07 白の世界

 未来と過去の区別が付かないとき、時間が非対称であることを知っていた私は過去へ戻るべきだと思った。世界が過去と分かれば未来へ、分からなければ過去へ。しかし〝前提〟が間違っていたことに気付いた私は、時空の干渉を避けようとした。だが、物理法則を解けばエネルギーすらも不安定になり、結局は地道に世界を歩くしかないらしい。

 上下左右が白色で塗られたモダンな空間を、私は歩き続ける。直線の廊下には幾つもの部屋が左右に接続しており、そこでは独創的なクッションに座る者や虹色の光源を浴びる者、蜘蛛を模した機械を操作する者までいる。下らない記憶かもしれないが、もしかすれば何かを示唆しているのかもしれない。嗚呼・・・ディスプレイにも何か映っていたが、それを忘れてしまった。

 通路は段々と混沌になり、ついには重力の向きすらも変わるほどに捻じ曲げられる。建物と建物を繋ぐ廊下は床すらもガラス張りで、そこに広がっていたのは、三次元の絵の具を掻き混ぜたような空間と複雑に絡み合う白い建物の群。地面の向きすらも分からないが、ある箇所―――構造物の隙間の先には、小さな砂浜、豊かな植物、細長い小屋、そして数名の人間が存在していた。

 再び進めば通路すらも穴だらけになり、私は不安定な空間へ飛び込んでしまった。落下する身体に掛かる重力加速度はグチャグチャで、先程の砂浜に落ちると思えば、有らぬ方向へ、最終的には視界の処理も追い付かず、カーペットが敷かれた地面に激突した。多少の痛みを憶えながら上半身を起こすと、そこは、閉鎖されたショッピングモールだった。点灯している明かりは半分にも満たず、周囲には無数の棚が整列している。棚は様々な用品で満たされているが、一部は金網で塞がれている。

 深紅色の通路には幾つかの分岐点が待ち構えており、私は最も幅が広い道を選び続けた。一切の人気がなく、小規模なゲームセンターやカジノホール、ハンモックが取り付けられた洒落な書店、生命体が存在しない濁った水槽、それらを通り過ぎると、無駄に巨大なエントランスへ辿り着いた。直方体の上部に半円柱が乗る、100・50・60メートルの空間は2本の樹木が植え付けられるほどに大きく、左右にはガラス張りの窓があり、左から照る陽の光が中央に立つ私の影を焼き付ける。質素なカウンターや上階に続くエスカレーター、更には、蒼い芝生とS字の砂利道が傾斜に埋め込まれていたりもする。

 私は光へ進み、外に出た。―――傾斜角が30度を超える下坂。そこには無数の家屋が聳え立っており、白色や青色のそれらは淡黄色に輝いている。光に弱い私は手を翳しながら道を下るが、そこに階段という概念はなく、その道路も複雑で、何度も交差点を曲がりながら麓を目指した。

 進めば進むほど霧は濃くなるが、ついには地上付近へ到達する。そこは山々に囲まれた小さな湖の辺であり、滑らかな凹凸を持つ白色のタイルが敷き詰められた広場である。相も変わらず人気はないが、砂礫海岸へ行こうと橋架を渡り歩いたとき―――世界が掏り替えられたことに気が付いた。

 先程までの白い世界は、全てが1立方メートルの白いブロックに置き換えられていた。それらは微風に靡く草の如く上下に揺れ動き、私は遥か遠くに見える一本の長い〝塔〟を目指して、足場を蹴り飛ばす。嗚呼、これが〝アスレチック〟というものか。

 不安定な重力を味方に次々と穴を飛び越え、難なく〝塔〟の中に入る。何もないと思えば唐突に足場が動き出し、天空へ舞い上がる。一定の間隔で抜かされた穴は採光と計器の役目を果たしており、私の身体と視界は段々と加速する。しかし、何分が経過しても到着する様子は―――いや、私が次の世界を作らなければならないのだ。・・・何故? 何のために、私は方角も距離も分からない終着点を目指している?

 そうだ、そうだ、思い出せ。朽ち果てた煉瓦の街を選んだのは、場所や時間に拘ったのではなく、〝真実〟という単語の古典を想像した故なのだ。様々な事象に囚われることなく、永遠に残り続ける存在は、何か。教義は最も効率的な情報媒体で、投射は最も原始的な観測手法で、球体は最も安定的な構造形態で・・・嗚呼、それを人々は〝世界〟と呼んでいた。まさに、形而だ。

 無意識の私を超えなければ。我々は夢の世界を通じて真実を探しているが、そうではなく、直接的に〝真実〟の接続・観測を試みた研究は幾つか心当たりがある。

 しかし、本当に笑える。無数の世界を〝上がる〟はずなのに、その因果が逆転、あるいは矛盾しているとか。世界が通じ合う世界で世界が通じ合う世界を探しに行くとか。その為に特定の場所や時間が必要になるとか―――

 陽が落ちた空に、アジアの繁華街を連想させる街並み、人混み、そして微かな騒音が徐々に大きくなり、やがて五感が正常に戻る。先程と変わらぬ、白いワンピースを纏った私は・・・座っている?

 私は見知らぬ人を連れて、見知らぬ車に乗っていた。時刻は05時半、ここは・・・車窓を伝って騒音が聞こえるぐらいの裏通りである。多少の亀裂が入った灰色のアスファルトには伝統的な酒場や露店が立ち並んでおり、行き交う人々に気を付けながら大通りへ出ると、後部に座る住人らしき2人が何かを叫ぶ。

 「####。######!」 「・・・?」

 車を路肩に停めると、彼らは感謝の言葉か何かを力強く言い放ち、外へ出ていってしまった。そこは鉄屑やプラスチックの廃棄物が山のように積み上がった裏道の入口であり、山の手前ではリアカーを構えた老人が一斗缶の上で仮眠を摂っている。これをスラム街と云うのか、色々と恐ろしい場所である。

 私は2本のレバーを戻して、再び車を発進させる。とりあえず、首都へ向かいたいが・・・それにしても、無意識に車を運転した夢の中の記憶によって運転を熟すとは、不思議なものだ。

 巨大な建物には慣れているはずだが、ここの造形は何とも言えない迫力が感じられる。大通りの上を跨ぐように作られたコンクリートの学校と、無限に続く階段を上り下りする子供たち―――七色のネオンが装飾された巨大な娯楽施設と、ピロティーで哀しい表情を浮かべる人々―――そんな様子が印象に残っている。

 だが、行く手は唐突に阻まれた。何の変哲もない道路の途中で、私は見えない壁に衝突した。車体が崩れると同時に、私は外へ投げ飛ばされる。しかし、その瞬間の異変を覚えている。地平の先まで何もない白い世界―――それを見届けた私は、奇しくも眠りに就いてしまった。

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