03 沌の世界

 「こっちだ。」

 頑丈な洋服に重装備を背負う私は、仲間と共に廃れた街を進み行く。茶色の短髪に帽子を被った長身の男、ピンク色のパーカーを纏った華奢な女、ゴーグルを掛けてバールを構える老いた男、誰一人として面識のない人間だが、彼らと共に世界を生き抜いていたのは明らかである。

 側面に聳え立つ建物の多くは植物に侵食されており、少なくとも200年以上は放置されている。ジャングルのように数多の植物が在ったり、一方で石像や構造物は今日まで形を保っている。この世界で何が起きたのか、私たちは何を目的に歩いているのか、―――何も分からない。

 彼らの尾に続くと、開けた場所に辿り着く。・・・視界の右左には、底も見えない渓谷で埋め尽くされている。正面に見える対岸は1キロメートルも離れており、それを結ぶのは―――唯一の鉄橋、一度は朽ち果てた鉄橋が、一通のレールを残して再び朽ちている。それは、まるで、列車が通るためだけに補修されたロマン式のようだった。

 線路の下に敷かれた木材へ歩幅を合わせながら、無言で進み行く。ここを列車が通ることはない、そう思いながらも、やはり不安が過ぎる。この世界に物理法則を求めるのはナンセンスだと重々承知しているが、トラスもケーブルも禄に整備されていない大橋に対して不満が溜まる。世界を確立している自分の知識と相違することに腹が立つのだろうか。それとも、日常では体験しない空腹が顕著に感じられるせいだろうか。・・・いいや、私たちは食料を確保するために歩いているのだ。

 気付けば、橋を渡り切っていた。その先は緩やかな坂の泥道が続く。人気はないが、直方体の水槽に有機的な〝何か〟が浮かんでいたり、発電機のような大きな箱が騒音を掻き立てるなど、変な痕跡に退屈はしなかった。本来は恐怖を感じるべきだが―――何故か、当たり前だと思っていた。

 しばらくすれば、道沿いには時代から切り離された一軒のログハウスと、何とか駆動するであろう古錆びたオフロードが駐車されていた。仲間が熟した動きで進む、つまり、これは私たちの所有物であり、ここが―――

 男が鍵を開けようと屈んだ刹那、一本の矢が彼の頭の上を過ぎり、余る勢いで扉へ突き刺さった。突然の奇襲にも動じず、全員が警戒態勢に入る。私だけは一秒の遅れを取るも、矢が飛来した方角に視線を送る。だが・・・既に気配は消えていた。いや・・・それどころか仲間の姿が見当たらない。この一瞬で、何処へ? 去るための音も、声も、何も聞こえなかった。

 仲間に対する哀傷や怒気はなく、ただただ拍子の抜けた自分が、そこにいた。

 「え・・・。」

 何を考えたのか、いや、何も考えていない。正気の自分は狂気の世界を気にも留めず、エンジンの掛け方も知らない自動車を運転した。逃げているというよりは、再び目的地を決めて走っているようだった。不思議な感覚だ。明晰な意識を持っているが、身体の半分は私の知らない動力で動いている。

 コンクリートの塊が支えるアスファルトの道―――高速道路を進み行く。皸や皺が酷い箇所もあるが、大凡は上手く走行している。緑黄色の森林は亜熱帯に繊維する一方で、それらを俯瞰できる高さに到達すると、横窓から入り込む風が心地良かった。段々と翡翠色の何か―――大河だ。大陸の境界を超えた先に、新たな廃れた街が見える。先程と同程度か、それ以上に大規模な街並みだった。

 建物に囲まれた敷地に車を停めて、トタンの壁を攀じ登る。その先には中規模のビルが、全ての窓ガラスが割れており、中にあるはずの全ての備品は持ち去られた、不安定な構造のビルが在った。

 歪んだフロアを進み、動かないエスカレーターを登り、そして屋上に到着する。きっと、ここが私の目的地だった。ほとんどの安全柵は崩れており、中央には何かしらの集団が使用したであろう調理道具やゴミが散乱していた。しかし、何の用事で、ここまで来たのか。思い出が蘇るわけでも、資源が在るわけでもない。ただ―――潰れた金網フェンスに直進するだけだった。

 地と空の境目で足が止まる。私は、死にたいのか? いや、次なる目的を達成するためだ。目的とは何だ? ・・・違う。ここへ来たのは、ここを去るためではない。探すためだ。―――曖昧な意識を拒絶しなければ。―――昨日の記憶に引っ張られるな。思い出せ、自分を。

 ・・・段々と自我を取り戻したとき、違和感に気付いた。随分と時間が経っているはずなのに、陽が一向に落ちない。この世界は、時が止まっているのか? それとも、ここは地球とは異なる惑星?

 常に何か狂っているのは承知だが、今日ばかりは狂気の存在が大きいと感じる。それは、上位存在や宇宙ゴリラを目撃した感覚に近い。

 車に乗り込み、次は先程のログハウスを・・・いや、その先にある、レールの最果を目的地に走り続ける。時が消えた世界は時の流れが速く、気付けば橋に辿り着いていた。そこから、徒歩で―――悪い予感がしたのか、自然とバックパックを持って行く。その頃には、仲間も、空腹も、全て忘れていた。

 東へ進み、進み、進み・・・心做しか街の緑黄色が薄くなったとき、レールの最果に辿り着いた。だが、その次には、幾つか別のレールが再び続いている。ただ、それらの一つには、漆黒に包まれた旧式の機関車が設置されている。奇跡だ―――これを使えば、何処かへ辿り着くのだ。

 操作盤から寂れた転車台を動かし、機関室では魔改造されたハンドルから謎の燃料を蒸かし、東を向くレールへ車が走り出す。そして、これが奇跡でもないことに気付いた。私・・・私たちは、常に西へ進んでいたのだ。目的は分からないが、その為に車を起動して、車が乗る線路を確認していた。

 左右に設置された小さな窓を開けて、世界の様子を傍観する。その光景は、まるで時代を遡るようだった。陽が地平線へ差し掛かると世界は白銀に包まれて、しかし、その輝きも瞬く間に消え去ってしまった。車に搭載された電灯が唯一の頼りで、バックパックから取り出したコートに包まり、ひたすら最果を待ち続けた。

 やがて―――無数の停止信号が窓を横切る。急いでレバーを引き、静止した後に極寒の世界へ足を踏み入れる。レールの少し先には凍結した廃駅が、少し前に点灯したであろうライトが、煉瓦に張り付いた氷を溶かそうとしている。

 しかし―――もう、少しで辿り着くのに・・・倒れた体が動かない。寒すぎた。嗚呼、おそらく、この世界に長居していた。色々と、世界を理解できそうだった・・・のに・・・。

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Nest Minus Zero Сара Котова @SaraKotova

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