05 秋の世界
夢に現実味があると感じるのは不思議な気もするが、昨日は感じず、一昨日は感じて、それ以前も―――交互に現実と幻想が繰り返されているような気がした。おそらくは日差しの有無だろう。
しかし、今日は何とも言えない日である。私は古錆びた市街に佇んでいた。中世の西洋を思わせるような赤い煉瓦で作られた家々と、大勢の人々が見上げていたであろう高度20メートル程度の時計塔。その分針は微塵も動かないが、その空色は黄昏を示していた。毎度のように人気はなく、昨日や一昨日と同じく苔や蔦が建物に侵食している。
これまでは壮大な世界に身を縮こめていたが、ここは妙に気が安らぐというか、これは〝自分が所有している〟ように思えた。―――開放感に身を任せながら、街道を歩き続ける。
大きな建物の外壁が破壊されており、その穴から見える、木製の床間と鉄製の天井。市街の中心には、白色の漆喰が塗られた奇抜な噴水、血縁家族が横並びで座れる簡素な椅子、芸者が使用していたであろう市松模様の小さな舞台。全てが原型を留めながら劣化している、だが、それはむしろ・・・当時よりも美しいと思う。
探索の果てには、一つの教会を発見した。時代や構造から推察してイエス・キリストを崇めていたのだろう。入口は開放されており、そこから一直線に赤色の絨毯が続いており、終点には教壇と肝を抜かれる大きさのパイプオルガンが設置されている。不思議なのは、左右のチャペルチェアには例外なく蝋燭が置かれており、手前にはポールパーテーションで行手が阻まれていた。一体、何故―――
その時、私は気付いた。夢の矛盾点など気付くべきではないが、これだけ廃れている街に何十本の蝋燭が今も灯されている? 建物の内外には多くの枯葉が落ちていたのに、絨毯には埃すらも付いていない? 空間や時間の矛盾は〝そういうもの〟だと腑に落ちるが、世界と乖離する有事象は・・・気持ちが悪かった。
「・・・死は、何を求める?」 「・・・生は、何を与える?」
理由はないが、私は呟いた。そうだ、昨日の私を思い出せ。体とは異なる、不思議な感覚を弄れば―――弄れば段々と景色が揺れ始めた。物々・・・いや、世界が小刻に震えている。これだ、これが何か分からないが、耐え続ければいい。明確な吐気―――そして、〝世界が私を留めようとする力〟が消えたとき、身体が虚構に落下・・・浮遊・・・いや、〝事象の遷移から隔離〟している。
「・・・?」
意識が覚めると、私は森林の中にいた。先程と同じ大きさの斜陽が紅葉を照らして、斑な影と光が私の顔に落ちてくる。・・・嗚呼、これは〝秋〟だ。
地面は緑色の雑草と無数の落葉で成されており、視覚や聴覚が回復すると、周囲には大勢の人間がいた。草原を燥ぎ回る子供たち、料理を振る舞う大人たち、レジャーシートに腰を掛ける夫婦や車両の荷台へ放漫に凭れる若者―――何十人の老若男女が、この世界に存在していた。
「・・・!」
私が腰を上げて地面を踏み締めたとき、妙な感覚を―――それも2つも覚えた。身体が微妙に軽いこと、そして―――誰かに見られていることを。周囲ではなく、とても遠い場所から視線を感じる。
《循環都市》では絶対に味わえない世界を楽しみたい、しかし妙な感覚が邪魔をする。何処だ? 何処で―――私は、見逃さなかった。林が開けた方角から見える森に、一点の光、いや、斜陽を跳ね返す〝もの〟があることを。僅かに覚えていた光学の知識では、シェードを装着していないスコープに該当する。そして大抵は狙撃銃や電子銃の上に取り付けられている。
私が狙われていることも、その理由も分からない。ただ、本能か潜在意識か、何かが〝逃げろ〟と呟いている。私は地面を踏み締めて走り出した。子供のように無邪気な走りではなく、大人気ない本気の走りだ。左の森の光は、私の動きに合わせて何度も点減する。・・・その時、私は体勢を崩して転んだ。気を抜かず再び走る、しかし再び転ぶ。何故だ、身体が軽くなるような・・・重力が不安定なのか? 走り方を変えて、数秒後―――仮説は正しく、身体が樹冠に届く程度まで浮かび上がる。
視線は未だに途切れない。敷地を示す木製の柵を飛び越えて、小川が流れる丘を跨いでいく。そこには幾つものテントが張られており、人々が各々の休暇を楽しんでいる。しかし、彼らの重力は安定している。それどころか、空高く舞い上がる私を誰も見ていない。私は死人? ならば、ライフルを構えているのは死神だろうか?
黄金色に照らされる草原と人民を見詰めて、私は嫉妬が生み出す涙を堪えながら走り続けた。それはやがて、動力源になる。世界は私に平安を与えない―――ならば、意地でも掴んでやる、と。
普段とは異なる重力に足が運ばれて、景色は瞬く間に変化していく。低草の地表に巨木が立ち並ぶ三千世界、石垣と竹林で作られた壁が迷路のように入り組む庭園、土砂が入り混じる森林は人間が手放したものだろう。段々と―――黄緑色に輝いていた自然は湿っぽい深緑色に落ち着き、陽が落ちた曇り空には夕焼けも映らず、地面すらも水平ではなく斜面に、やがて西の空へ〝落ちる〟ような角度に変わる。
棚田のように土砂で区切られた無数の沼地では、人間と似て非なる〝何か〟が水遊びをしている。何処かの火が燃え移る山岳では、雪を模した灰が永遠に舞い散る。それらに干渉することは難しく、僅か数秒で通り過ぎる。通り過ぎなければ、私の四肢が吹き飛ぶだろう。ここは平安ではない―――このまま、世界を離れるのだ。段々と―――地図のように平たい世界が映される。いや、これは歴史を映しているのだ。
アジア大陸から伸びる開発中の《HEX》が、太平洋へ侵食を始めている。北欧や極東の連邦は、異変により地形が歪んでしまった。水没する地形、隆起する地形、東西南北で開発される巨大構造物の数々、そして―――ある日を堺に全てが消え去る。嗚呼、人類は〝これ〟を保存するべきだった。しかし、不可能だった。
私はポケットから見知らぬスマートフォンを取り出して、大気が映らないように視界を写真として収めた。そして、世界が消え去る前に過去の写真を漁った。憶えろ―――草原を駆け巡る大量のヌーに、西洋の料理、空と葉は手ブレが酷く―――だが、次の写真を最後に、身体と記憶に衝撃が残った。
「同じ、光景―――
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