19 ヴァカンスの予感
しばらく平和な時間が続いていた。オユンが朝食の準備をしているときのことだ。
「
シャルが切り出した。
「サンジャーが、あの古銭を、ぜひにコレクターに売りつけろと」
月初めの
手紙は、まず荘園の差配人ゼス・ドゥルゥのところへ届き、それからゼスが城へ届けてくれた。
城への道は代々の差配人しか知らないという。そんな山道、誰も登りたくないというのが本当のところではないか。
ゼスのことをノイは〈
それで、オユンは厨房で冷製スゥプを作っていた。
シャルがオユンの仕立てた
イモの冷製スゥプが仕上がると、家令は
オユンも厨房用に仕立てた上着を脱いで、食卓につく。
「
シャルの話は続いていた。
「わざわざ蒸し暑い低地に出かけるのですか」
家令は眉間にしわを寄せた。
「おまえは留守を守っていてくれ」
シャルは、家令のハッロ・レカェケムを連れて行く気はない。城が無魔人になるのは、よろしくない。
「サンジャーからの手紙だ。読むか」
オユンに、ぽいと書状をよこした。
オユンは折りたたんだ巻紙の書状を開く。
サンジャーの文字は、彼の見た目より几帳面だった。
『——例の古銭の話をコレクターにお話ししましたところ、
是非お譲りいただきたいと。
他にも珍しき貨幣あれば、是非にとお申し出です。
お越しになれば滞在費もろもろ諸費用、
その方が持つとおっしゃられております。
このサンジャーの名を出せば、入国審査も
ぜひ、この夏は、こちらで御過ごしになりませんか。
蜜月のシャル・ホルス御夫妻を
甘く忘れられない夏となることでしょう——』
あの古銭1枚が、コレクターにとっては、喉から手が出るほど欲しい品ということだ。
だから両替商にねらわれもした。
シャル自身は古銭の価値には心動かされる様子がなかった。なのに、『甘く忘れられない夏』という部分に、びんびん反応した。
「新婚旅行というものだな。これは」
そういうものに憧れる感性を持っていたとは知らなかった。
「しかしですね。あなた、
オユンは物申した。
「別に。
しゃあしゃあと、シャルはのたまった。
「わたしは死んだことになっているんですけど」
「そうだ。そのつもりで」
「どういう」
「魔物の奥方だ。深く詮索してくる者はいないさ。いざとなれば、けむに巻いて退散できるしな」
シャルは楽しそうだ。
結局、押し切られる。
シャルのことはオユンには、まだよくわからなかった。
夜、ふと目が覚めた時など、シャルはこちらを見ている。彼は魔物なので夜が来るたび、本当は眠る必要はないのだ。おつきあいで寄り添ってくる。
たまにオユンが軽く、いびきをかいていたと、鼻をつままれて起こされる。
あれからも、シャルはオユンに
ごく、まれに夜中にオユンが目覚めて、シャルが寝入っているときがある。
そんなときには、オユンはシャルの寝顔をしばらくみつめる。
彼は魔物だ。
根本的にちがう生き物だ。
自分の
それを忘れないように。
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