17  しっかり者が引き寄せる災厄

 差配人の妻ハシに、「市で売っているものをひとつ、魔導士さまに買ってもらえる」と、伝えられた村人たちは色めき立った。


「オレんとこの赤ん坊も数に入れていいか!」

「いいんじゃね!」

「ぼく、おちゃけが欲ちいでちゅ」

吞兵衛のんべえに酒はダメ、だそうだ」

「先手、打たれてんのか!」

「魔導士さまが御納得されれば、お買い上げしていただけるってこった」


「いらっしったぞ!」

 どよめきがあがる。

 魔導士夫妻がいちの会場に現れた。


 銀の髪の魔導士が奥方の右手を取り、寄り添っている。

 魔導士にくらべると小柄な奥方の姿を拝見するのは、ほとんどの村人が、はじめてである。ダークブロンドの髪と茶水晶を思わせる瞳の奥方は牝鹿めじかのようじゃないかと、誰かが言った。


「ねぇ。シャル」背伸びして口元をかくしてオユンは魔導士に、ささやいた。「お財布の中身は大丈夫?」

氷結ひょうけつの魔導士の財力をあなどってもらっては困るな」

 身をかがめたシャルは、涼しい顔だ。



 オユンは銀針ムング・ズーいちに行ったことがある。

 1回につき1ヵ月は執り行われる大掛かりなものだ。

 市場の近くに専門の宿が設けられ、護衛の兵が街道や市場に配置される。

 監視官や公証人もいる。両替商や金貸しも臨時の店を出す。


 この村のいちは、それに比べたら、ごく小さな規模だ。それでも、村の自警団とおぼしき男たちが見回り、いちの設置に携わる役目の者たちがいる。広場の真ん中には支柱を地面に打ち込んだテントが張られていた。そこには草木染の絨毯じゅうたんが何枚も敷かれ、休憩場となっていた。腰を降ろせば、ぐるりと行商人のテントを見渡せる。

 オユンとシャルは、そこに腰かけた。


「あの、これ、いいですか」

 ハシが真っ先にやってきた。

 手鏡を持っている。彼女の欲しいものは手鏡だったのか。

「了承する」

 シャルがおごそかに言い渡した。

「あ。ハシさん。店に後払いの約束で買い物したってことですよね。控えはもらっていますか」

 オユンは心配になって、たしかめた。


「はい。書いてもらいました」

 ハシは、手のひらほどのメモを差し出してきた。

「それは、こちらで保管しますね」オユンが受け取る。「すてきな手鏡ですね」


 ハシは真鍮製しんちゅうせいの優美な細工がされた手鏡をオユンに見せてくれた。

「細工がきれいでしょう? ずっと、憧れていたんです。手鏡は持っているから、ぜいたくでした。あきらめていたんですけど」

 本当に、うれしそうだった。



 ハシの次に母子が三つ商品を、シャルに差し出してきた。

「ひとり、ひとつだぞ」

 シャルの指摘に母親は、にんまり答えた。

「おらのはらに子がおるで」

 たしかに女の腹は丸みを帯びていた。


「了承する」

 その言葉に、まわりが、わっとわきあがった。

「じゃ、オレも未来の嫁と息子の分をっ!」

「却下」


 オユンは村人から、商品の後払いの証書を受け取るのに専念する。

(失くしたら大事おおごとだわ)

「誰かー。木箱か何かありませんか」


「ちょうどよいの、ありますよ。手提げ金庫です。鍵付きです。銅貨3枚のお値段です」

 行商人のひとりが手を挙げた。

「まけてください」

 強気でオユンは交渉する。

「じゃ、銅貨2枚で」

「ありがとう」


「オユン」

 シャルの注意が入る。

「値切ってはいかん。むしろ色をつけてやれ」

「そんなええかっこしい。総額いくらかかるかわからないのに、できませんよ」

「——ええかっこしいだと」

 シャルは、むっとしたようだ。

「はい。色をつけるより、次回も買い物すればよいのでは。もしくは、商品の改善点を伝えてオーダーをかけるとか」

「次回、オーダー」

「だめでしょうか。そういう考え方は」

「金庫をオーダーするのか」

「金庫は、そんなにいりませんね」

「あぁ、でも、このたびの婚姻の記念として手提てさげ金庫に、わたしとおまえの名前を刻んで親族に配ろうか」

「なぜ、いちばん迷惑そうなものを思いつくんですか。——あ、ごめんなさい。次の方」

 次に並んだ老人の手には虫眼鏡だ。

「了承する」

 シャルも役目に戻る。



「奥方さま。早めのお昼になさいませんか」

 しばらくして、ハシが油紙にくるんだ揚げパンをかごに入れて持ってきた。揚げパンは紐のように編んでねじって細長い形をしていた。

いちの名物、〈ねじねじ〉ですよ」

 飲み水まで水筒に用意してくれている。


「ありがとう。あ、サンジャーさん、ご商売は?」

 サンジャーがいたので、座ったままオユンは手を振った。

「わたしは、今日は魔導士さまの御用だけでしたので。ゆっくりしています」 

「それで両替商は、この市に来ていますか」

 オユンは大事なことを思い出した。

「兼ねている者はおりますですよ」

「古銭を見てほしくて」

 食堂の壺に入っていた古銭を何枚か持ってきていた。

「あとで連れてまいりましょう」

「お願いいたします」


 ちらりと、オユンはシャルをうかがった。シャルの了承を得たい村人の列は途切れない。休憩する暇はなさそうだ。

 気になりながらも、オユンは揚げパンを一口かじった。香ばしい油であげた外側には塩気が、中の白いところは甘みがある。よい植物油で揚げたのだろう。おいしい。あっという間に、ひとつ平らげてしまった。

 それから行儀が悪いのは承知で、揚げパンのかごを手にオユンはシャルの側に戻った。

「……あるじさまも、お昼になさっては」


「この状態で、そういうわけにいかぬだろう」

 シャルは、きびきびと仕事をこなしていた。

「わたしは少々、絶食しても大丈夫なんだ。魔族とは、いろいろとタフで——」

「少し食べてください」

 オユンはシャルの言っていることを無視して、籠の中の揚げパンに手を伸ばした。そして、ねじねじの下部分を油紙でくるんで、「はい、あーんしてください」と、シャルの口元に差し出した。


「……」

 シャルは秒ほど戸惑い、ねじねじに頭部を傾け、ついばむように食した。


 ざわ。

 まわりの村人がざわめいた。信じられないものを見たという顔だった。

(あーん、だぞ)

(あーん)

(魔導士さま、あーん)


「オユン、おまえ……」

 シャルはうつむき、細かく、ふるえた。

「……このような公衆の面前で、このような破廉恥はれんちな振る舞いを、このシャル・ホルスに強いるとは」


「え?」

 オユンは自分が何をやらかしたのかわからなかった。


(とっとと失せろ! この破廉恥女はれんちおんな! って、今、言われるのっ)


「あ」シャルが軽く口を開けた。固まっているオユンに、その碧眼へきがんが命じた。

「あーん、だ! 早くしろ!」

「はっ、はい」


(失せろ! じゃなかったっ)

 


 シャルに揚げパンを1個、食べさせ終わったところで、サンジャーが老年の男を連れて来た。

「奥方さま。両替商を連れてまいりましたよ」


 オユンは、腰帯にホックで下げていたポシェットから古銭を数枚取り出した。

「これ、どれほどの価値かと思いまして」


「どれどれ」

 両替商はしわだらけの手を古銭にのばした。懐から虫眼鏡を取り出す。

「どれも古い時代の物ですね。市場では使えませんが、収集家コレクターがおりますのでね。よい値段でお取引できますよ、ん」

 虫眼鏡で古銭を拡大していた両替商の声がひっくりかえった。


「——まとめて、このくらいのお値段でいかがでしょう」

 両替商はメモ用紙に価格を書いて、オユンに差し出してきた。

「まとめて? ひとつひとつ評価していただけますか」

 古銭は5枚あった。

 オユンは1枚1枚を手に戻しながら両替商の顔色を、それとなく見ていた。

 あきらかに、ある1枚に固執していると見た。


「そう。今日は換金はやめておきます」

 ゆっくりと古銭を自分の深緑色のポシェットに戻した。

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