27.〔ブレイン〕と快楽 上

「生き残った君たちの仲間を連れ帰っておいてなんだけどねぇ。率直に言おう。彼らは、もう手遅れだ。諦めた方がいい」


 古くなり、むき出しのひび割れが目立つ壁は、そのままに崩れた吹き抜けとなっていたはずの箇所が、瓦礫や植物で無理やり補填しできた、小屋というよりは、雨風がしのげる洞窟という印象を受ける、その部屋で、トーリの、そんな言葉が響く。

 地面には一応、布が引かれ、何とかくつろげる状態の床に、トーリとロクは胡坐をかいて、向かい合っている。


 先ほど放ったトーリの言葉に、ロクは思いつめた表情でトーリを見ながら「そ、れは、どういう?」と聞き返す。


 そんなロクの言葉に、トーリは、ロクから差し出され、目の前の床に敷かれた、大きめのお盆に乗る、独特だが飾り気のない湯呑を熱そうにして手に取り、ゆっくりとした、少し不安定な動きで口元まで運び、すする。

 しかしほんの少しだけ、舐めるように一瞬すすると、すぐに唇を離し「あちち」と呟き、お盆に置く。

 そして手を冷ますために、両手を振る


 そんなトーリを、ロクは急かすように見つめる。


 トーリは、少し苦笑いする。


「そんな焦んなよ。順を追って話すから。んと、どっから、話そっかねぇ」


 胡坐で重なった、膝の間に、手を突っ込み、背を反らすように伸ばしながら、まずそう呟く。そして胡坐中に突っ込んだ手を、モゾモゾとさすると、ロクの少し上を見つめる。


「そもそも、〔ブレイン〕が私たちと敵対してる理由が、いろいろあるわけだけど。その一つが繁殖のためなんだ」


 そしてトーリはそう言うと、胡坐から手を抜き取ると、また湯呑を持ち、破けたフードから片方覗く目を、湯呑の中の茶を覗き込み、伏す、微かに唇を尖らせ、一回、息を吹き込む。


「別に、〔ブレイン〕だけだと、繁殖できない、ってわけじゃ、ないんだけどね」


 そう言いながら、トーリは、伏して、湯呑の中に向けていた、片方だけ露わになっている目を、漂う湯気の奥から、見る。

 その鋭い目は、滑らかな瞼の流れが被さり、更に細まり、鋭利さを増すが、それがむしろ、いつの間にかできた切り傷のような、曖昧な儚さを有している。


 そしてトーリは、湯呑を降ろすと、またロクに向き直る。


「奴ら、〔ブレイン〕が人類と交わると、強い個体が生まれやすいんだよ。たぶん、仕組みとしては、人類とまぐわって生まれた〔ブレイン〕は、私たちに対する抗体を獲得する、みたいな感じかな? 専門じゃないから、細かいことは、分かんないけど」


 そう言い、トーリは湯気が薄まった湯吞に入った茶を、一口、すすり飲む。すると「ん、けっこうおいしいねぇ」と呟き、湯呑の中を、一瞬、覗く。


「まぁ、つまりは、そんな〔ブレイン〕に囚われていたってことは、そういう目にあってる、ってことでさ」


 トーリは湯呑を、回し持ちながら、そう言う。

 ロクも、険しい表情で、同じく湯呑を、重々しい動きで持ち上げ、一口飲むと、トーリを見る。


「分かった。捕虜になったということは、仲間たちは、それ相応のトラウマを抱える、ってことだな?」


 そう言うと、疲れたように、痩せたことで良く目立つ硬質感のある筋を、形作る彫りを、更に深めて「そのケアは大変だ、と」と、更に続けて呟く。


 そんなロクに、トーリは重々しく、ゆっくりと首を、横に振る。


「話しは、そう単純じゃなくてね。ここから、少し難しい話しになるんだけど」


 そして湯呑をお盆に、鈍い動きで置きながら、そう言う。

 ロクは、怪訝そうにしながらも、真剣な表情でトーリを見つめる。


「さっき、〔ブレイン〕は、私たち人類への抗体を持ってる、って言ったよね?」


 そう言う、トーリの、いつもの口角の微かな釣り上がりも、鳴りを潜める。

 そんなトーリに、ロクは「あぁ」と肯定の呟きを、返す。


 トーリは湯呑から片手を離し、指先の反りが目立つ、人差し指を立てる。


「だから奴らは、私たち人類の抗体、つまり耐性に対しても、抗体を有してるんだよ」


 そして静かな、しかし重々しい声色で、トーリは言う。

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