二〇二三年八月二〇日
国外エージェントのオンライン面談を受けるごとに血圧は微々ながらも下がり、つぶあんの甘みを舌が感じ取るようになった。それでも自分はわずかな甘味に浸る暇もなかった。その忙しない時間さえ、心躍るものだった。もし国外にて本職を得られれば、長崎にある「あの店」への通勤は地理的に不可能だ。ガイドの仕事ならば、土地勘さえあれば経験でカバーできる。しかし「あの店」とまったく同じ社風や思想が世界中にあるとしてもかなりの少数派だ。国内ならば日本人特有の雰囲気は業種問わず各地で存在し得るが、日本人以外が主な生活要員である国外では、湿り気のある意見が通るわけがない。「あの店」さえ抜けることができれば、ストレス解消にすらならない消費から逃れる。他の資金を副業になるかもしれないガイドのリサーチ費用、国外への転居費に充てることもできる。とはいえ、自分はまだ在籍中の身であるため、時差を考慮したオンライン面談に応じることのできる時間帯が限られていた。より身軽になるため、マレーシアの企業から内定をもらうよりも先に、田下さんに打ち明けた。
「え、じゃあここのシフトはどがんなると?」
第一声がそれだった。後に浜迫さんにも告げたが、田下さんと同じ反応だった。シフトを管理する立場としては納得する態度だったが、自分がこけし型の駒と見られていることは愉快ではなかった。後日『年末年始もシフトに出られるって言うから採用したのに』と癇癪を起されても、浜迫さんがシフト作成によって自分の経済状況の改善に助力してくれるという保証を見いだせなかった。それでも、自分は数か月も退職実現を待つことに甘んじてしまった。ガイドの依頼がない日には「あの店」での勤務前に、別の単発バイトにて体力と気力を消耗していた。浜迫さんの理屈に反論するのも面倒だった。
「会社に働かせて『いただいている』のよ」
「私に恥をかかせないで!」
頭ごなしに訴える人にはなおさら、自分の意見を受け入れてもらうことが難しい。理解してほしいとまで願ってなくても、だ。自分には大人になれ、と言うが、それほど勤務先を敬愛する必要はないだろう。自分を人生の軸に置くのは大人のやることではないと、遠回しに言うことが大人の正解とも思えない。
どう応えても自分は未熟な子どもと認識される。また、自分は勤務先を人生の軸に置くことに抵抗がある。少しでも自分の人生を歩むためには、他者にとって「未熟な子ども」であることも甘んじる必要がある。とはいえ、自分は退職の意思を受け入れてもらうのに辛抱強くならなくてはならなかった。副業としてのガイド、本職への転職活動、言語学習、自分の健康向上、そして不適合な職場の切り捨て。どれか一つでも時期をずらして力を緩めないと、自分の精神が持たなかった。
この日もショッピングモールにて精力を吸い上げられ、乾いた心身で帰宅した。
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