第12話 ゲンナイ・ハヤカワ氏の屋敷

「急にどうしたんだよ!」


 ヒデヨシを先導するナビィの背中に向かって怒鳴ってみるも、彼女は黙々と前を向いたまま走っていく。


「私、たぶんここ来たことある!」


「たぶんって。ほんとかよ」


「とにかくついてきて! 私、こっちの方から来た気がする」


 引きずられるようにして、ヒデヨシはナビィのあとを走っていく。意外と足が速い。ヒデヨシはもつれる脚を必死に動かしながらついていった。


 隠居生活でだいぶ体が鈍っている。全速力で走り続けられるような体力は持ち合わせていない。


「おい、ちょっと……」


 少し止まってくれ、と言おうとした瞬間、ナビィが急に立ち止まった。あまりに唐突だったため、もう少しで激突するところだった。


「はあ……おい! 突然止まるんじゃねえよ!」


「ここ! ここだ! 見て!」


「ああ?」


 ナビィが指差した箇所の煉瓦の塀には、人ひとりが十分通れるほどの大穴が空いていた。


「私、この穴を通って外へ逃げたの」


「お前が言ってた暴漢からか」


「そう。前に来たときは夜だったから。ちょっと印象が違くて、歩いてたときは気が付かなかくて」


 彼女は記憶を辿るように、視線を大穴の先の屋敷に向けている。


「この屋敷へ連れてこられて……その、乱暴されそうになったのか?」


 彼女は俯くと、眉をひそめて口を尖らせた。


 ––––聞き方が不味かったか。デリケートな話だもんな。


 地面を向き、ヒデヨシはくしゃくしゃと前髪を掻く。細やかな気遣いは苦手だった。様子を伺うように盗み見れば、ナビィは腕を組んで考え込んでいる。


「よく……わからないの」


 親とはぐれて迷っている子どもみたいな顔で、ナビィは話し始める。


「ここに、どこかから連れてこられたのか、それとも、もとからここにいたのかはわからない。目が覚めたら、目の前に三人くらい、全身黒ずくめの覆面の人たちがいて」


「覆面……?」


「腕を掴まれて、首輪みたいなのをはめられそうになったの」


「そりゃ……また、趣味のいいことで」


「ふざけないでよ」


 しかしどうも話がおかしい。どこかで誘拐されてここに連れてこられたのだろうか。しかもわざわざ、彼女の両親が住んでいた家に? ナビィとこの建物の関係性を知らなかったのだろうか。単なる暴行目的だったと考えると、覆面をしていたというのも妙だ。


「それで、どうやって逃げたんだ」


「ええと、こうやって蹴っ飛ばして」


 ナビィは股間を蹴り上げるような動作をヒデヨシに向かって見せる。


「お前は富裕層のお嬢さんじゃなかったのか」


「だから記憶がないんだって!」


 ナビィのテンポの良いツッコミを受けて、ヒデヨシは思わず吹き出した。一度笑い出したら止まらず、涙を流しながら笑い続ける。


「そ、そんなに笑わなくたっていいでしょ!」


「いや、お前が次々と覆面男に金的を食らわすところを想像したら、おっかしくて」


「別にそこばっか狙ってたわけじゃない!」


 ムキになってそう言い放った直後、ナビィも耐えきれなくなったのか、笑い始めた。もはやなにがおかしいのかわからなくなって、ふたりで腹を抱えて笑う。


「ヒデヨシがそんなふうに笑うの初めて見た。含み笑いみたいなのは何度かあったけど」


「……俺もひさしぶりにこんなに笑った気がする」


 絶望して、どん底まで落ちて。糸の切れた人形のように動けなくなっていたはずなのに。このすっとぼけた妖精のせいで、いつの間にか毎日に色が戻ってきている。


「お前のアホ面を毎日見てたから、きっと俺の顔面が故障したんだな」


「はあ? なにそれ! 私アホじゃないもん」


 憤慨するナビィの頭を、ヒデヨシはわしゃわしゃと撫でる。


「さて帰るか。もう日没だからな。とりあえず一旦今日得た情報を帰ってからまとめるとしよう」


「中、探索していかないの?」


「廃墟になってからだいぶ経ってそうだからな。足場も悪いだろうし、灯りも必要だろ。中に入るならきちんと準備した上で来たほうがいい」


 来た道に向かってヒデヨシが振り返った、そのとき。ヒデヨシの肩ほどの背の少年が、ぶつかってこようとした。咄嗟にヒデヨシが避ければ、彼はバランスを崩し、ナビィに向かって突っ込んだ。


「うわっ」


 ナビィはその場に仰向けにひっくり返り、尻餅をつく。少年も一緒に倒れ込んだが、すぐに体勢を立て直し、脱兎の如く逃げていく。


「おい! こらクソガキ!」


 ヒデヨシがつかんだ袖は振り払われ、取り押さえることはできなかった。


「ナビィ、大丈夫か?」


「うん、なんとか」


「ありゃスリだな。幸い財布は無事だったが」


 目深に被っていたフードは脱げ、ナビィのヘーゼルブラウンのロングヘアが顕になっている。怪我をしていないようなのが不幸中の幸いだ。ヒデヨシに差し出された手を取り、ナビィは立ち上がると、ズボンについた土をパンパンと払う。


「この辺は人通りもほとんどないし、あんまり長くいないほうがいい」


 ヒデヨシの呟きに対して、ナビィは明後日の方向を向いている。何かを見つけたようで、目を細めていたナビィが、間抜けな声をあげる。


「うあ」


「え?」


 ナビィに腕を引っ張られた刹那。乾いた発砲音がヒデヨシの頭の横を抜けた。


「は……?」


 ヒデヨシの視界に映ったのは、上下黒の服を着た中肉中背の男たちだった。ひとりの男の手には、拳銃らしきものが握られている。


「まじかよ!」


 二発目の銃撃は来なかった。ここで銃撃戦を始めたいわけではないらしいが、奴らはこちらに向かって一心不乱に駆けてくる。


 ––––一発で俺を仕留めて、ナビィを連れ去る魂胆だったのか?


 そんなことを考えながら、今度はヒデヨシがナビィを引っ張るようにして、人気の多いメインストリートを目指して駆け出した。

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