第11話 エリザベード・クロリス

 ナビィのワンピースをデザインしたのは、かつて『アルピノ』でトップデザイナーを務めていた女性だった。名前はエリザベード・クロリス。現在六十三歳だという彼女は、前線は退いたものの、デザインの仕事は細々と続けているという。


 新市街の彼女の屋敷に到着したとき、ヒデヨシもナビィも、その荘厳さにぽっかりと口をあけ、しばらく動くことができなかった。


 用件をインターホンで伝えれば、蔓をイメージした洒落たデザインの背の高い門扉が自動で開く。


 ナビィはまずそれに慄き、二歩下がった。

 ヒデヨシはかつての仕事上、富裕層と交流があったおかげで、そこまで驚きはしなかったが。それでもこの屋敷は別格だと感じ、多少普段よりは緊張していた。


 門から屋敷に至るまでの石畳の道を進めば、ピンクや赤色のバラが左右の視界を埋め尽くし、来訪者を楽しませている。まさに贅を尽くした邸宅という印象だ。


「こちらでお待ちください」


 緑色の塗装の家政婦型アンドロイドに、シャンデリアの下がった豪奢な客間に通される。艶のあるベルベッド張りの猫足のソファーに腰を下ろす頃には、ふたりは借りてきた猫のように縮こまっていた。


「ヒデヨシ、今日、とっても緊張してるみたい。珍しい」


「お前だって小刻みに震えてるじゃねえか」


「これは……貧乏ゆすりだよ!」


「行儀が悪いな! ナビィ、お前本当に富裕層出身なのかよ」


「さあ、記憶がないからなあ」


 ヘラヘラと笑うナビィを横目にヒデヨシが眉間の皺を深めていると、ドアを叩く音が室内に響いた。


「入ってもいいかしら」


「あ、はい!」


 ナビィとヒデヨシは慌てて立ち上がり、声の主が現れるのを待った。扉の向こうから先ほどのアンドロイドとともに現れたのは、電動車椅子に乗った老齢の貴婦人。エリザベード・クロリスだ。


 六十三歳と聞いていたが、年齢よりずっと若く見える。ピン伸びた背筋や、自分の良さを最大限に引き出した化粧が、そう見せているのだろう。若草模様の刺繍の入った上等なシルクのカッターシャツに、光沢のある紺色のロングスカートを合わせている。


「あらあら、まあ」


 金縁の華奢な眼鏡のフレームを片手で押し上げ、婦人はまじまじとナビィを眺める。


「奥様にそっくり。こんなに生き写しだなんて、びっくりだわ」


「奥様……? 奥様って……」


 ヒデヨシは思わず前に進み出た。


「あら、私ったら。ご挨拶の前にごめんなさい。あんまりびっくりして。私がエリザベード・クロリスよ。お会いできて嬉しいわ。お座りになって。マリア、一番いいお茶を」


 エリザベードは、優雅な動作で客人ふたりに着席を促す。「車椅子でごめんなさいね、足が悪いの」と言いながら、ハンドルで器用に電動車椅子を操ると、カフェテーブルの向かいに収まった。両手を組み、ふたたびナビィを見上げると、彼女は皺を深くして笑う。


「本当はね。お客様に関わることだから。話してはいけないのだけど。その服はたしかに私が仕立てたものだし。なによりあなたの容姿。血縁の方であることは間違いないわ。だから、お話しします。記憶喪失でお困りなのだものね」


「助かります。オーダーしたご本人と連絡が取れないということで、完全に手詰まりだったので」


 ヒデヨシがそう答えると同時、マリアと呼ばれたアンドロイドが、配膳台に乗ったアフタヌーンティーセットを運んできた。花柄のエプロンをかけたマリアは、テキパキとお茶の支度を進めていく。


 ナビィは婦人の話そっちのけで、大ぶりの花が描かれた洒落た食器や、精緻なアイシングが施されたクッキーに視線が釘付けになっている。ヒデヨシは肘で小突いて、ナビィを正面に向き直らせた。


「昔のことはね、まるで昨日のことのように思い出せるの。最近のことは忘れがちなのだけどね。そのワンピースの依頼主は、ゲンナイ・ハヤカワ氏よ」


 ヒデヨシの目の色が変わる。それに気づいたのか、ナビィがずいと顔を寄せてくる。


「ヒデヨシ、知ってるの?」


「ゲンナイ・ハヤカワ博士っていったら、アンドロイド研究の第一人者だ。ただ、ハヤカワ博士は」


「失踪されたのよね。ちょうどそのワンピースを納品して、一年後くらいだったかしら。新聞記事で見た記憶があるわ」


 エリザベードは、ヒデヨシの言葉の続きを引き取ると、小さくため息をつく。


「失踪……?」


 ナビィは驚いた様子でエリザベードとヒデヨシを交互に見た。


「そう。お屋敷はまだ残っているみたいだけど。ある日忽然と消えてしまったの。奥様とともに」


「ハヤカワ博士の奥様のお名前はご存知ですか?」


「それがねえ。思い出せなくて。発注書類にはすべてハヤカワ氏の名前しか書かれていないの。とっても仲のいいご夫婦だったわ。彼は人付き合いが苦手みたいで、ほとんど笑顔をお見せにならないのだけど。奥様と一緒のときはいつも笑顔で。お店にいる間も、ずっと奥様に視線を向けられていて」


「容姿が、そんなにナビィに似ているんですか? その奥様と」


 話がそれていきそうな気配を感じて、ヒデヨシは問い直す。


「ええ、ナビィさんと瓜二つよ。きっとあなたはお母様似なのね」


「お母様……私の……」


 ナビィはパチクリと瞬きをすると、そのまま固まってしまった。しばらく考え込んでいたが、なにも思い出せなかったのか、そのまま視線を絨毯に落とす。


「夫妻のお子さんの連絡先はご存知ですか。ハヤカワ博士が結婚されていたのは俺も知ってますが、お子さんの名前は聞いたことがない」


「わからないわ。私もお会いしたことはないし、名前も聞いたことがないの」


「そうですか……」


 ヒデヨシのあまりの落胆具合を見てか、エリザベードは「お力になれなくてごめんなさい」と申し訳なさそうにする。


「旧市街にハヤカワ氏のお屋敷が残っているはず。お屋敷自体には誰も住んでいないけど、あのあたりの方に聞き込みをすれば、なにかわかるかもしれないわよ」


   ◇◇◇


 クロリス邸をあとにしたヒデヨシたちは、新市街を出て旧市街の方へと向かっていた。


 彼女の屋敷が位置していたのは、新市街の最奥、もっとも豊かな層が住む地区。地図を調べると、エリザベードが教えてくれたハヤカワ博士の屋敷は、新市街と旧市街を隔てるメインロードを挟んでちょうどクロリス邸と対照となる位置にあった。つまり旧市街の最奥である。


 時刻は午後四時、日没が近い。男の格好はさせているが、若い女性を連れ回すには午後七時までが限界だ。陽が落ちてからは新市街、旧市街問わず、一気に治安が悪くなる。今日はとりあえず下見、もし誰か捕まりそうであれば、ひとりふたり声をかけてみるのが限度だ。


「ねえねえ、ヒデヨシ」


「なんだ」


「なんで、ゲンナイ・ハヤカワさん? のこと知ってたの」


「有名な人だからだ」


「この辺の人なら誰でも知ってる名前なの?」


「知ってるやつは知ってる」


「……アンドロイド研究に関わる人間なら知ってる名前ってこと?」


「……」


「ってことは、もしかしてヒデヨシも研究者なの?」


 馴れ合いは極力避けたいというのに。この能天気なナビィは、ズンズンと懐に踏み入ってくる。


 回答に困っていると、目の前に黒い表紙の本が差し出され、反射的に飛び退いた。


 震える手で本を差し出していたのは、黒ずくめの装束に身を包んだ老婆。彼女の背後には同じ服装をした若者が三人ほどいる。老婆は貼り付けたような笑顔をヒデヨシに向け、無理やりに手渡そうと黒い本を押し付けてくる。


「苦しいでしょう、生きづらいでしょう。若い人ほど苦しかろうと思います」


「はあ?」


 胸に押し付けられた本を、老婆に押し返す。すると彼女は、力強くヒデヨシの手首を握る。


「人間の原点に帰りましょう。そうすれば私も、あなたも救われる。さあ経典を手に取って」


「経典?」


 老婆の言葉に反応し、話に首を突っ込んでこようとしたナビィの顔を、手で追いやる。


「そういうのは間に合ってるんで」


「お金などはいりません。経典を……」


「部屋に物増やしたくないんです」


「ヒデヨシの部屋物だらけだもんね」


「余計なことを言うんじゃねえ」


「あら、そちらの方は……」


 ナビィの顔を覗き込もうとした老婆を制し、

 ヒデヨシはナビィの腕をひき、その場から離れていく。老婆はさらに何か言っていたが、聞こえないふりをした。


「ねえ、なんでそんな逃げるみたいに離れるの? 本くらい受け取ってあげればいいのに」


 ヒデヨシが口を開こうとした瞬間、電子音が鳴った。スマートフォンの地図が目的地についたことを知らせたのだ。


「おい、ナビィ。ここがハヤカワ氏の屋敷だ。なんか思い出せるようなことはありそうか?」


「え、あ。ここ?」


 屋敷の周囲をぐるりと囲むように煉瓦造りの塀が建てられており、今立っている場所からは塀の終わりが見えない。長く放置されていたせいか蔓が生い茂り、「地獄に堕ちろ」だの「神の鉄槌を受けよ」「悪魔」「神へ懺悔せよ」だのの罵詈雑言の落書きがあちこちに白や黄色のペンキで書かれている。


 インターホンは機能していないようだった。門扉を隔てた奥には、面積のほとんどが蔓草に覆われた屋敷らしきものの姿が見える。


「あ……」


 隣に立つナビィの顔色が変わったのを見て、ヒデヨシはさらに問いかける。


「どうした? なにか思い出したのか?」


「こっち……!」


「おい、どうしたんだよ。引っ張るなって」


 ナビィはヒデヨシの袖を掴んで、塀伝いに駆け出した。

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