第14話 消えない傷

「亡くなった恋人は、エレナって名前だった。生意気なやつで、しょっちゅう喧嘩してたけど。そのうち仲良くなって、付き合うようになった」


 見た目は美しいが、エレナは相当な乱暴者で。子どもの頃はヒデヨシとも「貧民街のボスの座」を争って取っ組み合いの喧嘩をする間柄だった。


「お互い保護施設育ちで。俺らがいたときはこの間の子どもたちみたいな惨状までひどくはなくて。少なくとも毎日食事はできてた。職員による理不尽な暴力とかはあったけど」


 エレナとヒデヨシが付き合い始めたのは、ヒデヨシが十三歳、エレナが十四歳の頃だった。十八歳––––この国の成人年齢に達すれば、保護施設から出なければならない。十八歳以上でも保護施設で暮らす例はあるが、それは一時的な保護の場合のみ。保護施設から出た人間たちは、何人かで安いアパートを借り、狭い部屋にベッドを敷き詰めるようにして暮らしていた。


 エレナは美しいがゆえに、男からの暴力の標的になりやすかった。成人年齢に近づくにつれ、日に日に美しくなっていくエレナを守るためには、スラムのような街のアパートは危険すぎる。瞬く間に広がっていくウイルスも心配の種だった。ヒデヨシはエレナのために、どうするべきか考えた。結論ヒデヨシは、社会的地位の高い安定した職を目指し、悪事で稼いだ金を使い教育を受けた。地頭が良く、要領の良かったヒデヨシは、メキメキと知力をつけ、施設を出る頃には大学卒業の資格を得ていた。


 本当ならエレナの方が先に施設を出るはずだったが、職員に賄賂を渡して一年伸ばしてもらった。文句を言う施設の仲間は、暴力で黙らせた。


「俺は大学院に進んで、アンドロイド研究を専攻した」


「アンドロイド……それで、ハヤカワ博士のことも知ってたんだね」


「そうだ」


 施設を出たあと、ヒデヨシとエレナは旧市街のアパートでふたり暮らしを始める。ヒデヨシは昼間に研究、夜は割のいい土木作業のアルバイトで生活を稼ぎ、エレナは新市街の百貨店で働き始め、それなりの暮らしができるようになった。


「俺は必死だったんだ。エレナにいい暮らしをさせたくて。とびきり幸せな花嫁にしてやりたかった。俺たちを『貧民街のハイエナ』って罵っていた奴らに、てめえらより俺たちは優れてるんだってことを、見せつけてやりたかった」


 ナビィは口を開かない。隣でじっと、ヒデヨシの話を聞いている。


「だけど、俺はいつの間にか、独りよがりになってたんだ。あいつの気持ちを全然考えてなかった。俺は俺の思う『彼女の幸せ』を押し付けていたに過ぎなかった」


 ヒデヨシは、目を閉じた。目を閉じて、「あの日」の出来事を、思い出していた。


 ◇◇◇


 贅沢な厚手の紙に印刷された辞令。金色の装飾が縁に施されたそれを握り締め、エレベーターに乗り込む。上階に向けて登るスケルトンのエレベーターから見下ろす新市街・旧市街・貧民街の街並みは、まるで模型のようだった。新市街の一等地に立つマンション、そして手に入れた名誉ある仕事。二十八歳のヒデヨシは、自分がやり遂げたことに満足していた。


 玄関ドアの鍵をあけ、意気揚々と中に入る。彼女は驚くかもしれない。いつも深夜帰りの自分が、真っ昼間に帰ってきたのだから。今日のこの辞令をもって、ヒデヨシは彼女にプロポーズをすると決めていた。


「エレナ、帰ったぞ!」


 喜びを隠しきれない声色でそう呼びかけるも、部屋からの応答はない。代わりにバタバタと忙しく歩き回る足音が聞こえる。


 今日は百貨店の仕事が休みで、エレナは家にいるはずだった。足元を見ると、エレナと自分の靴の他に、見知らぬ男物の革靴が玄関にはある。


 ––––来客か?


「エレナ……?」


 音は寝室の方から聞こえる。ドアを開けて飛び込めば、信じられない光景が広がっていた。


 目に入ったのは、一糸纏わぬ男の姿。男の金髪は汗で濡れていて、慌てて手にしたらしき上着でかろうじて体を隠している。エレナは布団を抱え込み、体を覆っていた。床には、ふたりの着ていたらしき衣服が散乱している。


 一見滑稽とも思えるその状況に、ヒデヨシは初め何が起こっているのか判断できず、その場で立ちすくんでいた。


 先ほどまでの高揚感は消え失せ、これまで信じていたものが崩れ落ちる音が、耳元で聞こえる。


 次の瞬間、ヒデヨシは裸の男を床に引き倒し、馬乗りになって顔を殴打していた。細身の男はなすすべなく、大柄なヒデヨシの攻撃をモロに受け、唇は切れ、鼻血が飛び散り、あたりはすぐに血まみれになっていく。


「ちょっと、やめて! 死んじゃう、死んじゃうから」


「ふざけんな! 止めるんじゃねえ」


 ヒデヨシがエレナを突き飛ばすと、彼女は壁に打ち付けられ、床にずり落ちた。

 それを見て正気を取り戻したヒデヨシは、ようやく攻撃の手を緩め、男の上から退く。


「エレナと話がある。てめえは服着てさっさと出てけ。二度と来るんじゃねえ」


 凄まじいヒデヨシの殺気を前に、男はチラリとエレナの方を見たあと、尻尾を巻いて逃げていった。ヒデヨシはエレナにも服を着るように促し、一旦寝室から出た。


「これは、どういうことだよ」


 リビングにやってきたエレナに向かって、極力声を抑えつつ、ヒデヨシは問い詰める。


「だって……」


「だってじゃねえ」


 エレナは、口を真一文字にして、涙を堪える。人前では泣かない女だった。こうやって涙を堪える姿を、ヒデヨシは子どもの頃から見ている。富裕層の子どもに馬鹿にされたとき、喧嘩で負けて悔しいとき。最近では、貧民街育ちだからと職場で陰険ないじめを受けたとき。


 エレナのこういう表情は、昔からずっと変わらない。それなのに。今は彼女のことがわからなくなっていた。


「なんで、浮気なんかしたんだよ。……泣きたいのはこっちだよ。俺になんの不満があってこんなことを」


 彼女は答えなかった。相変わらずダンマリを決め込んでいる。ヒデヨシはテーブルに置きっぱなしになっていた辞令を、乱暴に広げてみせた。


「今日、国家プロジェクトのメンバーに選ばれた。昨今のアンドロイドの暴走を食い止めるために始まる、政府肝煎りの研究だ」


 エレナの表情は変わらなかった。むしろ不機嫌さを増している。喜ばしい話のはずなのに、どうしてエレナがそんな顔をしているのか、ヒデヨシにはわからない。


「ウイルスの蔓延でアンドロイド研究の重要度は増している。国家プロジェクトへの選抜は、研究者としてこれ以上ない栄誉だ。これでもう、俺たちのことを『貧民街のハイエナ』なんて誰にも言わせない。この都市で一番有名なホテルで式を挙げよう。新市街の一等地に、大きな家を建てよう。お前は誰より幸せな花嫁になれる。今日のことは忘れてやる。だから……」


「そういうとこ」


「……は?」


「そういうところが嫌なの」


「俺何か間違ったこと言ったか?」


「ヒデヨシ、最近私の顔見てないでしょ」


「は?」


「あんたは……『彼女に最上級の幸せ』を与える自分に酔ってるだけ」


 エレナの言葉の意図することがわからなかった。ただ眉間に皺を寄せ、ヒデヨシは彼女を見つめていた。


「私は、名誉なんていらない。高級なホテルじゃなくたって、小さな教会でふたりきりで式を挙げたっていい。あんたに私をちゃんと見ていて欲しかった。このクソッタレな世界で、あんたが私の唯一だったのに」


 耐えかねたのか、エレナはボロボロと泣き始めた。それでもまだ、ヒデヨシは彼女の言葉の意味を理解することができなかった。


「研究研究って言って、ほとんど顔も合わさない。イライラしてることも増えた。あんたが私に笑顔を向けるのは、仕事上の交流パーティで私が横にいるときだけ。……寂しかった。あんたがどんどん知らない人になってくみたいで」


「エレナ……」


「貧民街の星だなんて言われて、世間から評価されて。築き上げた地位を使って『恋人に尽くしてる自分』をあんたは愛してる。あんたが愛してるのは、私じゃない!」


 ようやくヒデヨシは理解した。自分が何を間違えていたのかを。


「こんなんなら、ずっと貧民街に住んでたほうが良かった!」


 部屋を飛び出て行こうとする彼女の手首を、ヒデヨシは掴む。


「ちょっと待てって」


「離して!」


 エレナはヒデヨシの腕を振り切り、玄関まで走って行く。


「……明日は、友達のところから出勤するから」


 一度も振り返らずに出ていく彼女のうしろ姿を、ヒデヨシは呆然と見つめることしかできなかった。



 翌日、ヒデヨシは仕事を休んだ。これまでの人生すべてを、一番大切な人に否定されて。もう、何もやる気が起きなかった。


 上等な皮のソファーに体を横たえテレビの電源を入れる。別に何か観たいものがあったわけではない。ただ無音の空間が耐えられなくて、音のなるものをつけておきたかった。


 画面が映った直後、画面上部に「緊急速報」の赤文字が表示される。次に出てきた文字を見て、ヒデヨシは飛び起きた。


「新市街サンイシド地区にて地盤沈下が発生。アル・ベール百貨店が崩落。死傷者数不明。警備隊に救助要請」


 ドラマを映していた画面が、緊急中継画面へと切り替わる。ドローンからの映像だ。そこに存在していたはずの百貨店の姿は跡形もなくなり、砂煙が上がっている。火災も起きているようだ。


 ヒデヨシはテレビの画面を両手で押さえ、齧り付くように映像を見ていた。まるで、映画のワンシーンみたいな映像だった。百貨店前の映像が映し出される。現場は阿鼻叫喚の様相を呈していて、アナウンサーがレポートをする背後で、人々が逃げ惑っていた。


 足元がふらつき、喉から水分が失われる、テーブルについた手には感覚がなく、死人みたいに真っ青だった。


 部屋の鍵とスマートフォンだけを手に握り、ヒデヨシはマンションから飛び出した。


 ––––頼む。


 エレベーターが上がってくるまでの時間がもどかしくて、非常階段を駆け降りていく。


 ––––嘘だって言ってくれ。


 マンションのエントランスを出たところで、通行人とぶつかって派手に転んだ。罵声を浴びせてくる相手に謝りもせず、立ち上がってすぐに目的地へと走る。


 ––––頼むから。


 ヒデヨシは泣いていた。涙が溢れて止まらなかった。胸は締め付けられるように痛み、焼けるような灼熱の太陽を背に受けながら走っているのに、体が芯から冷えていく。


 ––––俺から彼女を奪わないでくれ。


 緊急車両が猛スピードでヒデヨシの横を抜けていった。


 ––––彼女しかいないんだ。


 アル・ベール百貨店が「建っていた」場所に辿り着いて、ヒデヨシはその場にへたりこんだ。


 テレビで見た映像と同じく、すでに建物のかたちは跡形もなく、まるで初めから空き地だったかのようになっていた。土煙が上がり、警備隊や救助隊が忙しなく動いていて、その合間は野次馬で埋め尽くされている。


「うわああああああ」


 ヒデヨシは叫び声をあげて、百貨店の跡地に突入した。しかし警備兵に怒鳴られ、羽交締めにされて、敷地の外に連れ出される。その場で地面に突っ伏し、嗚咽した。


 ––––どうして、なんで。


 ヒデヨシの愛していた女性は、この日、永遠に失われた。

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