10.ビジネスのお誘い

「ど、どういうことだ?」


 トーリの言葉に、目を見開き、警戒心がこもった声で聴き返す。


 トーリは瑞々みずみずしく、滑らかな、張りのある流れを持ち凹んだ、頬の浅いやつれをなぞると、そのやつれが流れ着く幼さにならされたような、低い顎を撫でる。


「なんていうかねぇ。君たちだって、ちょっと空気を読み間違えた、ってだけじゃん。それだけで壊滅っていうのも、ね? なんか、かわいそうだし?」


 子どものような湿り気のにじむ無邪気さを持った、甲高い声でそう答える。


「構想段階なんだけど。新しいビジネスを始めたい、って思っててさ。それを手伝って欲しいんだよね。多分だけど、今まで以上の利益も出るし、何だったら、表の奴らも手出しできない状況を作り出せると思うよ? どう?」


 トーリは湿り気のある微笑みを浮かべ、獲物を取り込むような動きで小首を傾げる。

 その言葉に、リーダーの男は、怪訝そうにトーリの様子をうかがう。しばらく目を泳がし、トーリを不安そうにチラチラと見る。


「ほっ、ほんとかっ? たっ、すかるっ?」

「なんでもする?」

「あ、あぁ」


 リーダーの男の返答に、トーリの微笑みを作る口が微かに開く。

 口内は、見通せない湿った闇にかすみ、しかし強い存在感を持って、浮き上がる、やけに多いが綺麗に整列した小ぶりの白い歯の連なりが覗く、陰険いんけんな微笑みを形作る。


「じゃ、稼ぎに行こっかぁ。【セイリン共和国】へ」

「せっ、えっ? は?」


 そんなリーダーの男の反応に、傾げていた小首を元に戻すと、よどみからにじんだような陰りのある、口角の釣り合がりを深める。


「まだ具体的な見通しは立ってないんだけどね。でも、前々から思ってたのよねぇ。こんな、辛気臭いしがらみだらけの島国、さっさと抜け出して、外国で商売でも始めたいなぁ、って」


 膝に収まる団子虫の、湿っぽいテカリを持った黒い外骨格の連なりを、のびっぽなしのガタガタの爪で弾くように撫で、トーリはリーダーの男から目を離して、少し上の虚空こくうを見つめる。

 そしてその体を粘性のにじむ弾みを持った動きで、揺らす。


「でさぁ、外国と関係を持つなら、やっぱ、まずは【セイリン共和国】でしょ」


 同意を求めるように「ね?」と問いかけ、リーダーの男を見つめて、首を、また傾げる。


「ちょっ、まっ、じょ、冗談だろっ?」


 その言葉に、トーリは湿った微笑みを浮かべ、黙り込む。その場にまとわりつき、締め付けるかのような、圧迫感のある静寂せいじゃくが立ち込める。


 そんな中、リーダーの男は圧力に浮き上がるような、軽さのある弱々しい動きで首を振る。

 その乾ききった目から、大粒の涙がこぼれ出す。


「そっ、そんなの、本部がっ、み、認めるわけないだろっ!おっ、俺が、ほっ、殺されちまうっ!」

「こっそり協力してくれればいいじゃん。それに、【セイリン共和国】でのビジネスが成功してしまえば、そんな危険な国と交流、持ってる君には、本部どころか、〖致命の熱〗ですら手出しできなくなるよ」


 そしてトーリは首の傾きを戻し、改めてリーダーの男と正面から向き合うと「名案でしょ?」と最後に呟く。


 そんなトーリの言葉に、リーダーの男は、次第に激しく頭を振り始める。


「あっ、あっ、んなっ、さっ、最悪な国っ! おっ、お前っ、くるっ、てるっ、くっ、狂ってるよぉっ! やだっ。嫌だっ! しっ、死にっ、たくっ、ないっ!」


 リーダーの男は深くうずくまり、火傷を負っていない腕の箇所で、頭を抱えて、のたうち回るかのように頭を振り乱す。大粒の涙や垂れ流しとなった鼻水、よだれが弾けとぶ。


 トーリの服の袖に、弾けんだ体液がかかる。


 服の袖についた、リーダーの男の体液を、嫌そうに、トーリは見つめる。


「いやいや、こんな仕事してて、それはないでしょ。冗談きついって。ここはさぁ、

腹くくって、ロマン求めようぜぇ?」


 地面に袖をなすりつけながら、曖昧さからにじんだような、湿った呆れを持った半笑いで、トーリは言う。


「でも、まぁ、嫌って言ってるのを、無理やり誘うのも、ねぇ」


 トーリが、そう言うとリュックに降りていた蜂が浮き上がり、馬陸が、蜂まで伸びていく。そしてトーリは湿り気を持った、ゆとりのある動きで立ち上がる。

 そんなトーリの動きに、リーダーの男は、すぐさま顔を上げる。


「わっ、わかったっ! やるっ、よっ! やればっ、いいんだろっ!」


 トーリを見上げて、涙声でそう叫ぶ。


 その瞬間、蜂と馬陸の動きが止まり、トーリも微かに口を開き、小粒の歯の、整った連なりを覗かせる。


「へぇ、ここでその決断できるんだ。正直、君みたいなのが、末端とはいえ、武闘派組織の責任者なんて、意外だったけど。

でも納得がいったよ」


 そしてトーリは、リーダーの男に顔を近づける。


「じゃ、契約成立だね」


 そう言った瞬間、リーダーの男の後ろの壁から、巨大な顎が、横に開かれた状態で現れ、リーダーの男の上半身を飲み込み、勢いよく閉じる。


 リーダーの男の首が勢いよく弾けとび、顎は、トーリの目の前の、その低い鼻スレスレで、硬く閉じられる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る