第10話 得られた手がかり

 新市街の中心地に向かって、男装したナビィを連れて歩いていく。注文した服のサイズはぴったりで、なかなか様になっていた。声を発しさえしなければ、十七・八歳くらいの少年に傍目からは見えるだろう。


 ナビィは見るものすべてが新鮮らしく、いちいち店先で立ち止まるので、なかなか前に進まない。業を煮やしたヒデヨシが、ナビィを小突く。


「おいこら、いい加減にしろよ」


「だって面白いんだもん。あ、見てヒデヨシ! あそこのお店、すっごい素敵!」


「手を握るな! 引っ張るな!」


「もー、いいじゃん、これくらい」


 握られた手を乱暴に振り払う。極力声を落としつつも、ヒデヨシはナビィにくってかかった。


「あのなあ、お前。男装してんのを忘れてるだろ。これ、どうみても俺が少年を連れ回してるように見えるだろうが」


「ははは! たしかに!」


「笑ってんじゃねえ! いい加減ぶっ飛ばすぞ!」 


 目的の店は、新市街の「ファッション街」と呼ばれるエリアにある。このエリアには化粧品店や小物屋、服飾店などが軒を連ねており、若い女性にとって楽しい場所には違いない。


 ただここへ来ると、ヒデヨシはいつも苦い気持ちになった。


 地べたを這うような貧しい生活を強いられ、なんとか生きているような人間がいる。絶望的な現実を誤魔化すため、この煌びやかな通りの裏で、何人もの若者たちが薬に溺れ死んでいる。両方の世界を知っているだけに、居た堪れなくなるのだ。


「ほら、そろそろ行くぞ。夜になっちまう」


 相変わらずキョロキョロしているナビィの首根っこを掴む。しかし彼女は、じっと一点を見つめて動かなくなった。


「ヒデヨシ、なんか騒がしくない?」


「騒がしいのはお前だ」


「ほら、あれ」


 ナビィが指差した方向に視線をやる。通りの向こうのほうから、五・六人の集団が走ってくるのが見えた。


「今日はマラソン大会なんてないはずだけどな」


 ヒデヨシはそう茶化しつつも、注意深く様子を伺う。つい先日も、自暴自棄になった若者が刃物を振り回す傷害事件があったところだ。もし事件なのであれば、ナビィを小脇に抱えてこの場を離れなければならない。


「何かから逃げてる感じじゃない?」


 集団のさらに向こう側に蜘蛛のような体を持つ影を発見し、ヒデヨシは目を細めた。


「ねえ、ヒデヨシあのコって」


「ああ、このあいだスーパーで見たアンドロイドだな」


 商品棚に淡々と野菜を陳列していたときの様子とは異なり、明らかに本来の挙動らしからぬ動きをしている。長い腕をめちゃくちゃに振り回し、凄まじい勢いで手近にいる人間を追い回している。


「人工知能の暴走だな。管理者はどこいったんだよ」


 少なくとも、スーパーの店員らしき人間の姿は、逃げてくる人間たちの中には見当たらなかった。


「振り切られちゃったのかな?」


「緊急停止装置があるはずなんだけどな。リモコン型の。それがないとなると……」


 ヒデヨシたちの後方から、人影が走り抜けていった。警備兵の制服を着た男だ。ナビィを連れていった詰め所の男よりずっと若く、多少は腕の立ちそうな警備兵だった。


「どうするの?」


 ナビィがアンドロイドに向かっていく警備兵を見て、不安げにヒデヨシの袖を引く。ヒデヨシは眉をひそめると、ため息を吐いた。


「壊すしかねえ」


「そんな」


 直後、銃撃音が聞こえた。警備兵がアンドロイドを撃ったのだ。戦闘用の製品でもなければ、そんなに頑丈な作りはしていない。撃たれた衝撃で転倒したアンドロイドの関節部分を狙い、警備兵はさらに数発を撃ちこむ。


 するとそこへ、スーパーのエプロンをかけた恰幅の良い中年男性がやってきた。体格を見るに、やはり追いつけなかったのだろう。彼が緊急停止装置を作動させたことで、アンドロイドの動きは完全に停止した。


「この野郎、急に襲いかかりやがって。この、この」


 スーパーの店員は、動かなくなったアンドロイドの顔を、思い切り踏み潰した。一度では満足せず、苛立ちをぶつけるように踏みつけ続ける。


「ひどい……! 私止めてくる!」


「ちょっと待て、お前は関係ないだろうが」


「でも」


 今にも飛び出していこうとするナビィの腕を掴み、その場に引きとどめた。気持ちはわからなくもないが、ナビィが行っては話がややこしくなる。


「ナビィ、これはな、どこでも起きてることだ。アンドロイドの暴走は運用上の課題でもあって、今研究がなされてるところなんだ。場合によってはこういう暴走に巻き込まれて、死人が出ていたりもする」


「でも、だからって」


「……まあ、アンドロイドとはいえど、あの扱いはねえよな」


 そう言ってナビィの頭を撫でると、ヒデヨシはアンドロイドのすぐ近くまで、歩みを進めた。


「おい、なんだお前は」


 エプロンの男性は、ヒデヨシを睨み上げる。まだ怒りが収まっていないらしい。


「あーすみません、俺、アンドロイドの整備を仕事にしてるものなんですけど。気になることがあって。ちょっと拝見します」


「おいこら!」


 ヒデヨシはその場にしゃがみ込むと、勝手にアンドロイドをいじり始めた。もっともらしく、「うーん」とか「なるほど」とか言いながら、部品を探っていく。


「最後にメンテナンスされたのはいつですか?」


「は?」


 店員はなぜそんなことを言い出すのか分からないといった様子で、苛立ちをあらわにする。


「かなり長い間、メンテナンスを怠っていたように見えます。アンドロイドは精密機器ですからね。こんな状態で使い続けたら、そりゃ暴走も起きますよ。法定点検ちゃんと受けてます?」


 ヒデヨシはそう言って店員を見たあと、警備兵に視線を移した。すると彼は、責めるような目で店員を見る。アンドロイドから逃げてきた通行人たちも、エプロンの男を睨みつけていた。


「アンドロイドの定期メンテナンスは、安全上法律で定められているはずですが。行ってなかったんですか?」


 警備兵にそう言われれば、先ほどまで怒り散らしていたエプロンの男は、体を丸め、視線を泳がせている。


「ちゃんとやったほうがいいですよ。今回の暴走の要因に、管理の怠慢も一部あるかと。では俺はこれで」


 それだけ言って、ヒデヨシはナビィのところに戻ってきた。肩を叩き、「行くぞ」と合図する。


 その場を離れるあいだ黙っていたナビィだったが、エプロンの男の姿が見えなくなってすぐ、堪えきれなくなくなったようにくすくすと笑い出した。


「ヒデヨシってアンドロイドの整備士だったの?」


「ちげえよ。相手がアンドロイドとはいえど、さすがに気分が悪かったからな。ちょいと一泡吹かせてやった」


 ヒデヨシはそう言って鼻を鳴らした。


 アンドロイドに感情はない。ひどい扱いを受けたとしても、きっとそれを恨むことはないし、悲しむこともない。でも、ヒデヨシにもあのアンドロイドの姿は哀れに思えた。


「名演技だったよ。でもどうしてメンテナンス不足だってわかったの?」


 ナビィは大きな目を瞬かせながらヒデヨシを見上げる。純粋に疑問を投げかけてくるときのナビィの表情は、小さな子どもみたいだ。


「こんな世の中だから、どこもコスト削減に躍起になってる。特に小売業なんかは、メンテナンスをちゃんとやれてる方が珍しい。だから十中八九、そうだろうなと思ったんだよ。暴走とそれが関係あるかは、俺にはわからん」


「なんだか詐欺師みたいだねえ、ヒデヨシ」


「誰が詐欺師だ」


 ナビィは朗らかに笑った。その笑顔を見て、ヒデヨシも頬を緩ませた。


 ◇◇◇

 

「こちらと同型のワンピースの取り扱いですね? ここ数年の型ではないようなので、本社に確認してお調べすることになります」


「すみませんがお願いします」


 新市街の高級ブランドショップ「アルピノ」で、ヒデヨシは店員の女性と話していた。旧市街の量販店に比べると、ゼロがひとつ多い服の数々に、ナビィは目を瞬いている。


「ヒデヨシ、すっごいよ。このストールだけで五万ルペアだって!」


「恥ずかしいからお前ちょっと黙ってろ!」


 ヒデヨシの剣幕に、店内にまばらにいた客たちが全員振り向いた。慌てて目をそらすヒデヨシを前に、ナビィは肩をすくめる。


「五万ルペアもあれば、さっき通りかかった不動産屋さんで小さな部屋がひと部屋借りれるよ。びっくりだね」


「……小声で話せばいいってもんじゃないからな」


 イライラを抑えたヒデヨシの声に、薄笑いを浮かべつつ。邪魔にならないようにしようと思ったのか、ナビィは店内をうろうろし始めた。


「お客様、あの、ワンピースの件ですが」


 女性店員が、タブレットを手に戻って来た。


「ああ、すみません……。で、なにか分かりましたか」


「それが……。オーダーメイドの一点もので。二十二年前のもののようです」


「二十二年……?」


 思ってもみなかった事実に、ヒデヨシは渋い顔をする。


 ––––ナビィはどう見ても二十代前半か、いってても中盤だ。二十歳と仮定しても、オーダー当時はまだ赤ん坊。つまりこのワンピースは、ナビィのために作られたものじゃない。


「注文者は」


「申し訳ございません。お客様の個人情報になりますので、注文者様の情報はお伝えできません」


「……まあ、そうですよね……」


 二十三年前といえば、ヤトミウイルスが全世界に蔓延し始めた頃のものだ。世の中は混乱していたが、国内での感染例は少なく、今より国も豊かだったはず。それでもこのブランドでオーダーメイドなど、相当な富豪でないと発注できない。


 それだけ金をかけて作られたものなのであれば、母から子へ受け継がれたものなのかもしれない。事情により売却したのだとしても、もとの値段が値段ゆえ、貧困層や中流階級のものが手にできる代物ではない。


 つまりナビィが富裕層の人間であるのは間違いない。しかし、店側に注文者情報の提供を拒否されては、これ以上ここからは情報が得られない。


「お忙しいところ、お手を煩わせてしまい恐縮です。ありがとうございました」

 そうヒデヨシは店員に礼を言うと、ナビィの手を引っ張って外へ連れ出した。


「何かわかったの?」


 ナビィはフードを目深に被り直し、顔を隠した。「目立たないようにしろ」というヒデヨシの指示を、忠実に守っている。


「お前が金持ちだったってことはわかった」


「あんなお店で買い物できるくらいだもんね。びっくり。信じられない」


 大きな目をこれでもかと見開き、おどけるように両手をあげてナビィは驚いて見せた。


 とても上流階級の女性がするリアクションとは思えず、「俺がびっくりだよ」と言ってやりたかったが、それは堪えた。ナビィにいちいち突っかかっていては話が進まなくなる。


「お前のワンピースはオーダーメイドだそうだ」


「オーダーメイド? へえ!」


 ペンダントのイニシャル、高級ブランドで縫製されたオーダーメイドのワンピース。身元に繋がるキーワードが出てきてはいるが、ナビィの記憶は断片的にでさえ戻る気配を見せない。


 ––––記憶喪失って、何かをきっかけに記憶が呼び起こされたりするもんじゃないのか? もしかしたら記憶がないってこと自体、演技って可能性も。


 疑いの眼差しをむけてみたが、無邪気な笑顔で返され、馬鹿馬鹿しくなった。こいつに限ってそんなことは考えられない。


「あの! お客様!」


 大通りを曲がろうとしたところで、上品な女性の声に呼び止められた。振り返ると、先ほどの女性店員がこちらに走ってきている。


「どうされましたか?」


 彼女は息を整えると、ヒデヨシの問いかけに答えた。


「あの……お困りのようだったので。お名前をお伝えして良いかどうか、発注者様の番号に電話をかけてみたんです」


「それで、相手は」


 食い気味にそうヒデヨシが尋ねれば、女性は気おされた様子を見せつつも、丁寧に答える。


「こちらに残っていた電話番号ではつながりませんでした。現在は使われていないようで」


「そうでしたか……」


「ただ、当時このワンピースの制作を担当したデザイナーがまだ当社に在籍しておりまして。事情を話したところ、アポイントメントを取ることができそうです。お会いになりますか?」


 ヒデヨシはナビィと顔を見合わせた。当時のデザイナーであれば、発注者とも顔見知りであるはず。地道な聞き込みは、思わぬ収穫へとつながった。

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