第3話 警備隊の詰め所

「記憶喪失か……。身元のわかるものは、ネックレスに刻まれたアルファベットのみね」


 詰め所の受付にふんぞりかえって座る、警備兵の制服を着た腹の出た男。ヒデヨシはその男の風体を見て、本当に警備なんぞできるのかと眉間の皺を深くした。


「行方不明者リストの中に一致するデータはないね。念のため『ナビィ』って名前じゃない可能性も考えて、年代と性別だけでも検索をかけてみたけど。それらしきものはない」


「そうですか」


 ヒデヨシはため息をついた。まあ、そう簡単にいかないかもしれないとは思っていたが。


 簡単な聞き取りをしつつ、詰め所の男は、ねっとりした嫌な視線をナビィに向けている。顔を品定めするように見て、胸元に視線を落とし、ボディラインを舐めるように眺めた。マスクの下で、下卑た笑みを浮かべていることが容易に想像できる。


 その視線の気持ち悪さに気づいたのか、ナビィはヒデヨシの背中へと引っ込んだ。


「どうする? うちで引き取って、保護施設に送ることもできるよ。そのほうがいいんじゃない? アンタんとこで世話すんのも大変でしょ」


 保護施設とは、親を失った子どもたちや、身寄りがなく保護が必要なものたちを収容する施設のこと。しかしヒデヨシは、この保護施設に対していい印象がない。


「いや、うちで面倒を見ます。もし、情報がなにか入ったら、俺に連絡をください」


 保護施設も信用ならないが、男の挙動を見ていると、保護施設へ送る前に何をされるかわからない。


「……そう。残念だね」


 名残惜しそうにそう言う警備兵に、唾を吐いてやりたいのをグッと堪え、ヒデヨシはナビィの手を引いて外へ出た。


「ヒデヨシ、そんな引っ張らないでよ」


 怒りのままに腕を引いていたせいか、存外ナビィの腕を握る手に力が入っていたらしい。ナビィにそう言われて、慌てて手を離す。


「わりい……」


「ねえ」


「なんだ」


「……まだ、ヒデヨシのところにいていいの?」


 そう言われ、ヒデヨシはハッとしてナビィの方を振り向いた。詰め所に置いてくるつもりだったのに。あまりに警備兵の態度が不快だったが故に、「自分で面倒を見る」と気づいたら宣言していた。


「置いとくしか……なくなったな」


 唸るような声でそう言うヒデヨシを前に、目を見開き、一瞬動きを止めたナビィだったが。眉尻をさげ、頬を緩める。


「なにそれ。うふふ、ヘンなの」


「うるせえな。それともあそこに預けられたかったのか? お前」


「絶対イヤ」


 ナビィは両腕で自分の体を抱え、嫌悪感を全面に出したような顔をした。


「だろ」


「ねえ、保護施設ってどんなとこなの」


「クソ野郎どもが管理してる『保護施設』とは名ばかりの場所だよ」


「……もしかして、ヒデヨシもいたことあるの?」


 感情がこもっていたことで、気取られてしまったらしい。自分の身の上話なんて、するつもりはなかったのだが。ヒデヨシは前髪をくしゃくしゃと掻く。


「この国は、もはや貧乏人や役に立たない人間を生かしておくために金を使う余裕がない。政治は権力者や富裕層に向けたものになっている。……だから、底辺の施設は、地獄みてえなもんだ」


「地獄……」


 ナビィをいつまで家に置いておくかはわからない。記憶が戻ったとき、場合によっては厄介な事態に巻き込まれるかもしれない。一時の付き合いなのであれば、馴れ合いは極力避けたかった。


「……この話はやめだ。とりあえず、お前」


「なに?」


「買い出しに付き合え。しばらくうちにいるなら、ふたり分の食料を買い溜めしとかねえと。感染対策のマスクも必要だな。俺のじゃ、お前にはデカすぎる」


 ぱあっとナビィの顔が明るくなる。どうやら買い物は好きらしい。


「うん、行く行く! 買い物、行く!」


 嬉しさを全身で表現する猫のように、ナビィはヒデヨシの腕に抱きついた。


「おいっ、こら、勝手に腕を組むな!」


「いいじゃんこれくらい。それにこの方がはぐれないよ!」


 カラカラと陽気に笑うナビィに、ヒデヨシは毒気を抜かれる。


 苦痛と悲しみと絶望しかなかった仄暗い生活を、突然やってきた妖精に無理やり照らされている。


 いくら境界線を引いても、相手はそれを軽々と飛び越えてこようとする。凪いでいた感情が揺さぶられる。人間らしい感情が、有無を言わさず引き出される。


 ––––厄介なやつを拾っちまったな。


 ヒデヨシはひとり、鼻を鳴らした。


   ◇◇◇


「わあ、スーパーマーケットって広いね! 私、ワクワクする」


「新市街は富裕層の街だからな。品揃えが充実してる。旧市街や貧民街のスーパーは、もっと物が少ないし質も悪い」


「そうなんだねえ。ねえ、旧市街って? 貧民街はなんとなく想像つくけど」


 入り口で買い物カートを一台引き出し、カゴを乗せながらナビィは尋ねる。


「もともとこの都市––––リトルトーキョーには旧市街と貧民街しかなかったんだが。コンパクトシティ化で地方から人が移って来て、新市街のエリアが新たに開発されたんだ。で、それをきっかけに富裕層がそっちに移って。今旧市街には主に中流家庭が住んでるな。一部、まだ旧市街に居を構えてる富裕層もいるみたいだが」


「へー」


 聞いているのか聞いていないのかわからないような返答をしつつ、ナビィはまるで宝石でも見ているかの如く、商品棚をしげしげと覗き込んでいる。


「あんまり俺から離れるなよ。貧民街ほどじゃないが、ここだって治安がいいとは言えねえ。人が多い場所では犯罪も多い」


 彼女がどこかに行かないよう横目で見つつ、必要なものを機械的にカゴに詰め込んでいく。


「あっ」


「なんだよ」


「ううん、なんでもない」


 さっきから商品を見ているだけで幸せそうだったナビィが、一際目を輝かせたのをヒデヨシは見逃さなかった。


「気になるから言えよ」


「……いちご、美味しそうだなって。思っただけ……」


 もじもじしながら、下を向いて遠慮がちにナビィは言った。


「買うか」


「え、でも、高いよ。いいよ買わなくて」


 ナビィの言葉を聞いて、ヒデヨシは片眉を上げる。


「あのな、俺はどっちかっていうと裕福なんだよ」


「え、あんなに家ちっちゃいのに?」


 ナビィの天然発言に、ヒデヨシはムッとした顔をする。


「小さくて悪かったな。好きで小さい家に住んでんだよ」


「でも、旧市街とか、貧民街のことも詳しいし」


「もともとは貧民街の出身だからだ」


「そうなんだ」


「ほれ、好きなのひとつとれ」


「……ありがと」


 嬉しそうにいちごのパックを選び、恥ずかしそうにしながらカゴに入れるナビィを見て、ヒデヨシは不器用に頬を緩める。そして、驚いた。


 ––––ひさしぶりに、笑った気がする。


 人間らしい感情など、とうに忘れてしまったと思っていた。口に手を当てて、咄嗟に緩んだ頬を隠そうとすれば、それを認めたナビィはヒデヨシの手を掴み、まじまじと表情を覗き込んでくる。


「ヒデヨシが笑ったの初めてみた。……ふふ、顔は怖いけど、笑うとかわいいんだね」


「か……かわいいとはなんだ!」


 頬を染めるヒデヨシを見て、ナビィは満足げに微笑んだ。


「あ、ねえねえ、ヒデヨシ、あれなに?」


 ナビィの興味はクルクルと変わり、落ち着きがない。記憶がないからすべてが新しく、キラキラして見えるのだろう。心底めんどうくさそうな顔をしながら、ヒデヨシはナビィに尋ねる。


「どれだよ」


「ほらあの品出ししてるコ」


「……ああ、アンドロイドか」


「あんどろいど?」


「人工知能を埋め込まれた機械だよ。人口が減って労働力が足りなくなって。それでアンドロイドの普及が進んだんだ」


「へええ!」


 品出し作業をしているアンドロイドは、二足歩行型ではあるが、ピンク色の塗装に、六本の腕を持っていた。


「いっぱい手があるね」


「効率を重視したデザインになってんだよ」


「人間と見分けのつかないようなアンドロイドもいるの?」


「そこまでのものを作り上げる技術はない。まあそもそも、研究する必要がないからな。わざわざ人間そっくりのものを作るためにかける人も金も勿体無い」


「そっかあ」


「ほれ、そろそろレジ行くぞ」


 いつまでもアンドロイドを眺めているナビィをせっつき、ヒデヨシは会計列へと向かっていった。



 大量に購入した食材を、ヒデヨシは器用にスクーターにくくりつけていく。しかし、普段はひとり分、今回はふたり分の生活必需品を買ったことで、すべてを載せることに難儀していた。


「買いすぎたな。これでナビィを乗っけたら、とんでもねえノロノロ運転になっちまう」


「えー、私そんなに重くないよ!」


「平均体重に対して重いか軽いかの話をしてんじゃねえ。人間ひとり分は軽いとはいえねえだろうが」


「ああ、なんだあ。そういうこと。そうならそうと言ってよ、もうヒデヨシったら」


「お前が勝手に勘違いしたんだろうが」


 ナビィに向かって悪態をついても、こちらがイラついているのを楽しんでいるようで、張り合いがない。


 くだらないやり取りをしている中、突如空気が震えた。爆発物が破裂したかのような轟音とともに、地面が大きく揺れる。


「な、なに?」


 ナビィはヒデヨシのシャツの袖をつかむ。


「……地盤沈下だな」


 この国で地震はほぼ起こらない。プレートの重なり目も火山もないからだ。これほどの大きな揺れがあるとすれば、ここ最近多発している地盤沈下でほぼ間違いない。


「この辺りは大丈夫そうだ。揺れも落ち着いてきたな」


「地盤沈下って……なんで? 何が起こってるの?」


「いろいろ原因はあるが、ひとつは都市部の上下水道管の老朽化だ。金も人も足りなくて、ライフラインのメンテナンスに手が回ってねえんだ。本来整備される予定だった古びた水道管が限界を迎えている。くたびれ果てた管に穴が空き、中身が染み出し、地盤が緩む。それでたまに、こういう崩落が起きる」


「ヒデヨシ」


「なんだよ」


「手、震えてるけど、大丈夫?」


「え」


 ヒデヨシは自分の両手に視線を落とす。ナビィの言う通り小刻みに震えていて、血液がごっそり抜かれたかのように肌が白かった。爪は紫色になり、手のひらだけでなく、全身からも温度が失われている。


「あ……」


 過去の記憶が、頭の中に吹き出す。

 崩れ落ちた百貨店、響き渡る阿鼻叫喚の声。

 そして––––奈落の底に落ちていった恋人。


 膝は笑い、情けなくもその場に崩れ落ちた。誤魔化すようにタバコを取り出し、蒸してみるが、相変わらず手の震えはおさまらない。


「––––助けて! 誰か、誰か……!」


 どこからか女性の叫び声が聞こえてくる。ナビィは、人の気配に気づいた猫みたいにピンと背を立てて、あたりを伺った。


「誰か、助けてって言ってる」


 声の主の姿は見えない。しかしナビィは居ても立ってもいられない様子で、落ち着きなく視線を漂わせている。


「ねえ、ヒデヨシ。私行ってくる。ここで待ってて!」


「おい、こら! ちょっと待てって!」


 ナビィはヒデヨシに向けてブンブン手を振り、声の方へと勢いよく駆けていった。こうなっては座り込んでなどいられない。ヒデヨシは舌打ちをしながら自分の膝を叩き、タバコをトラッシュケースに放り込んで、無理やりに足を動かした。


「この街の治安の悪さをさっき説明したばかりだろうが、あの能天気バカ!」


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