第6話 出鼻を挫かれる

「おい、俺のノート知らないか。青い表紙のやつ。この辺に置いておいたはずなんだけど」


 ヒデヨシがそうナビィに問うと、彼女は立ち上がり、ふらふらと本棚の前を行き来する。


「ノート……この本棚の二段目にまとめたと思うけど。あ、あったあった、ここだよ!」


「ああ、サンキュ」


「あのさあ、ヒデヨシ」


 ナビィは両手を腰に当て、ヒデヨシの前に仁王立ちをする。


「もうちょっと片付けた方がいいよ? 整理整頓しておけば、物もなくならないし」


 ヒデヨシが仕事をしている日中、ナビィはほとんどの時間を部屋の掃除に費やしていた。彼女が来る以前は、机の上にうず高く積まれていた書類や本も、今はすべてがあるべき場所に収められている。ゴミが落ち放題だった床も、磨かれてピカピカになった。


「苦手なんだよ、片付けが」


「この間は刃が出たままのカッターが出しっぱなしになってたよ? 使ったらしまいなよ。そのうち怪我するんだから」


 反論の余地はない。が、素直に返答するのも癪だ。


「あっ、ほらまた、見終わったノートは本棚へ戻す!」


「あーもう、うるせえな、お前は俺の保護者か! だいたい、朝っぱらから掃除をするな。落ち着かねえだろうが。もうちょっと遅くまで寝てろ。どうせ日が傾いてこなきゃ外には出れねえんだから」


「二度寝できないタイプなんだもん」


「ああそうかよ」


 ヒデヨシはナビィに背を向けて椅子に座ると、タブレットを指先で叩き、今日の新聞をチェックする。新聞といっても、政府にとって都合のいい情報を垂れ流すばかりで、本来の報道の価値はゼロに近いのだが。


 最近は新聞で政府の建前を確認し、ソーシャルメディアで虚構を退けながら真実を見つけるという作業が朝の日課となっている。


「新聞読んでるの?」


 気づけば、ヒデヨシの肩越しにナビィがタブレットを覗き込んでいた。


「おい、ひっつくな」


 石鹸のいい香りがして、ヒデヨシは頬を赤らめた。


「だって近づかないと読めないよ」


「そういうことじゃない、俺にひっつくなって言ってんだよ。お前、誘ってんのか?」


「誘うって? どこに?」


 ベーゼルブラウンの瞳をキラキラさせながら、とぼけた顔をするナビィを見て、ヒデヨシは苦虫を噛んだような顔をする。


「……もういい。ほれ、読みたいんだろ? 貸してやるよ」


 人の気も知らずに、と心の中で舌打ちをして席を立った。


 肩まで伸びた赤毛を、首のうしろで束ねる。そろそろ切りどきかもしれないが、ヘアサロンに行くのも面倒だ。自分で切る気にもなれない。手を洗い、湯を沸かそうとポットをとったところで、セントラルシステムの通知音が鳴った。


「なに? なんの音?」


 侵入者を察知した猫みたいに、ナビィが体を起こし、あたりを見回す。


「宅配便だな」


 ディスプレイを確認し、ヒデヨシはそう言った。


「日中人間は活動できないんじゃないの?」


「ドローンが荷物を届けてくれる。人間の配達員より荷物の扱いが乱暴だから、中身が壊れてるときも多いけどな」


「へえええ」


 ドアを開けると、肌を焼くような熱風が部屋に入り込んでくる。門の内側に子どもがひとり入れるくらいの大きさの段ボール箱が落ちていた。ヒデヨシはそれを拾い上げると、小走りでドアまで戻る。この短時間でも、暴力的なほどに強い紫外線を体に浴びると眩暈がした。


「それ、なあに?」


「椅子だ」


「あ、もしかして私の……?」


「お前のってわけじゃない。予備でもう一脚あったほうがいいだろうと思っただけだ」


「ふうん」


「なんだそのニヤニヤした顔は」


「ううん、なんでもない。私、組み立てやるよ」


 段ボールの中身は幸い壊れていなかった。意外にもナビィは器用で、ヒデヨシが手伝う必要もなく、あっという間に椅子は形になっていく。その作業を見守りながら、ヒデヨシはナビィに話しかけた。


「お前の身元について、考えてたんだが。身なりを見る限り、新市街の富裕層出身である可能性が高い……と思う。服を洗濯したときタグを見たが、その服のブランド、新市街に店がある。買い出しに行くついでに聞き込みに行くぞ。なにかわかるかもしれねえ」


「いろいろありがと。助かります」


「お前にしおらしくされると気持ちが悪い」


「わあ、毒舌」


 そう言ってくったくなく笑うナビィを前に、ヒデヨシの口元も少し緩んでいた。


   ◇◇◇


「出発しようと思ったらこれかよ!」


 ヒデヨシはスクーターのハンドルを勢いよく叩き、項垂れた。

 地の底を這うようなヒデヨシのため息を聞きながら、ナビィは心配そうな視線を向ける。


「どうしたの? なにか問題?」


「エンジンがかからねえ」


 何度も操作を繰り返しているが、オレンジのスクーターはうんともすんとも言わず、動き出す気配さえない。


「直せないの?」


「簡単な故障なら自分で直せるんだけどな。見たかぎり無理だ。この砂漠地帯に、俺みたいにひとりで住んでる変わり者の整備士がいる。ちょっと行ってくるから、お前は家で待ってろ。買い出しはこいつが直ってからだ」


「私も行きたい」


 新しいおもちゃを見つけた子どもみたいに、ナビィは身を乗り出す。ブンブンと左右に揺れる尻尾が見えるようだ。ヒデヨシはゲンナリした。「お荷物」はひとつで十分だというのに。


「このクソ暑い中結構歩くぞ。スクーターを押しながらになるし。途中で疲れたって言っても引き返せない」


「大丈夫。私体力はあるもの」


「もう歩けないって言ったら置いてくからな」


「大丈夫だって!」


 そう言ってナビィは両腕でファイティングポーズを決める。


 ––––その根拠のない自信はどっから湧いてくるんだよ。


 「家に残る」という選択肢は一切ないという勢いの彼女に負け、ヒデヨシは同行を許すハメになった。

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