~輪舞曲(ロンド)~(『夢時代』より)

天川裕司

~輪舞曲(ロンド)~(『夢時代』より)

~輪舞曲~

 ローソンを左斜め前方に見て、右手にはY高等学校が在り、小鳥が上空でチチュンチチュン鳴いて居た、或る麗らかな春の日の事で在る。私はもう高校生では無く、社会に出て働かなければ成らない一般的に見て〝大人〟と言われる部類の内に属して居り、もう悲しい哉、今右手に持って居るコンビニの袋の中身は心地良くピュアな、あの頃の活力を俺の為に与えてはくれず、俺は未だ悶々として居る。今、女子高生が何人か群れを為し、しかし各一人きりで、銀色に光る自転車を内の一人が押し、ゆっくりと漫ろにこちらへ向かって来るのが見えて居る。どうしてああ女子高生という奴は人がこんなに、こんな事で悶々として居る時にあんなに楽しそうに呑気に生きて居られるのか、と踏ん反り返る気持ちで少しばかりの空虚を身に締める訳だが、これぞ束の間、俺は又、社会でやって行く為にと奮闘して、精一杯の努力の下であの女子達を見る事に成る。こんな破目を何故に放って置いて阿亀(おかめ)達は私の元へとやって来るので在ろうか?これ迄幾度と無く涼風溢れる歓喜の歌声を漫ろに私の快楽の為にと、この心中のフィールドに木霊して来た先人共の顔と真摯が目に焼き付くが、映るが、僕は美談を吐く程の箴言さえ持ち合せて居らず仕方なく苦力(クーリー)の内実に落ち着いて一頻りの苦労と、水遊びをやって居るのだ。太宰治がこの前の晩、私に直向きの心体を与える為に軽い演説をして来た様だが私は又、未だ、この身の上の蠅を追っ払う事が出来ずに燦々とした苦労人の内に唯この身を沈めて居る。自分の万世成る黄金の声を掻き消し鎮める狂いの心象に身を歪めつつも、やっぱり未だに私はこの身を浮き上がらせ切れずに居る。この心中に瞬時毎に湧き上がっては消える様にして(きっと)残って居て、又その事毎の破片が自活で変容し私から遠退いて行く華厳に私は一体、何が出来ようか。何処まで行けば私はこの心の文句を全て白紙に写す事が出来るのか。又果して、この文句を続けなきゃ行けない位に、私は永遠なる努力を義務としてでも果して行かねば成らないのだろうか?終ぞ止まぬ疑問の数々を遥か空へと放りながらやっぱり私は未だ、あの子達を怪訝そうに鬱陶しそうに、嫉妬しながら黙って見て居た。今日、麗らかな陽がこの心中に迄差し込もうとする春の日の事で在る。(数々の良文が一言にして烈火の如く燃え上り、その嘲笑に見た数々の深淵成る快楽と無様とを切り捨てながらもきっと俺はもう、山上の彼方からこの山々を見て居る。人の山々で在る。街並みの溢れる人の情熱、情感。恩師達が凶暴な悪魔と共存するこの町を、未だ俺は見知らぬ雲に乗って眺め、見下して居る。)野寺坊がふと俺の元へ来て、何やら箴言めいた話をこの様な言葉を以てほざいて消えて居た。

「妙に良い格好しいだからお前は迷う事にも成るのだ。得てしてこの頑強成る漆喰に彩られた遍路の上を宛ら火の鳥の如く歩んで行けば、お前は何の屈託の無い春の雨にさえ強く成れるだろうに、惜しいものだ。非常に、惜しいのだ。此処へ来た数々の文人達はもうお前から遠く、遠ざかって、今頃は何処かで軽く茶等しばいて居る事だろうが、お前は未だその境地へすら辿り着けて居ないので在ろう。厄介だナ。厄介な事だネ。この俺を見給え、あの野の百合程も着飾って居ないのに、ほれ、お前の何時か見たソロモンの栄華を既に誇って居るぞよ!お前もこれ程に成りたければ、〝黒のエチュード〟で見知った拙い練習曲を恰も観衆の前で弾きながら陶酔するのは止めて、少しばかりの小銭でも稼ぐが良い。それがきっとお前の為に成る。

 あの白山の麓から鳴く鹿の声が聞えるかい?あいつはお前に〝寂しい〟と言って居るのじゃ無く〝俺のこの声が聞えるかい?聞えたら合図でもして又俺に知らせてくれ〟と叫んで居るのじゃよ。きっとお前は今迄、気付かんかった事じゃないかナ?ふん、もう他の皆は誰だって気付いて居るぞよ。頃合い見計らった頃にこうして高山から人が下りて来て今の様に震える声でお前に話すのだよ。見知った口を利くでない、と。さも無ければお前の襟元に隠されて居る白銀の輪舞曲が、又頃合い見計らって消えて行く事と成る。そんな事は嫌だろう?TVを見るより今の自分を見ろ、世間を見ろ、巷を見よ。此処へはガラスケースを通してしか入っては来れぬが、きっとお前の心中には又、涼風宛らの〝風〟が吹いて来るじゃろうて…」

 沢山独りで喋った後で、あいつはふっと消えた。調子の良い時にしか人は良文を書く事は出来ぬのだろうと、一々物を書いて居る時にその言葉尻で顔をちらちら覗かせ俺の体を連れ攫う稚拙な空虚が、止めどなく嘲って居る。

 さて、俺は一度家に帰宅してからコンビニの袋をテーブルに置き、何故か父母がもう居なくなった春の日の家に自身を落ち着け、又自活を図って居た。TVを付けて世間と身を繋ぎ、昔は沢山居たペットが今ではもう一匹も死んで居なく成って居る事を少々寂しいなんて思わせられながらも一つ、何か笑いの種に成る様な独自のエピソードを見付けようと躍起に成って、珈琲を入れる為の湯を沸かして居た。IHなので湯が沸く音は後から聞えて来る。今は、ビィ――…ンと電熱が薬缶に走る音だけがゆっくりと聞えて居り、日常の体裁を静かに見せ付けて居た。父親が飼って居る金魚が今この家に、三匹居る。どれもこれも(まるで)必要以上に大きく成り果て、金魚と言うよりは蘭鋳の勢いだ。水中の石の陰に身を隠す事も出来ずに〝此処迄大きく成ったから〟と自ず持った体力自慢を身に掲げて、餓鬼大将の様な身の上で唯泳いで居るのだ。春の陽が少々高く成り、炎天と迄は矢張り行かずにこの水槽が見えるダイニング・キッチンの窓からサッと差し込んで来て居た。俺はその時、しぃんとした家に唯一人だったので、〝これから何かぞくぞくわくわくする様な事が起ってくれるんじゃないのか〟と、少々興奮気味で急か急かそわそわして居た様だった。

 珈琲を沸かして居たのに俺はもう次の瞬間家の外へ出て、何か、ハローワークの様な、職に忙しい外の世界に身を置いて居た。所々が結託も無くケタケタ一頻り笑って居り、人が右往左往する中、俺もその〝ケタケタ〟の流れに身を任そうと拙くも躍起に成って居て、職探しに没頭して居る様だった。国立国会図書館の図書館員にどうすれば成れるのか、そればかりを算段して居り、手近に置いて在ったパソコンや書類(パンフレット含む)を手当たり次第に物色して自分の利益へ導こうと画策して居た。パンフレット、インターネットの記事を目前に、その記事の上に浮んだ空想と、自分の脳裏に浮んだ妄想の様なもの達を一旦纏めて〝架空の記事〟の様なものを自身で構築し、その内の文面に見た興味の在るものだけを輪を描いて組み立てて、その上で上手く人を説得出来れば成れると信じて居た様だった。記事を捜し、捜し当てたら改訂して、辻褄合わせをして居た。


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~輪舞曲(ロンド)~(『夢時代』より) 天川裕司 @tenkawayuji

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