16  市の日

 村のいちの日だ。朝日が昇るのも待ち遠しく、村まで10分の丘にシャルとオユンは降り立った。

 結局、市には、ふたりで行くことになっていた。


 あれから、オユンは「互いの話を、しませんか」と、シャルに願い出た。わかり合うためにだ。シャルは、うなずいて約束してくれた。


いちは別名、氷室ひむろの市というんだ」

氷室ひむろ。氷の保存庫ですね。シャルに関係が」

「そう。以前、大ヤム・チャールが村ごと凍らせてやると約束して」

「約束」(恐喝?)


「村に氷室ひむろの塔を作ったんだよ。貯蔵した氷を夏場、売って村がうるおうように」


(まさかの人助け!)


「他の地の領にも氷室ひむろはあるが、わたしの加護が入った氷は溶けにくい。溶けた氷すら、飲むと二日酔いに効くって評判なんだ」


(まさかの優良団体!)


「ごく限られた商人しか知らない村だ。村は適正価格で氷を売っているけど、そこから、だいぶ上乗せして商人は売っているようだ。まぁ、その気持ちはわからないでもない。山道を何日もかかって登ってきて、帰りは氷をわらに厳重にくるんで、岩山羊いわやぎに積んで山道を降りる。なかなかに難儀だから」

「行商人は村にない品を持ってきてくれるんですよね。それは高値を要求されたりしないんですか」

「そんな足元を見られるような取引きはしない。粗悪品を売られたら、すぐに村への出入りを禁止する」


 オユンは靴底に、ふんわりと緑の芽吹きを感じながら歩いた。

 この前、村に来たときは岩と土だけだったところに、紫の小さな花が咲きはじめていた。

「この花は?」オユンが見たことのない花だ。銀針ムング・ズーの植物図鑑にも載っていなかった。


春告げの花ヤルグイだ。この花が、いちばん先に咲く」

 シャルが黒い長衣ローブから左手を伸ばしてきた。

 オユンの灰色の長衣ローブの中の右手を探し出して、繋いでくる。


(こんなに大人でも手が繋ぎたいの?)

 オユンより大きな手のシャルの5本の指に、ごていねいに1本ずつの指を絡め取られると、オユンの指と指の間が広がった。

(この男は、わたしの今まで使っていない筋肉を使わせる)


 じわじわとしびれるような何かが、心を侵食してくる。それが、たまらなくて、「シャルが小さかったときって」と、オユンは、あらぬ方向を見て話題を変えた。

金杭アルタンガダスが台頭してきたころかな」

 だいぶ昔だ。


 子供のころの話が聞きたいと言ったら、こんなふうだ。シャルたち魔族にくらべたら人の生なんて、朝生まれて夕べに死ぬカゲロウと同じだろうか。


「オユンの幼かったときの話をしてくれ」

 シャルに促されて、どこから話そうかと考える。


「わたしは、赤ん坊の時にツァガントルー父さまの養子になったんです。きょうだいは、いちばんいたときで、15人いました。ほぼ、子犬のように、みんなで野山を駆け巡ってました」


「きょうだいが多い」

「えぇ。ボールあてっこをするには、よい人数でした。大縄跳びも余裕でできます。わたしたち、領地の祭りで百回、跳んで、この記録はまだやぶられてないんです。シャルは? きょうだいは」

「兄がいたけど。父といっしょに死んだ。魔物と人間、魔物と魔物、混在して戦っていた時代だったから」

「……」

 のんびりした話にならなかった。


「幼かったせいか実感がない。それで、祖父である大ヤム・チャールが育ての親となり、死期を悟った彼は孫のわたしに花嫁を用意した。そして、君に大迷惑をかけるに至るわけだ」

 ここにいたってシャルは、オユンの身に起こったことを大迷惑と言ってみせた。

「昨晩も気絶していたし」

「それは」

 迷惑とは思っていない。



 まず、ふたりは差配人の館に向かった。

「奥方さまの御用向きは家内ハシがお手伝いします」

 ゼスが満面の笑顔で出迎えてくれた。


 村の広場では行商人たちが各々の天幕を張って、店開きの準備をしている頃だろう。シャルは、一足早く市を冷やかしに行くのかと思ったが、オユンについてくる。「無駄使いをせぬようにだ」と、義務であるという顔をした。

 今日は、母屋おもやの広間に入った。低めのテーブルと低座の椅子が、いくつも置かれていた。壁のぐるりも、腰をおろせるベンチのようなしつらえになっている。


「奥方さま」

 ハシが、すでに待機していた。えくぼは健在だ。隣にいる、こざっぱりした身なりの男が行商人だろう。

「こちらが、サンジャーさんです」


 紹介された男は過不足ない礼をした。日に焼けた山男だ。

「何でも屋とお呼びください。わが商品が御眼鏡にかなえば、よろしいのですが。役立ちそうなものをお持ちしました。生地やくし、日用品などを」

 低座の椅子に腰かけたオユンの目の前のテーブルに、商品をひろげていく。


「このくし水牛すいぎゅうつのですか」

 オユンはミルク茶のような色のつやのあるくしを手に取った。前に愛用していたのも水牛すいぎゅうつのくしだった。乾燥する季節にもつの製のくしは静電気が起きない。

 そのくしは短い持ち手に、鳳凰ほうおうにしては素朴な鳥を彫刻したものだ。5本ほどくしはあったが、自然の色味でどれひとつ同じ色調がない。オユンはひとつひとつを夢中で見比べた。灰色寄りの茶色の1本に決める。


「サンジャーさんの商品は質がよいの。きっとお気に召すわ」

 ハシは他人の買い物ながら、わくわくしているようだ。

 木彫りの枠の手鏡をオユンが手に取ったときは、「それ、わたしも持ってます」と思わず言っていた。


 サンジャーの目利きはたしかなようで、「ブラシは猪毛いのししげ豚毛ぶたげがございます。やさしい使用感をお好みなら豚毛ぶたげを。硬い髪質や、くせがある方は猪毛いのししげをおすすめしております」と、説明もよどみがない。

 オユンは豚毛を選んだ。


「それから布地です」 

 サンジャーは、たたんでいた布地をテーブルにひろげた。


 オユンは生成りの布地を手に取り、感触をたしかめた。わしわしとした感じだが、リネンは洗たくを繰り返せば、やわらかくなる。

「これは、しっかりとしたシャツに仕立てられそうですね。糸も、ありますか」

 オユンの問いかけに、サンジャーという男は、ごそごそ、脇の鞄の中を探す。

「はい。細いが丈夫な糸ですよ」


 黙ってやりとりを聞いていたシャルが、口をはさんできた。

「何か作る気なのか」


「えぇと。厨房着ちゅうぼうぎですね。わたしと家令さんの。家令さんのはひじの部分がすり切れていたので」

「わたしのは」

 シャルの碧眼へきがんの光が鋭くなった。


「シャ、あるじは厨房に入らないでしょう」

「入る」

う、そ

「入る」


 まだ何か言いかけたオユンを止めたのは、サンジャーだ。

「奥方さま。あるじさまには、こちらの生地がお似合いかと」

 青みがかった灰色の生地を差し出してきた。

「そう、そうね! 魔導士さまの銀の髪によく映えますわ!」

 ハシも、こくこく、うなずいた。


「じゃあ、その布と、この布をもらう。さっきの櫛とブラシ、それとそれも——。あと、そのガラスの瓶に入っているのはなんだ?」

 シャルはテーブルに並べた物の中から、小瓶を指さした。


「薔薇水にございます。肌をととのえたり、香りを楽しんだりいたします」

「それももらおう」

「無駄遣いじゃないですか?」

 オユンは押しとどめた。


「こんな山奥までガラスの瓶を割れぬように持ってきてくれたのだぞ。また持ち帰らせるなど、できぬだろう」

 シャルに言い返された。


「そのようなことを言っていただけるとは」

 サンジャーは破顔した。

「でしたら、嵩張かさばる布地も、また持って帰るのはつらいのですが」

「置いて行け」

「毎度あり」


「無駄遣いじゃないですか!」

 オユンはあきれた。


「布地は使える。村の女たちにやってもよろこぶだろう。ほら、大入袋おおいりぶくろをやると約束した」

 シャルの言葉に、「えっ。いただけるんですかっ」、ハシが目を輝かせた。


「ゼスの奥方。お前なら何が欲しい?」

 シャルは、ハシの意見を参考にしたいらしい。

「そうですね……」

 ハシは視線を落とした。

 

 ハシの欲しいものは、テーブルの上にないようだ。

 オユンは、「今日のいちにあるものでも?」と口をはさんだ。

「そうだな」シャルは同意した。「ただし、金で買えるものだぞ。『あなたの真心を』、とかはなしだ」


 オユンは、ハシとサンジャーの顔をたしかめた。

(うん。困ってる)


「それから分不相応なものもなしだ」

「たとえば?」

呑兵衛のんべえのだんなに酒とかはダメだ。欲しいものでなく必要なものだ」


「みなに言って来ますねっ」

 ハシは自分のお役目を忘れて、館の外へと走って行った。

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