二〇二四年二月一五日

 この日、夕方勤務の相方は浜迫さんだった。

クルーズ船がショッピングモール付近に寄港していたが、一八時出航のため自分が特定の団体を捌くことはなかった。

 しかし、外国人観光客は、クルーズ船がすべてではない。レンタカーにて福岡経由、新幹線もしくは長崎空港まで飛行機にて。長崎が第二の被爆地であり、原爆資料館がある限り、中途半端な地方都市に旅行者が集まる。

 その帰りに日本初アパレルショップの紙袋を提げ、ついでに和菓子も体験しようと陳列台に顔を近づけた。中国語圏や韓国の訪日者はみたらし団子またはきな粉団子を、イチゴ大福の在庫が四個以上あればまとめ買い。種類は限られているが、先方にすればあくまで異国の食べ物。あやふやな情報をもとに金を出してまで購入しようとは思わないのが自然なことだ。自分は未だに国外に出たことがないが、先方と同じように不明点が解決するまでしつこく尋ねるだろう。

 案の定、自分が中国語話者に英語で対応することになったが、英語が少々苦手な様子だった。自分も簡単な中国語ができたが、和菓子の説明という専門知識までは学習が至っていなかった。その間に消費者の列が出来上がった。結局浜迫さんにパッキングを手伝ってもらう羽目になり、自分はレジ業務に徹した。

 列を捌いている間、一度だけ上から視線の圧を感じた。自分との身長差の問題ではなかった。この後何かが起こると察したが、それが自分の自尊心の一部を捨てる理由になるとは思わなかった。

 ピークが終わり、消費したパック容器の補充や棚のきな粉を掃いていると、浜迫さんが口を開いた。

「私、初老の女性客から言われたんだけど。『あんな従業員外国語が話せる瀬谷さんがいて可哀そうね』って」

 理由を聞くと、自分が外国人に対して外国語で対応したのが良くなかったとのことだった。

「あの店」からすれば、常連の日本人客をより丁重に扱わなければならない。

その考えには同意だが、通じもしない日本語で無理やりこちらの意見を通すのもいかがなものかと思っていた。自分が完全な中国語を話せないばかりに、周りに迷惑をかけているのは自覚していたが、胃がざわついた。

 それ以来、自分は田下さんに頼まれても外国人に対して外国語にて対応しなくなった。

 同時に、外国語しか取り柄のない自分の価値を否定されたように感じ、販売スペースに立つたびに息が苦しくなった。一つの箱の中で調和を取って生きることには、幼いころより違和感があった。それでもショッピングモールに収まっているときほどではなかった。バイト先の飲食店も別のショッピングモールに入っているが、あくまで飲食店。食材の賞味期限管理は正社員が担当、厨房係はあくまでホール係が受けた注文品を衛生的に正しく提供をするのみ。自分はホール係が下げた器や厨房係が使用した道具を正しく洗うのみ。仮に賞味期限を理由に食材が廃棄されても、自分が見えないところでの行いに心が痛まなかった。また飲食店の厨房は各持ち場、忙しい時間帯が異なる。手が空いているときには積極的に休憩を取っていたので、自分は昼のまかないの残りものや同僚の差し入れを甘んじてつまみ食いした。

 そんな自分が規律のある世界に適していないことが、心の片隅で悔しかった。ガイド業が最も適していること、外国人のフィーリングに共鳴できる感性に誇りがあったものの、無意識に日本人という枠に囚われていたのだ。

 自己否定と肯定の狭間で、心が先にショッピングモールから離れられた出来事が後日、起こった。

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