28.〔ブレイン〕と快楽 下
人差し指を立てている、トーリに、ロクは怪訝そうな表情を浮かべ「どういうことだ?」と聞き返す。
トーリは、また湯呑をお盆の上に置き直す。
「ちょっと、話しは変わるんだけどね。麻薬ってあるじゃない? あれって、麻薬を摂取するたびに、耐性が付いて、快楽がだんだんと薄まってくんだけど。〔ブレイン〕が与えてくる快楽には、それがないんだよねぇ」
トーリは、人差し指を立てていた方の手を、悩ましそうな湿りのある動きで、頬に当てる。
「つまり〔ブレイン〕の分泌物は、麻薬並みの、強い快楽があると同時に、人類の耐性が、一切通じないんだよ。だから〔ブレイン〕の快楽は、慣れるってことがないから、いくら与えられたとしても、弱まることがない」
そしてトーリは、粘度のある垂れるような指先の動きで、浅い頬のヤツれを、なぞる。
「なにが言いたいかというとね。一度〔ブレイン〕の捕虜になってしまったら、もう〔ブレイン〕がいないと生きていけない体になっちゃうんだよ。しかも捕虜になった君たちの仲間には、未成年の子も居た。この子に関しては、もう絶対に望みはない」
そう言うと、トーリは、気だるそうに立ち上がりながら「ちょっと《従魔》出すね」と一言ことわり、胸元から芋虫を出す。
そんなトーリを、タクトは、どこか疲労がにじむ、呆然とした表情で見上げる。
芋虫の背中が割れ、一匹の馬陸が出て来て、トーリに巻き付く。
「連れ帰っておいてなんなんだけど、このまま捕虜になってた君たちの仲間を放置してると、確実に〔ブレイン〕の元に戻ろうと、暴れ出す。で、このヤスデちゃんなんだけど、この子の持つ〈スキル〉は〈バインド〉でさ。この子たちで、君たちの仲間を拘束―――」
―――その瞬間、外から大きな喧噪が聞こえて来る。
それにトーリは、困ったようにフードの中の、額の位置に手を突っ込む。
「しまった、話し込み過ぎたか」
面倒そうにトーリは呟く。そしてロクに顔を向ける。
「ロク、君の仲間たちを運んだ場所まで、案内してくれるかい?」
そんなトーリの問いかけに、ロクは「分かった」と返す。そしてロクの後について、トーリは小屋を出る。
やがてトーリとロクは、喧噪が起きている場所まで、たどり着く。
そこではトーリが連れ帰ってきた数人の部族の男女が、まるで獣のように叫び、涎を垂らしながら暴れている。
そんな仲間たちを、周りの民族が、能力による瓦礫や地面の操作を用いて、抑えようとしている。しかし獣のように暴れる仲間たちは、痛覚がないかのように、自らの体が傷つくのにも構うことなく、強引に拘束を抜け出そうとしている。
そんな仲間たちの拘束を強めれば、逆に仲間を傷つけてしまうという状況に、周りの民族は、次第に抑えきれなくなってしまう。
やがて、その内の抑えきれなくなった、暴れている内の一人の男が、その拘束を抜け出し、拘束していた仲間の民族に襲いかかる。
そこに横から伸びてきた馬陸が、拘束を抜け出した男に巻き付き、捕える。その馬陸が飛び出してきた位置で、トーリは、芋虫の背中から、次々に数匹の、影のような揺らめきをする馬陸を溢れさせる。そして、その他の暴れる男女に巻き付かせ、拘束する。
トーリは、馬陸によって動けなくなった男女を、呆然と見つめる民族たちに近づいていく。
「このヤスデちゃんの持ってる〈スキル〉は〈バインド〉と〈初見殺し〉で。この〈バインド〉は、その発動が成功した相手の身動きを取れなくする、って効果でね」
そう言うと、トーリは、近くに疲労からか、座り込む、短めの、明るい髪色をした中年女性の肩に、ねぎらうように手を置く。
中年女性は、小じわが縁取る、少し大きめの目を見開き、トーリを見上げる。
「〈バインド〉の欠点としては、相手が意識のある状態だと、失敗しやすいってのだけど。その点は、もう一つ持たせた、最初の一回だけ発動した〈スキル〉を、必ず成功させる〈初見殺し〉って〈スキル〉でカバーできるんだよねぇ」
そして中年女性を見下ろすと「いいでしょ?」と言い、微笑む。
中年女性は「へ、へぇ」と戸惑ったように返す。
そこにロクが歩いてくる。
それに気が付いた中年女性は、すぐさまロクを見つけ、近づいていく。
「あ、あの族長。あっ、あの子はっ、あの子は、だ、大丈夫っ、ですよ、ね?」
そう言う、中年女性に、暗い髪色をした、同じく中年の男性が、近寄り、寄り添う。中年女性の問いかけに、ロクは痛ましそうな表情で、トーリを見る。
トーリは、やけに軽さのある態度で肩をすくめる。
「どう話すかは、君が決めればいいよ。それか他の信頼できる人たちと相談してから決めるか」
そう言うと、トーリは、黒い粒子を溢れさせ、馬二頭ほどの胴体を持った蚰蜒を呼び出す。そして馬陸で拘束された男女に顔を向ける。
「それまでは、彼らの面倒は、私が見るよ。君たちは、こういうの、慣れてないだろうし、落ち着くまでは、私に任せときな」
そしてトーリは、近くの民族に「ちょっと、手伝って」と言うと、蚰蜒に、馬陸で拘束し男女を乗せていく。
「じゃ、誰か、彼らを寝かせてた場所まで、案内してくれないかな?」
その言葉に、ロクに縋りついていた中年女性が、一瞬、トーリを見ると、またロクに向き直る。
「それなら、私たちが、案内してきます」
中年女性が、そう言うと、隣の中年男性も頷き、二人はトーリの後を追う。
そんな二人の背中にロクは「頼む」と言葉をかける。
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