15 死んだことにされた
夜中に帰って来たシャルはオユンの実家に行ったと、たしかに言った。
「ツァガントルー領に行ったの⁉」
奥方の間の寝台で、オユンは跳ね起きた。
「
シャルは寝台の側に立ったまま、平然と答えてきた。
「いきなりですか!」
「いや? ちゃんと呼び鈴を鳴らした」
「それを、いきなりと人は言いますけど?」
「『このたび、娘さんをさらいました魔導士のシャル・ホルスです』って言ったら、驚いていた」
それはそうだろう。
「何をしに」
オユンは、ぎゅうぅと胃が痛くなってきた。
「
たしかに。
「違約金は発生していなかった。オユン・ツァガントルーは砂漠で魔物に襲われた。
「し死んじゃったの、わたし」
想定外だった。誘拐されたと捜索しているのではと期待していた。
「
「だから」
「オユンは死んだことにしておこうって。
いつの間に、おとうさん呼び。
にしても。
「そうだった。ツァガントルー父さんって、けっこう計算高い人だった……」
オユンは両の手で顔をおおった。
「娘思いの人だと思ったけど」
「どこがですか」
「オユンが
「最後、金の話になってません?」
「このことは
約束という言葉を、飴玉のようにシャルは舌で転がした。なんて約束が好きな男なんだろう。
それから数日を、オユンは気が抜けたように過ごした。
宮廷家庭教師オユン・ツァガントルーは、魔族の男に襲われ、ひとかけらの遺骸も残さなかった。
「わたし、生きてますけど~~~」
オユンは城の窓から山脈に叫んだ。
ますけど~、ますけど~、と、こだまが返ってきた。
「おまえは一度、死んで息を吹き返したのだ」
オユンのうしろでシャルが、ほほえんでいた。
「ウルグンを祖とするシャル・ホルスの妻。それが君の新しい名だ」
そうして、ひざまずき、オユンの左手の薬指にキスをした。
その冷たい吐息に、さっと手をオユンがひっこめたときには、きゃしゃな指輪が左手薬指にはまっていた。
「約束しよう。
「大真面目に言ってますけど、おかしいです」
シャルはオユンの両手をとった。
その両手の甲に、キスの小雨を降らす。
ぱちぱちと冷たい泡がはじけた。
(この男は魔族だ。魔法をあやつる魔導士)
見た目は好ましいとも思える。しかし、精霊と同様、自分の見たいように見えているだけではないかという恐れが、なきにしもあらず。
それなのにシャルから目を離せなくなっていく自分が、オユンは、いちばんこわかった。
(自分の精神は今、とても不安定じゃないか)
オユンの不安に揺れる心を知ってか知らずか、シャルはオユンが手を引っ込めなかったので、ぐいと引き寄せて、その腰を抱いて今度は首筋にキスを落としてきた。
さすがに、敏感な場所はかんべんしてほしい。
身をよじったオユンに、やり過ぎたと悟ったシャルは、おとなしく引き下がった。
(わたしはどうしたい?)
自分の積み上げてきた人生に戻る道は断たれた。それをやったのは、今、目の前にいる、この男だ。
忌々しい。なのに。
(そのくちびるに、わたしはキスしたくてたまらない)
少し、爪先立ってオユンはシャルの胸元にしがみついた。
キスは届かなかったが意図は届いた。
シャルは今日いちばんのほほえみを浮かべて、オユンの
(ええぃ。生き直すだけよ)
オユンは流されているのか。
はたまた、自身で泳ぎ出したのか。
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