18  古銭1枚がひと財産

 換金はやめたほうがよい。

 オユンの直感が、そう言った。

 両替商の愛想笑いの目の奥に、ちろりと欲の熾火が見えた気がしたのだ。


(古銭は、また別の機会に別の人に鑑定してもらえばいいわ)

 まったく急ぐ必要のないものだ。


 シャルのところへ戻る前にと、オユンはハシをみつけて耳打ちした。

「御不浄を貸していただけるかしら」

 そのまま、ふたりは差配人の館へ戻ることにした。館の外側に室内用とは別の、客人用の御不浄の小屋がある。


 そこへ近づいたときだ。

 いきなり子供が走ってきて、ハシの背中に体当たりした。

「ハシさん!」転ぶハシにオユンが気を取られた隙に、その子供に持っていた深緑色のポシェットを、ひったくられた。


(なんてこと)

 オユンは自分の読みの甘さを悔いた。ハシに体当たりされるとまでは思っていなかった。


 両替商と別れてから、オユンは誰かの視線を感じていた。

 狙われているとふんで、わざとポシェットは腰帯の留め具に戻さず、右手に持つにとどめていた。

「ハシさん、大丈夫ですかっ」


「奥方さまは大丈夫ですか……」

 上半身を自分で起こしたハシは、オユンの心配しかしなかった。


「わたしは大丈夫。ポシェットは盗られちゃったけど」

「大変。すぐに——」

「いいの。たいしたものは入ってなかったから」

 オユンは右手でハシの肩を、そっと支えた。

「古銭を入れてらしたでしょう」

「えぇ。でも、彼が欲しがっていた古銭は抜いておいたの」

 オユンは左の手のひらを開いて見せた。その1枚だけポシェットに入れず、握りしめていたのだ。


「あの両替屋さんが、この古銭を見たときに目の色を変えていて。なのに、ずいぶん安く見積もりを出してきたから取引をやめたのだけど。強引な手段に出てきたものよね。来るかな? とは思ったけど子供を使うなんて。あなたを突き飛ばすなんて。ごめんなさい」

 本当にハシには悪いことをした。


「すぐ自警団に捕まえてもらいます」

 ハシはそう言ったが、オユンは否という顔をした。

「たぶん、もう逃げ出してる。それに子供に、ひったくりをやらせるような男よ。深追いしないほうがいい」


「……!」

 それからハシは、立ち上がろうとしてよろめいた。足首をひねったようだ。ハシをオユンは全身で止めた。

「動かないで。誰か!」

 声をあげると、誰かに気がついてもらえたようだ。


「ハシ!」

 しばらくして、ゼスが駆けつけきた。

 ゼスは妻を抱え上げ、館のテラスへと運んだ。


「ごめんなさい。わたしのせいです」

 オユンは追いかけながら、わびた。



 すぐに村の医者だという壮年の男が助手とともに現れた。

氷室ひむろの氷を出す許可を」

「もちろんだ」

 ゼスが即答する。

「魔導士さまに許可を——」


「了承する」

 シャルが駆けつけた。

「けがは足首か。すぐに冷やす。ゼス。奥方の足首をわたしが見てもよいものかな」

「もちろんでございますが」


「めくってくれ」

 シャルの言葉に、ゼスは妻の右脚の靴とひざうえの靴下を脱がした。

 素足になった右足首にシャルは自分の左手を、ぎりぎりさわらないところまで近づけて、かざす。

 ハシの足首に、きらきらと氷が、うすい層になって取り巻きはじめた。

「応急処置だ。あとは熱を持っている間、氷室ひむろの氷で冷やせ」

「ありがとうございます」

 ゼスは礼を言ってハシを抱え上げて、母屋へ連れて行った。オユンは、ずっとテラスに立ち尽くしていた。


「ところで、オユン」

 シャルの声にオユンは、ぴくんとなった。

「差配人の奥方は、おまえのたてになったのではないか」

 きびしい指摘だが、そのとおりだ。


「そうです。狙いは、わたしのポシェットでした」

「村のいちで、こんな不祥事とは由々ゆゆしきことだ」

「申し訳ありません。わたしが古銭を両替しようとしなければ。あのまま、言い値で両替していれば。わたしの、さもしい行動でハシさんを傷つけることになってしまいました」

 オユンは顔があげられなかった。


「……君が悪いというわけでなく、悪い目が出ることもある、ということさ」

 シャルはオユンの前にかがみ込んだ。そして、オユンの灰色の長衣ちょういについた泥をはらった。「けががなくて、よかった」(君に)、シャルは下を向いたまま、息だけで言った。


「ごめん……なさい」

「——ゼスに、まだ大入袋おおいりぶくろを出していないんだぞ。どんな無理強むりじい言われても聞かないわけにいかないぞ」

 そうシャルに言われて、オユンは出かけていた涙が引っ込んだ。



 だが、ゼスは常識の範囲を解する、いい人だった。

 そして、ひったくりの子供は村の子ではなかった。

 両替商は早々に店をたたんで、いなくなっていた。


「申し訳ありません。悪いご縁を結んでしまった」

 サンジャーはオユンに謝罪した。

「ところで、その古銭、みせてもらってよいですか。わたしは、いろいろな商いに手を出していて、古い貨幣については少しはわかるんです」

「はい、これなんですけど」

 オユンは、くすんだ古銭を差し出した。


「なんだ。そんなもののためにゼスの奥方はケガしたのか」

 シャルは、むかついている。


 サンジャーは、その古銭をていねいに見て、「なるほど」と言った。

「めずらしいものです。それに、とある収集家コレクターが探していて、この1枚を持ってきた者に土地財宝、望みの物を与えようと豪語しておりましてな。両替商界隈りょうがえしょうかいわいでは有名な話です」

「えぇ! こんな古銭1枚にっ⁉」

収集家コレクターとはそういうものなんです」


「へぇ。では、オユン、褒美をもらってくるといい。誰なんだ。その物好きは」

 シャルの興味をそそったようだ。


金杭アルタンガダスの、とある貴族さまです」

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