋敷に入って、その部屋を確かめる必要がありそうだな。……ただ」


「ただ?」


「その前に、ハヤカワ氏についてもう少し調べておきたい。伝手がある」


 ヒデヨシはスマートフォンを取り出すと、誰かに向けてメッセージを打ち始めた。

 

 ◇◇◇


「やあ、ひさしぶり。こうやって対面で会うのはいつぶりだっけ。二、三年ぶり?」


「……それくらい経ったか」


「変わらず無愛想だねえ。で? そちらの美しいレディは?」


 ヒデヨシとナビィは、新市街に位置するホテルの最上階、東国料理を扱う高級レストランにいた。ナビィが追われている以上、自宅に誰かを招くのは避けたいという判断で、待ち合わせの場所は人の出入りが限られる外部の施設を選んだ。予約したVIPルームで、ふたりはアポイントの相手と向き合っていた。


「ナ、ナビィです。どうぞよろしく」


 ヒデヨシとは違い、キザったらしいセリフを吐く男に、ナビィは早速苦手意識を抱いたらしい。肩をすくめ、相手の出方を伺っている。


「僕はルカ。ルーカス・ドーソン。よろしくね。ヒデヨシとは元同僚なんだ」


「こいつは今、アンドロイド研究の国家プロジェクトに関わってる。この国で一番優秀な研究者のひとりだ」


「褒めすぎだよ、ヒデヨシ。それに君が辞退しなければ、本来は僕じゃなくて君が参加しているはずのプロジェクトだったんだから」


 男っぽい容姿のヒデヨシと比べ、彼の持つ雰囲気は柔らかく、「優男」という表現がピッタリ合う。栗色の短い髪は、ルカの穏やかな雰囲気を演出するのに一役買っていた。


「ヒデヨシってそんなにすごい人だったんだね」


 ナビィは驚いた顔をヒデヨシに向ける。


「別に俺はすごくない。ルカの方が社交性もあるし、俺が参加するよりずっとプロジェクトがスムーズに回ってるはずだ」


「ご謙遜を。ナビィちゃん、ヒデヨシはね、とっても優秀な研究者だったんだ。貧民街出身なのにすごく賢くて。誰もが認める若手研究者だったんだよ」


 ナビィはなぜか、眉根をひそめてルカを見た。どうしてそんな顔をしたのかヒデヨシにはわからなかったが、ルカはそれを気にすることなく会話を続ける。


「で、ハヤカワ博士について知りたいんだっけ。理由を聞いても?」


 緑色の瞳が、興味深げにナビィをとらえる。性的な目で見ているというよりも、観察しているという表現が近かった。


「ナビィは記憶を失ってる。ハヤカワ博士の娘らしいということはわかったが、今博士の屋敷は廃墟になっている。お前なら、ナビィに繋がる博士の情報について、なにか知っているんじゃないかと」


「なるほどねえ……」


 ルカは顎に手を置き、斜め上に視線を漂わせながら、思考を巡らせる。


「僕もハヤカワ博士と直接会ったことはないからねえ。彼が活躍していたのは二十年以上前な上、失踪しているし」


 エリザベードと会ったあと、ヒデヨシもあらためて調べてみたが。彼が失踪したことは当時大々的に記事になっていたが、失踪後の足取りについては記録になかった。ハヤカワ博士が所属していたアンドロイド研究所の所員であるルカなら、もしかしてと思ったのだが。


「ただ、これが何かの手掛かりになるかはわからないけど。古参の研究者に聞いた話によれば、ハヤカワ博士、失踪する前にその兆候みたいなのがあったらしい」


「兆候?」


「上の空だったり、熱心に研究に精を出してるな、と思ったら、急に夜な夜な娼館に通うようになったり。結構な愛妻家だったらしいのにね。奥さんに愛想尽かされて逃げられて、おかしくなったんじゃないかって噂になってたらしい」


「ずいぶん詳しいんだな」


 ヒデヨシは片眉を上げた。まさかルカが、ここまで知っているとは思っていなかった。


「僕はね、先回りしてなんでも調べるタイプなの。君がハヤカワ博士について聞きたいって言うから、できる範囲で調べておいたんだ」


 目を細め、人の良さそうな笑いを浮かべると、ルカは料理に手をつけた。箸を使って、器用に料理を口に運んでいく。その様子をナビィは凝視していた。


「そんなに見つめられると、食べにくいね」


「あ、ごめん。すっごく綺麗に食べるなって思って」


「こいつは育ちがいいからな。どんな料理でも綺麗に食べる。ナビィ、お前箸が使えねえんなら、フォークとスプーンを頼んでやろうか?」


 ニヤリ、と笑いながらヒデヨシがそう言うと、ナビィは頬を膨らませる。


「子ども扱いしないでよう。食べれるもん」


「はは、なんか君たち、兄妹みたいだね」


 ルカの言葉に、ヒデヨシの眉毛がぴくり、と動いた。


「兄妹、じゃねえ」


 ヒデヨシの言葉は、不機嫌そうな色味を含んでいた。それをめざとく捉えたらしきルカは、ヒデヨシの感情を推し量るような視線をむけ、質問をしてくる。


「じゃあ、恋人なの?」


「……いや」


「そうなんだ。じゃあナビィちゃん、僕なんかどう?」


「え、あなたは嫌」


「嫌なんだ。ふられちゃったなあ」


 ナビィが「あなたは嫌」と言ったとき、少し頬が緩んでしまったのを、ヒデヨシは食事を掻き込むふりをして隠した。


「ルカは、ハヤカワ博士に娘がいたという話は聞いたことがあるか?」


「いや、子どもがいるという話は聞かなかった。博士の家は二人家族だ」


 ––––失踪前の時点で、夫妻の間に子どもはいなかったのか。


 つまり子どもが生まれたタイミングは、博士の失踪後ということになる。もしかすると、博士とナビィに血のつながりはないのかもしれない。博士と離婚したあと、元妻が再婚してできた子どもの娘が、ナビィと考えるのが自然か。または博士が逃げた妻を追って復縁した先で子どもが生まれたのか。


「ちなみに、ハヤカワ博士が誰かに狙われていたっていう情報はあるか」


 コップの水で喉を潤しながら、ヒデヨシは問う。


「ああ……まあ、ハヤカワ博士に限ったことじゃないけど、アンドロイド研究者は奴らに定期的に抗議活動を受けてるだろ? 特に博士は、アンドロイド研究の第一人者だから、しつこく抗議活動を受けてたみたい」


「奴らっていうのはヤトミ教か?」


「そうそう」


「ねえ、ヤトミ教って、なあに? ウイルスの名前もヤトミだったよね。何か関連があるの?」


 箸と格闘していたナビィが、興味深げに口を挟む。箸はエックスのような形になってしまっていて、どう見てもうまく使えていない。


「街で真っ黒い服を着て、経典を配っている宗教団体を見たことはないかい?」


 ルカの質問に、ナビィは首を傾げて質問で返す。


「経典ってなに?」


「厚みのある本だね、平たく言えば」


「ああ! 見たことあるよ。ヒデヨシとハヤカワ博士のお屋敷に行ったとき、おばあさんに渡されそうになった」


 ヒデヨシはナビィに向かって、できるだけ噛み砕いた説明をする。


「ヤトミ教というのはヤトミウイルスの第一発見者である、ヤトミ医師が始めた新興宗教だ」


「お医者さんが宗教? なんで?」


 ナビィは首を傾げる。


「彼女は国外で研究をしていて、ヤトミウイルスを偶然発見した。当時ヤトミ医師は、『これは人類を破滅に導く脅威のウイルスだ』って世界に訴えたんだが。各国政府は混乱を恐れるばかりで、情報統制を行い、対応は後手に回った」


「あれは天下の愚策だったねえ」


 ルカが困ったような顔で相槌を打つ。


「治療の甲斐虚しく、彼女は何千人もの患者をあの世へ見送った。諦めずに治療法を模索し、ワクチンの開発を訴えるも、どの国でも人口はみるみる減っていった。ヤトミ医師は現実に絶望し、そしてある日神から『啓示』を受けた」


「ケイジ?」


 ナビィが首をひねる。


「人間の世が終わりを迎えるのは、人の知恵が神の領域に触れたから。『原点回帰の原則』を唱え、文明に頼らない生活をすることで許され、世界は平和へと導かれ、死後も楽園に行けるという教義をふれ回っているらしい」


「言ってることはわからなくもないけどねえ。まあ、やってることは極端だけど」


 そう言ってルカは苦笑いをしつつ、食事を口に運ぶ。


「世界が混沌とすると、ああいう宗教が生まれる。みんな何かに縋りたくなるからな。それ自体は別に悪いことじゃないんだが––––俺たちにとっちゃ厄介なんだ、あいつらは」


 ヒデヨシが忌々しそうにそう言う。


「ヤトミ教はね、アンドロイド研究者を憎んでいるんだよ」


 ルカの言葉にナビィは首を傾げる。


「どうして?」


「『人の知恵が神の領域に触れたから、神は人間に雷を与えた』っていうのが彼らの理屈でしょ。アンドロイド研究なんて、『人に近いもの』を作る研究だから」


 ルカは笑顔をナビィに向けたが、相変わらず彼女は緊張した表情を見せている。


「アンドロイド研究の隆盛とウイルスが発見された時期が重なってんのもあってな。アンドロイド研究者が神の領域を荒らしたのが今の惨状の要因の一つだって主張してる。だからヤトミ教は俺たちを敵視してんだよ」


 ヒデヨシの解説を聞いて「そういうことね」とは言いつつ。ナビィは納得できない様子で、ヒデヨシが頼んでおいたスプーンを使い、卵料理を口に運んだ。どうやら箸を使うのは諦めたらしい。


「特に、ハヤカワ博士はアンドロイド研究の第一人者であるのに加えて、『感情を理解するアンドロイド』の研究に心血を注いだ人だからねえ。彼らにとっては特に許し難い存在だった」


「感情を理解するアンドロイド……? ルカたちがやってる研究じゃねえか。二十年以上前にすでに成果を出してたのか? そんな論文、見た記憶ねえぞ」


「博士の研究結果は表に出てきていない。出てくる前に博士が失踪しちゃったから」


「ああ、そうか……」


 ヒデヨシは、廃墟となった屋敷の塀に書かれた落書きを思い出していた。粋がったクソガキが適当な言葉を書き殴ったのかと思っていたが。


 ––––「地獄に堕ちろ」「神の鉄槌を受けよ」「悪魔」「神へ懺悔せよ」だったよな、この間見たのは。


 ヤトミ教の奴らが書き殴ったとも取れる。もしや、ハヤカワ博士の屋敷へ覆面をして侵入していたのも奴らだろうか。博士の屋敷で、何かしようとしていたのをナビィに見つかって、それでナビィを追っているのか。


 ––––もしやハヤカワ夫妻は、奴らから逃げるために失踪したのか?


 ナビィの容姿と「襲われた」という表現に惑わされて、もしかしたら大変な思い違いをしていたのかもしれないと、ヒデヨシは思い始める。


 ––––再考の必要があるな。


「サンキュ、ルカ。いろいろ助かった」


「力になれたなら良かったよ。ヒデヨシには仕事でお世話になってるからね。お安い御用さ。そういえば」


「なんだ?」


「ずいぶん元気になったみたいだけど。研究所に復帰するつもりはない? 君ほどの頭脳があれば、再雇用面接も楽々突破できると思うんだけど。僕の助手が足りないんだ、考えてみてよ」


 ヒデヨシはルカの誘いに、苦笑いで応える。


「……ひとりで生きていくぶんの金は十分稼いだからな。今は、細々とした収入があればいい」


「そうかい」


 ルカはナプキンで口を拭う。彼のテーブルマナーは、初めから最後まで完璧だった。


 富裕層の出で出自に一切のケチがない。身のこなしも優雅で頭もいい。そして国内トップクラスの研究者でもある。


 ルカは、かつてヒデヨシがなり代わりたかった人物だった。エレナを幸せにするために、こういう男になりたかった。彼と国家プロジェクトのメンバーの座を競い合っていた当時はルカが羨ましくて、妬ましくて仕方なかったが。今は不思議と、彼と穏やかに話すことができていた。

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