第15話 雪解け

 話しながら、ヒデヨシは泣いていた。


 彼女を失って以降、こんなふうに当時の出来事を誰かに話すのは初めてだった。

 あれから逃げるようにすべてから遠ざかった。研究も、面倒な人間関係も、彼女がいたからこそ耐えられていたものだったから。


「百貨店の崩落による行方不明者の捜索は、早々に打ち切られた。あの頃にはもう、生きているか死んでいるかわからない人間に対して、コストをかける余裕がこの国にはなかった」


 自身の手で掘り返すことも許されず、バリケードで囲われた瓦礫の山が、そのまま彼女の墓となった。


「ひとりになりたくて、俺は辺境へ閉じこもった。生きている意味なんかもうなかった。でも自分で死ぬ勇気はなくて、ただ無味乾燥な日々を生きていた」


「そっか、そうだったんだね……」


「彼女はきっと死ぬ間際、俺を恨んだと思う。……何が国一番の研究者だ。貧民街の一等星だ。持ち上げられていい気になって、結果俺は彼女を不幸なまま死なせちまった。俺のやってきたことは全部間違いだったんだ」


 そこまで言い切るとヒデヨシは顔をくしゃくしゃにして、子どものようにしゃくりあげた。


 感情が溢れる。止まっていた時間が動き出したように、ヒデヨシの心は掻き乱された。大の男がみっともないとは思いながらも、溢れ出る後悔と悲しみを抑えることができない。


 ナビィはヒデヨシのすぐそばに身を寄せた、覆い被さるようにして、柔らかな腕が肩に回される。


「ヒデヨシは悪くない。ただ、愛し方がすれちがっちゃっただけ」


 彼女の優しさに縋り付くように、ヒデヨシはナビィの背中に自分の手を置いた。首元に寄せられたナビィの頬は、ほんのりと暖かい。


「エレナさんは、最後までヒデヨシを愛してたと思う」


「でも、他の男と寝てたんだぞ」


「私はエレナさんじゃないから、本当のところはわからないけど。好きな人に自分を見てもらえないって、とても辛いことだと思う。やってはいけないことだけど、当てつけみたいなものだったんじゃないかな。本当に心が離れていたわけじゃない」


「……よく、わからん」


「過去を振り返って嘆いても、何も変わらないよ。今を生きてるヒデヨシにできることはさ。彼女のために祈りを捧げてあげることだけじゃないかな。そしてヒデヨシも、前を向いて自分の今日を生きなきゃ」


「……そうかな」


 彼女の死が悲しくて。生き甲斐がなくなって。彼女を弔うこともできていなかった。それにナビィの言葉で、ようやく気づくことができた。


 裏切りがあった。

 それでもエレナを愛していた。


 彼女がいなくなってしまったことで、これまで築き上げてきたことすべてを投げ出してしまうほどに。


 あらためて自分が弱くて、ちっぽけで、どうしようもない人間だと思い知らされた。


「百貨店の跡地に……花を手向に行こうと思う。エレナの好きだった、花を持って」


「そうしてあげて」


 ナビィは微笑んで、ヒデヨシの赤毛をくしゃくしゃと撫でる。


「辛かったね、ヒデヨシ。もう苦しまなくていいんだよ。過去に囚われず、自由に生きたっていいんだよ」


 優しい言葉にまた泣きそうになって、それを誤魔化すように、ヒデヨシは彼女の華奢な体を抱き寄せた。


 白い花が風に揺れる。一度崩壊して荒地のようになっていた心は、ナビィの優しさに包まれて、だんだんと形を取り戻していく。


 言葉のない時間に少しの居心地の悪さを感じ、ヒデヨシは腕の中にいるナビィに、会話の糸口を探そうと声をかけた。


「お前はさ」


「なに?」


「やりたいこととかないのか、……その、記憶が戻ったら」


「うーん、そうだねえ」


 ナビィはヒデヨシから少し体を離し、濃茶色の瞳を見つめる。


「人を、愛してみたいかな」


 ヒデヨシの胸が疼く。それを気づかせぬように、言葉を重ねる。


「人を、愛してみたい? なんだか抽象的だな。彼氏を作りたいとか、恋愛したいとかじゃなくてか?」


「うん、なんかね。ずうっと心の中に、その願いだけ残ってるの。記憶がないのに変だよね。愛してみたいっていうか、愛さなきゃいけないっていうか」


「ふうん。なんだろうな。失われた記憶に関係あることなのか?」


「うーん、わかんないなあ」


 ナビィは頬をぽりぽりと掻いて、困った顔をした。その顔を、惚けたようにヒデヨシは眺めていた。

 

 ◇◇◇

 

 家に帰ると、頼んでおいた簡易ベッドが届いていた。ナビィは嬉しそうに梱包を剥がすと、テキパキと組み立ていく。その様子を見ながら、ヒデヨシは複雑な表情を浮かべる。 


寝室のベッドはふたりで寝るには充分な広さがある。想いの通じ合った男女で寝る分には、不便がない。


「これでヒデヨシもゆっくり眠れるね!」


「ああ。うん」


「なんでちょっと残念そうなの?」


「知らね」


「しかもちょっと不機嫌」


「うるせえ」


「知らねえとか、うるせえとか、反抗期の子どもじゃないんだから」


 ナビィは苦笑いをすると、真新しい寝具にカバーをかけ始めた。前々から思っていたが家事の手際が良い。やはり結婚歴があるのではないかと、ヒデヨシは訝しむ。


 ––––いや、ひとり暮らしだったって可能性も考えられる。あるいは家政婦の仕事をしていたとか。いやいや、いいとこのお嬢さんならそもそも自分で身の回りのことをしないのか? 


「それで、あの、確認なんだけどさ」


 もじもじと聞きずらそうにするナビィを見て、ヒデヨシはしかめっ面をする。


「なんだよ」


「私、まだここに置いてもらっていいの?」


 なんでそんなことを聞くんだ、と思ったのが顔に出ていたらしい。ナビィは遠慮がちに言葉を続ける。


「いやほら、ヒデヨシ、もうちょっとで殺されるとこだったしさ。危ない人たちに付け狙われてるって知ったら、私を家に置いておくの、嫌かなって……」


「お前は俺が、怪しい男どもに狙われている女を外に放り出す冷血漢に見えるのか」


「ってことは」


 ヒデヨシはナビィの頭に手を置き、わしゃわしゃと撫でた。ヘーゼルブラウンの艶のある髪は、シルクのような滑らかな手触りだった。


「いたきゃいつまでもいろよ」


「……ほんと?」


 散歩前の犬みたいな、上目づかいの喜びの表情を向けられて、ヒデヨシはそっぽをむく。前から綺麗だとは思っていたが、ナビィがより魅力的に見えるようになってしまった気がする。


 ––––我慢だ。まだ人妻だって可能性も捨てきれないんだから。


 ため息をつきながら、眉間の皺を揉むヒデヨシを、ナビィは不思議そうな顔で眺めていた。

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