09 舎の世界

 雨の音。それは頭部や両肩、周囲の砂に飛び散る音である。意外にも夢の中で雷雨が響き渡るのは珍しく、採石場のように段々のコンクリートで囲まれた巨大なグラウンドに佇む私は、その感触に見惚れていた。しかし、次第に雨水が洋服へ染みる感触が嫌になり、斑の水溜りを踏まないよう適当な建物を目指した。

 折り返しの階段を登り、朽ち果てた金網を潜り抜けると、そこは妙に寂しい街並みだった。人気はなく、建設か撤去の途中にある鉄骨だけのマンション、スクラップと瓦礫が積まれた空地、妙に視界を遮るコンクリートの〝何か〟が多く、まだ原型が残っている石造の広間に繋がる斜面の廊下を駆け上がると、その中央には同じ材質で造られた丸椅子と丸机が〝付いて〟おり、その卓上には2丁の旧式の拳銃と2枚の金貨と、七色に彩られたテーマパークの写真が雨粒に打ち拉がれていた。柵もない先へ進むと、地平線の手前には、そこには―――ドーム状の巨大な建物が聳え立っていた。他の建物に気が回らないのは、そこだけ、窓の奥に微かな光が灯されているからである。

 地上へ降りた私は、規則的に池と庭が並ぶ広間を駆け抜ける。濃霧や水面に注意が向かないのは、奇妙な視線を感じるからだ。池の上空で浮かぶトーラスの雲に、何が隠れている? 円形に並ぶ7個の墓石に、誰が隠れている? ―――しかし、次第に視線すらも忘れていく。私が進んでいたのは、空間ではなく時間だったのか、大雨は変わらずとも世界が一変していた。

 コンクリートの建物は複雑に入り組む道路と一体化しており、悪天候にも関わらず爆走する自転車の群が私の目の前を横切り、坂道の先へ消えていく。空色の蛍光灯が滲む建物の下で、人間とは掛け離れた〝生命〟たちが何かを交換している。足元に目を向けると、手描きの地図が地面に張り付いている。なぜ、私は立ち止まっている? ああ、私は雨宿りをしていた。

 宛もなく、人混みに紛れて背後の巨大な自動ドアを抜ける。そこは立派なショッピングモールで、中心に伸びる螺旋状のエスカレーターを見上げると、20階は超える全ての層を一望できた。流れに任せて鉄の地へ足を乗せて、上を目指しながら全方位を見渡してみる。出入口の面は下から上までがガラス張りで、左右の突き当りではエレベーターも稼働している。他の3面も奥が見えない程度まで道が続いており、途中から大理石が灰色から黒色に変化したり、水色のタイルに変化したり、特定のフロアには特定のテーマが存在するらしい。

 ついに螺旋のエスカレーターは役目を終えて、最後に直線のエスカレーターで屋上へ。曝された地面には小石が敷き詰められており、その階には唯一、ポップコーンらしきネオンが飾られた直方体の小屋が佇んでいた。悪天候にも関わらず人々は小屋へ列を成しており、エスカレーターを下りる人間の表情は喜びに満ちていた。そこに何が存在するのか気になるも、長蛇に並ぶ気力はなかった。

 次に階を下りながら散策してみるが、想像以上に複雑な構造をしているせいか徐に頭が痛くなる。木目の道は格子状に続いており、1980年代のコンピューターや電子部品が並べられた店、リング状の高精機械が取り付けられた席で仮想を体験できる店、桜と畳と湯船で構成された和室の店、雑貨店、宝石店―――そこには、あらゆる時間・場所を象徴する店が並んでいる。

 ベンチと植木鉢だけが置かれている別棟らしき空間を下り、非常階段を下り、灯りのない不気味なプレイルームを通り抜けて―――やがて、1階に辿り着く。入口の景色とは明らかに異なり、遊園地のギフトショップと似た大空間が幾つも連なっている。しばらく進むと入口よりも遥かに大きい出口を見つけるが、その先に広がっているのも石造の広間と架橋である。・・・全てが巨大で、憂鬱だ。

 ショッピングモールの階段は地下まで続いており、存在しない目的地を失った私は存在しない解放感を求めて更に下り続けた。東洋の学校を想い起こす対称的な折り返しの階段を下り、カートや荷物が置かれた空港のようなフロアを下り、ガラスで区切られた雑貨だらけの小部屋を通り抜ける・・・そこで、薄緑色に褪せた何重ものガラスが外の景色を映していることに気付いた。それは、夜景ではなく宇宙だった。更に言えば、視界全体に超新星が輝いていた。

 駐車場の出口を抜けてエレベーターに入ると、その籠は下だけではなく前後左右にまでベクトルが与えられる。エントランスの先には、先程とは異なるショッピングモールが広がっていた。散々したフロアは通路やエスカレーターによって接続されており、赤いカーペットが敷かれた映画館の会場、無邪気な子供たちが飛び回る木製のアスレチック、ソファーに座る人々や行き交う人々が目を釘付けにする巨大なディスプレイ、それらの複雑な場所と構造を抜けて交差する折り返しの階段を下ると、全面に鉄板が打ち付けられた薄暗いトンネルに到達した。大量の箱が積まれたラックと巨大な文字か数字が印字されているフォークリフトは倉庫を連想させるが、それにしては無駄な通路が多く、故に私も数時間を彷徨い、やっと、とある一室のラックの奥に排気口を模した出口を発見した。

 樽や棚が並ぶ埃っぽい廊下を不器用に進み、光が溢れる扉を開き、長い道は終焉を迎えた。天井が発光する灰色の部屋には孤独な一本足の展望台が設置されており、地面には僅かな水が張っている。スカートを手繰し上げて静かに中央まで歩き、硬い音が鳴る階段を登り、柵すらもない一枚の分厚い板に辿り着けば、見渡す意味もない空間に意味を見出そうと―――力む全身に深い呼吸を巡らせた。

 私は何かを見つけようと、ひたすら道を歩み続けた。しかし、ここは全てが存在する〝ノイズ〟の世界―――それに挑む人間など無力に等しかったのだ。その〝ノイズ〟すらも人間が生み出した物体で構成されており、もしくは、そう捉えているだけの存在に過ぎない。傍から見れば《循環都市》も同様で、そこが終着点である。この小さな空間は、有りもしない景色を求めて展望台を作った皮肉な存在を表現した、誰かの芸術作品なのだろう。いいや、その考察すらも皮肉になるのだろう。

 私は足を止めたまま、空間を移動する。3次元や時間とは別の〝何か〟を、鉄球の内側に存在したノイズの世界と同じように、実体のない感覚を弄ることで進み続ける。部屋の天地は反り、下り続けたはずの地層は一瞬で地上に変異する。そこは変哲のない町並みで、直線に並ぶ外灯は粉雪が積もるアスファルトの車道を照らしている。通りにはジョージアン様式を彷彿させる2階建ての住宅が並んでおり、そのほとんどに生気・活気が感じられる。対面には石甃を境目に芝生が広がっており、その奥では鏡のように平坦な大湖が無数の星々を映している。

 魂だけが存在する今の世界に意味を見出そうとは思わない。ただ、重力に従わない魂は相対空間を光よりも明るい存在として捉えてしまうだろう。

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Nest Minus Zero Сара Котова @SaraKotova

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