11.契約成立

 硬く閉じている、冷ややかな柔軟性のある、赤茶の鱗をまとった、トーリの頭を丸呑みにできるほどの大顎が、トーリの鼻先に当たる直前の距離で静止する。


 そんな大顎の目の前で、トーリは微かに口を開き、揺らめきに湿ったかのような息を吐き出す。


 すると吹き飛んでリーダーの男の首が、鈍い音と立て、地面に落ちる。

 顔面から地面に落ち、跳ね返って、表となったリーダーの男の、その顔は、だらしなく口を開き、いくつもの歯が折れかけ、鼻が潰れている。

 腹より下しか残っていない、リーダーの男の下半身からは、大量の血が溢れ出し、リーダーの男の尿が混ざった血の水たまりを作る。


 その瞬間、地面や壁から、土で出来たはしらが、高速で飛び出て来る。柱は、瞬時にサソリ蟷螂カマキリ鋏虫ハサミムシを押さえつけると、そのまま押し潰す。

 やがて潰れたトーリの蟲たちは、黒い粒子となって消えていく。


 トーリは目の前の顎から顔を逸らし、土の柱に潰され、黒い粒子にとなり空気に消えていく《蟲》の姿に、小首を傾げる。


「あれ? カマキリちゃんの<先制技>が、発動しなかった?」


 すると呆然と呟く、トーリの目の前の、大顎の主である巨大な蜥蜴トカゲ、レオパードゲッコウが、穴も何も開いていない、土の壁の中から這い出て来る。

 レオパードゲッコウの、その人間二人分はあるだろう、長い体があらわとなる。そして口の中に残っていた、リーダーの男の肉片を雑に吐き捨てる。


 そんなレオパードゲッコウに、トーリは近づいていき、下腹部あたりにあるレオパードゲッコウの、その血が付いた口を見る。

 するとトーリは、リュックを降ろし、タオルを取り出すと、纏わりつくような粘着質な動作で、レオパードゲッコウの口元を拭い出す。


「あらぁ、かわいそうに、汚いのが付いちゃってるよ」


 少し腰を低くしてかがみ、レオパードゲッコウの、その大きく深いこげ茶色の瞳を見下ろしながら、そう言い、拭っていく。


 しばらくすると淡い明かりが照らすだけの、すぐ先の薄暗いトーリが来た方向の通路の奥から、急に背の高い人影が現れる。微かな光に照らさら、その姿が明確となり、レイスの姿が明らかとなる。

 レイスは、全身に大火傷を負い倒れる二人の男たちの間を通り抜けて、トーリの背後まで近づいてくる。


 そしてレイスの脚が止まると、その足元の地面からは、レイスの膝くらいの大きさをした、土ででき、長い鉱石の鉤爪かぎづめを持った、巨大な蛙が這い出てくる。


「今、やけに物騒な会話が聞こえた気がするのだがね。僕の聞き間違いかな?」


 そんなレイスの言葉を気にすることなく、血に染まったタオルを、そこら辺に放り捨てて、レオパードゲッコウの冷ややかな肌を、執念のある手の動きででる。


「このトカゲちゃん、レイス、君の《従魔》かな? 立派な《龍》だ。一個体が持てる〈スキル〉の数は《獣》より少ないけど、選べる〈スキル〉の種類は《龍》の方が多い。

うちの《蟲》ちゃんは〈スキル〉は豊富だけど、一個体が持てる〈スキル〉の数は、《従魔》の中で一番少ない。

つまり《龍》は《獣》と《蟲》の能力を、いいとこどりした≪従魔≫、ってことで」


 そこまで言い、トーリはため息をつくと「いいなぁ」と羨まし気に呟きながら、レオパードゲッコウを撫でる。


 されるがままのレオパードゲッコウは、冷ややかなテカリを持った黒い大きな瞳を、トーリに向ける。

 そんなレオパードゲッコウの眼差しに、粘り気が作る糸が切れるような、速やかな動きで、滑らかな微かに上がり気味の口の端を、引き下げる。


「うわぁ、ヤダぁ。なにその冷たくて、いやらしいブサイクな目。ご主人様、そっくりだよ? かわいそうに、嫌なところが似ちゃったかぁ」


 トーリは膿んだようにわざとらしい粘度を持った、痛ましそうな声を上げながらかがみ込む。

 リーダーの男の血が作る、血だまりに、ズボンの膝が浸るのにも構わず、地面に膝をつき、レオパードゲッコウの大きな頭を抱えるように、抱き着き、その柔軟性のあるうろこを撫でる。


 レオパードゲッコウは、そこはかとなく気持ちよさそうに目を閉じる。


 レイスは、太いが、綺麗に長さのそろった眉を、ひきつりのある細やかな動きで、眉間に引き上げると、しびれを強くはらんだ息を長く吐き出す。

 するとその手に持った、作りの良いステッキを、地面に軽く叩き付け、乾いた音を立てる。


 レオパードゲッコウは、素早すばやい動きでレイスの元に戻る。


 トーリは、そんなレオパードゲッコウの後を追い、振り向く。そして名残惜なごりおしそうにレオパードゲッコウ見つめて、動きを止める。


「僕の質問に、答えてくれないかね?」


 レイスは動きを止めたトーリに向けて、そう言う。

 そんな言葉に、トーリは鈍く消極的な、強い粘りを引きはがすかのような、揺らぎのある動きで立ち上がり、レイスに向き直る。そしてレイスの足元に居る、大きな異形の蛙を見つめる。


「その蛙っぽい子、《下位召喚ロー・サモン》で呼び出せる、《霊獣スピリット》で、地をつかさどるタイプの〈ノーム〉だね。

《サモナー》って卑怯だよね。

一番弱い種類の《霊獣スピリット》でも、私の自慢の実戦向きな《蟲》ちゃんたちが、なすすべもなく、やられるわけだからねぇ」


 纏わりつくような不満がこもった、湿り気のある声で言うと、レイスの足もとの蛙から視線を逸らし、レイスの少し後ろの地面に、トーリの視線は移動する。


「何だったら、貸し出された状態の炎の《召喚サモン》にすら、やられるしさぁ。

まぁ、君たちに貸し出されてる炎は、特別性だけど。

でも、こいつら満足に使いこなせてすらしていないのに。そんなのにすら、私の《従魔》はやられるんだから。

ほんと不遇なジョブだよ《テイマー》はさ」


 トーリは、全身に大火傷を負い、衰弱すいじゃくしきって倒れている二人の男たちの内の、片方に視線を向ける。そしてレイスに視線を向け直す。

 そんなトーリに、レイスは鱗のような細やかな目元のしわを深めて、眉間にも皺を寄せ、黙り込む。


 二人の間に、刺すような細やかなしびれを持った沈黙が、立ち込める。


 しばらくすると、トーリが鈍いガタついた動きで頭を下げて、両手を上げる。


「分かった、分かったよ、悪かったって。これも《従魔》オタクのサガでさぁ。どうしても《従魔》をひいきしちゃうのよ。許してよ」


 そう言うと、首を持ち上げ、レイスに顔を向ける。


「それに【セイリン共和国】なんて、ちょっとイキっちゃっただけじゃん。あんな怖い国、普通は、手出しするわけないよぉ」

「なら、いいんだがね」


 トーリの言葉にそう返すと、レイスは憂いのにじむ鈍い動きで、帽子の位置を確かめると、八の字に整えられた口髭くちひげをいじり出す。


「報酬なのだがね、荷物運び君。〖仲介屋〗の裏金融に、口座は持ってるかね?」

「そんなこともしてんの? まぁ、彼らのことだから、あんま驚かないけどさ」


 レイスの言葉に、意外そうに返す。

 髭をいじっていた手を、ステッキに置き、レイスは、その両手をステッキに乗せる。


「彼らの役割は、裏側の支配による調整と、超長期的な裏勢力の縮小なのでね。将来的に商売先の裏側がなくなるのを見越みこして、表側に進出することを考えているのではないかな? だから、表でも通用する商売媒体しょうばいばいたいを持ちたかったのだろうね」


 ステッキの飾りを撫でながら、レイスはそう言う。


「なるほどねぇ」

「ないなら、僕の方から〖仲介屋〗に、お願いして口座作って、振り込んでおくよ。彼ら、昔っから僕たちには親切なのでね。快諾かいだくしてくれるだろうさ」


 レイスはトーリにそう提案する。その提案に、トーリは頷く。


「オッケー。分かったよ」


 トーリは、軽くそう返す。そしてその胸元から芋虫が這い出て来る。


 レイスは、そんなトーリを黙り込んで見つめる。

 小首を傾げて、トーリはレイスを見る。

 レイスはステッキから片手を離し、その手で細いが、無機質にしんを持って突き出た顎を撫でる。


「ところで、聞きたいのだがね。なぜ君は、幽閉ゆうへいされていた外国人たちを、わざわざ殺して回ったのかね?」


 気だるげな垂れ下がった目を細め、垂れ特有の、しなりのある鋭さを持った目で、レイスはトーリを見つめる。

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