二〇二四年二月一四日

 イチゴ大福の旬が終わりかけていた。個数セット割引、最大三割引の単品販売のどちらにおいても、イチゴ大福のみで廃棄数が六十個を超える日が続いた。とくにバレンタインデーが近づくにつれ「あの店」の隣のチョコレートフェア会場に流れ込む消費者が増えていた。対する「あの店」はチョコレートソースを乗せただけの団子や生チョコレートソースが入ったイチゴ大福など、明らかにウケ狙いを理由に、陽キャの男性が一個購入する程度だった。

 彼らにも愛想よく対応して売上数字を積み重ねていたが、自分は相変わらず味覚が完全に戻っていなかった。「何かしら話題になるかもしれないですね。インスタにアップしたりしたら、なおさら」などとしか言えなかった。

 隣の催事場からチョコレートの香りが粒あんおはぎの繊細な香りを掻き消してきた。胃を貫通する香りで、ある程度の味覚を予想できたが、自分は金を出してまで食べようとは思わなかった。バレンタイン用なので包装代が販売価格に含まれていたからだけではなかった。味覚が戻り、チョコレートを食べたいのであれば、国内メーカーの板チョコをスーパーにて七〇円以下で購入すればよかった。自分は幼いころより、外見にこだわったチョコ菓子よりも、シンプルな板状のダークチョコレートの方が、何倍も芳醇なカカオを感じられた。しかし現時点、まともでない舌で無理して味わおうとするほど傲慢な自分ではなかった。

 閉店作業までの間、自分は陳列台やパック容器収納棚をダスターとアルコールスプレーで消毒して時間を潰した。製造担当の田下さんは翌日に販売する「大福」という名の各種商品の準備をしていた。冷凍庫から取り出し、べたつき防止の白い粉を掃き除くだけでも四〇〇個越え。「終わらない、終わらない」と呟きながら素早く手を動かす彼女から意地を感じた。仮に、既に提出した自分の退職願を取り下げたとしても、彼女は自分に翌日の準備を手伝わせないだろう。浜迫さんも同じく。

 会社の目標達成への献身という共通認識のもと、枠からはみ出た行動を拒む。それが同情や親切心によるものであっても、だ。彼女たちの自尊心を守るには、それしかないと教わっていたのだろう。

 対する販売担当の自分は、列に並ぶ消費者を待たせること、言い換えれば自分がされて嫌なことをしたくないがために「あの店」基準の自尊心を容易く捨てていた。お願いします、と背後に向かって大声を上げ、自分はレジ業務に集中する。外国人が列に並んで商品の説明を求めれば、自分がパッキングに回り、田下さんにレジ業務を代わってもらった。同僚に頼るという点において、自分の基準は「あの店」の自尊心という枠から大いに外れていた。

 自分がされて嫌なことは決してしない。

 相手が望んでいることに可能な限り応える。

 どの仕事でも、公私問わず貫いていることは、自分の大きな財産であり、自分の自尊心の基盤である。ピーク語に重い空気が流れようと、背後から忙しいという声が絶えず聞こえても、自分が気にするところではなかった。

 しかし、自分は日本国籍の日本人という枷のために一つ、プライドを捨てることになるとを予想もしていなかった。

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