第5話 首
事務所の奥の、貫通していった蜻蛉と衝突した壁は、凄まじくひび割れていたが、何とか原型を保っている。その壁の前で、ひっくり返ったボロボロの蜻蛉が、黒い粒子となって、少しずつ崩れ、空気に溶けていく。
半壊し、見通しの良くなった室内には瓦礫や泥が溢れ、そこらへんで瓦礫に押しつぶされた人間が、何とか抜け出そうともがいている。
そんな半壊した事務所の中に、黒い粒子をたなびかせトーリは入っていく。やがて粒子は収束し、トーリを覆いつくすほどの、一匹のこげ茶が混じった黒い外骨格をした
そしてトーリは、瓦礫からにじみできた血だまりを、踏みつけながら、蜻蛉を目指し歩いていく。生命力が名残惜しさゆえに絡み付いたかのような、粘着質な光沢のある血液が、トーリの靴裏を逃さまいとするかのような、力強い糸を引く。
「範囲技のスキルで規模を大きくしたのは、いいけど。特攻って、使っちゃうと、せっかくの
すると芋虫の背中が開き、そこから両手で抱えるくらいの大きさの
少し進むと、どこかからトーリの目の前に、大きめのボールのような影が落ちてくる。影からは、水気のある粘液じみた、しかし確かに割れる音が響く。
トーリは粘度のある鈍い首の動きで、小首を傾げ、影の落ちた場所を見る。
そこには、顔の左上半分が抉れた、青年の生首が転がっていた。潰れかけた左上半分の頭の、明るい線の細い金髪の隙間から覗く、割れ目から頭蓋骨の中の、赤身が強いピンクの脳みそが、垂れているのがやけに目立つ。左目は、潰れた衝撃から押し出されたかのように、その眼球は飛び出して、眼球についている紐のような筋肉の繋がる眼窩の奥には、ひり出したような細い脳みその一部が飛び出ていた。右頬の皮は剥がれ、その露出した頬の筋肉は伸びきっている。伸びきった頬の筋肉が、なんとか繋ぎ止める下顎は、皮が、ほぼ剥がれて、所々折れ、割れた下の歯が露出している。
転がっている青年の首を、トーリは細く長めの下唇を、親指の塗り込むような、粘着質な動きでなぞる。そして死出虫を、放り落とし、新たに芋虫の背中から出てきた団子虫を抱える。落ちた死出虫は、黒い外骨格が連なる腹をよじらせ、蠢き、その体から黒い光を放つ。するとその黒い光は死出虫から分離し、いくつかに分かれると、分かれた光は一回り小さい死出虫の姿となる。大きい方の死出虫は、何回か小さい死出虫を生み出し続ける。生み出された、小さい死出虫は、瓦礫の中に入り込み散らばっていく。
しばらくすると、そこら辺から小さい爆発がいくつも起こる。
爆発音にまぎれ、そこら中から、悲痛な悲鳴が上がる。
それを聞きながら、トーリは青年の生首の元まで歩いていく。
大きい方の死出虫は、その小さい死出虫を生み出しながらトーリについていく。青年の生首の前まで来ると、トーリは青年の生首を踏みつけ転がし、弄ぶ。
頭蓋骨の割れ目から、更に脳みそがあふれ出す。
「うわ、きったね」
そう嫌そうに言うと、長く色素の薄い舌を出し、青年の首を蹴り飛ばす。
するとトーリの後ろで、微かに何かが動く音が聞こえる。
トーリが粘性が纏わり付いたかのような、鈍い動きで振り返る。
そこには左半身を失い、そこから赤い肉が染み込むように張り付いている肋骨が露出している中年男性が、瓦礫にもたれ掛かり、トーリを見つめている。そのくたびれたコートは、血が染み込み、深い黒色となっている。その口からは、泡立った、唾液の混じる血反吐が、長い糸を引き、垂れ流しとなっている。
そんな中年男性に、トーリは微かに口を、呆気にとられたように開く。
「へぇ、あれを食らって生きてるかぁ」
陰湿さが纏わりつく楽し気な声で、言う。
その言葉に合わせ、蟷螂が粘液感を持った、しかししなやかな、速い動きで中年男性の方を向く。
「それはそれとしてさぁ、ここの責任者、どこに居るか、知らない?」
トーリの気楽な声に、中年男性は瞳孔が開き始めた、焦点の合わない、血走った目で、トーリから少しずれた空間を睨み付ける。
「しっ、る、かっ」
途絶え途絶えに、中年男性は吐き捨てる。
そして右肩だけで体重を支え、右手を向ける。すると中年男性の手の甲にある、炎をかたどったような紋章が、赤い輝きを放つ。その手に体から溢れる赤い粒子が収束して、炎が生み出される。
「ひどいなぁ。そんな邪険に扱わないでくれよ。私は、君が、あの子を、絶対に裏切ることのない状況を作ってあげたんだよ? 裏切り者にならないで、今後の面倒だってなくなるんだよ? 感謝して教えてくれたっていいじゃない」
微かな悲しみの湿りをにじませた、困惑した声で言う。
中年男性の手に集まった炎が、放たれる、その数舜前に蟷螂の鎌が中年男性の首を落とす。炎は、放たれることなく掻き消えていった。
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