二〇二三年七月一日

 この日、本来自分は完全オフだった。そのオフに、自分はわざわざパジャマを脱ぎ、着替え、JR在来線の通勤定期券を改札口にかざしていた。このディズニー柄のパスケースはディスカウントショップにて一目惚れして購入したはず。それなのに、今ではこのケースを見るたびに仕事だということを思い出さざるを得なかった。

 自分は未だに、準アナログ式のレジ端末に慣れていなかった。購入者がクレジットカードもしくはショッピングモールのプリペイドカードにて代金支払いを希望の場合、レジと未連携の端末にて決済を行う。その際の金額は手入力。決済完了後、レジにて決済済みとして登録する。この仕組みのせいで、自分は閉店後、生産するたびに鼓動が激しくなる。

 プリペイド機能の残高不足のため一時的な支払方法キャンセルが発生すれば、閉店時間を待たずとも、暇さえあれば中間点検にてレジ画面を睨んでいた。支払いを中止しても、入力した金額分の残高が自動的に引き落とされるからだ。その後別のクレジットカードもしくは現金にて支払いすれば、その分、各種決済方法の合計金額に誤差が生じる。そうなれば取引明細をすべて調べなければならない。地獄はそれだけで済まなかった。

 翌日、ショッピングモール社員である経理担当者の勤務時間内に事務処理にサービス出勤しなければならない。言葉通り、制服を着て営業室に入っても、給料は一切発生しない。交通費すら支給されない。端末の記録によりショッピングモール発行顧客番号を特定してもらうためだけに、次長クラスの社員にこうべを垂れる。しかしテナント従業員が知り得るのは始末書兼提出書類に記載されたその番号のみ。営業室を退室、モール社員が営業時間内に常駐するサービスカウンターへ書類を持参。そこでようやく商品購入者へ電話をかけてもらえる。この時点においても、相手の名前や電話番号を一切知らされない。個人情報保護法に則れば当然ではあるが。

 購入者が電話に応じ、テナント従業員である自分に代わらせてもらうと、第二戦が始まる。電話越しでも首から腰までの上半身が曲がるほど、謙虚かつ卑屈な精神で購入者に謝罪。二重で引き落としてしまったプリペイド残高を現金にて返金、そのため都合の良い日に来店してもらうことを提案。幸い、退社するまで自分が担当したどの購入者も、穏やかな口調で提案に応じてくれた。腹の中で何を思っているかまで知る権利はないが。自分はただ、緩やかな波長に乗り、来店予定者の名前と連絡先を聞き出すまで。そこで初めて、購入者の個人情報を「あの店」にて共有する。購入者の同意を得ているので、個人情報保護法に反しない。

 それから購入者が後日来店予定である旨と、深い謝罪を込めたメッセージを「あの店」のグループラインに投稿。そして更衣室にて私服に着替える。着替えたらそそくさと従業員出入り口に向かい、入館証提示、手荷物検査を受ける。バッグの中身をすべて見せなければならない。しかも、防災センター勤務スタッフの頭上に設置されている監視カメラに映るように。

 再び青空を見上げるまでに払った犠牲は定期券の使用、JR駅からショッピングモールまでの徒歩という労力、首から上半身全体の筋肉と骨のライン、健康的な精神、ラインメッセージ送信時のギガ消費、プライバシーの侵害、そして喉の渇き。

自分は水筒に入れていた麦茶を一気に飲み干した。失ったものを体内に補うかのように。

 せっかくの晴天、休日を完全に自分の時間として過ごしたかった。この後市立図書館にて書籍を限度の十冊借りたが、JR車内の座席に腰かけると、一冊すら開く気力が失せていた。

 その後一度の貸出期限一四日以内にすべての本を読破し返却したが、自宅でじっくりと読んだのはわずか一冊だった。残りの九冊は通勤中、JR車内で読んだ。夕方の出勤時は学生から漂う汗の酸味臭に鼻孔を貫かれ、帰宅時は飲み会帰りのサラリーマンの口臭に侵されながら。自分は酒も好むが、思考がグダグダになるまでは飲みたくない。公の場ではなおさらだ。それと同じくらい、自分は売れ残りの和菓子を自腹で買い、腹を満たすことも、自分を戒めたくなる行為だった。

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