~竜宮の使い~(『夢時代』より)

天川裕司

~竜宮の使い~(『夢時代』より)

~竜宮の使い~

 突拍子も無い不純に踊らされた悪魔の手先が俊敏成る葛藤を以て白日の下(もと)、我の目前へと立ち現れて、噴水に滴る七つの労苦を遠くに光った記憶へ宛がい、ヒュンと言って消えて居た。白い鼓動に走る我が線路は純金に見得る我が白刃(しらは)へと渡らせて行く学び舎とその老朽の数々を据え下(おろ)した儘の小鳥の声を聴き、狼煙を上げて、歪曲され始めた我が逃走経路の不純を順折り正して行き、遂には結託も果ても無い物憂い現実の眼(まなこ)が差した大口(くち)の内へ、尻込みした儘吸い込まれるのである。闇夜に浮んだ白い魔の手が新旧極まる陋屋から道を絆されては何時(いつ)見果てるとも知れぬ白い薄化粧を又細く斜交(はすか)いにして見せて、薄らと伸ばして行く感慨の一趣(いっしゅ)は借り物の身を投げ出した儘にて、人への考慮も見せない儘に繁々細く歩き尽す、遠方から成る煩悩の雨にも慌てふためくのだ。唯、硝子の光は、余りに人肌を着た、拙い武功の呈する軒先一間(のきさきひとま)の相愛(そうあい)に、誘いを散らされた和式の座面へその身を座らせ、一夏鳴いた孤独を呈する再考の穂先は未だ知れずにその身を嗄らせる…。薄手のブラウスを着て水溜りを跳んで避(よ)けた少女の無垢な純色(じゅんいろ)は、つい又躍起に成って次の空井戸(からいど)に歩を出す我が奇特の期した小町の羽色を強く伝えて、夕立の下(もと)、又父母に寄り添う人の天使が破滅を翳した。白光の掲げる天賦の使者とは俺の夢にも束の間消えて、束の間降り立ち、何時(いつ)観た事か、漸く織り成す群象(ぐんしょう)の体裁とはこの身に燃え立って、春の陽気を遮った蟋蟀の鳴き声は土に還った。滔々近付く白夜の朝は、一日の始まりを教えたのだ。俺の還りの様子を窺い、安息の円を以て空を切った烏はひらりと、マゾヒズムに在る紅を咥えた。何時(いつ)もの私服を着て遊覧して居た人人の表情(かお)を何時(いつ)観た事か、一度は棄てた感情を忙し気に拾い始める児(こども)の様に、光が消えると孤独も消えた。齢四、五才を称した、成人の群れは俺に出会(でくわ)して、真っ暗い道中をてくてくしとしと、仄(ほ)んのり泥濘(ぬかる)む足取りは微かに、痩せた頬に活気を灯らせた儘、身の周りの同調への一転に弱く頭を抱えてひゅっと降りて行った。それも束の間、竹藪の切れ端から一杯に炙り出て来た逢瀬の裸体がその目に鱗を付けて体を動かし、その動静を追えない俺は孤島に置かれた儘にて、苦労の数を密かに灯り(あか)を照らして、しっとりしっとり、数え切って居た。女が今でも俺の背中に付いては夢へ向かって、声高らかにして、心身を飾り地位を照らして、悉く人人の有臭と無臭とを散らした儘で儚い性を独歩の下(てい)へと果てさせて行った。自分で確かに書いた字が木の葉の裏で何かと交(まじ)って、冷め々々人知れず有耶無耶に消され始める原始の炎が瞬く間に燃え広がって、有史の国へと又照準を付けるようにして、女の藪は土に還った。孤独は足並みを揃えて軒先で見た朝日の灯篭の内に再びその身を深く燃やし、〝彼(か)の怨敵(おんてき)〟と愚痴を漏らして生きて行った。テーブルに着く筈の成人に満たない徒党の骸は密かにノベルを認(したた)めて行き、何時(いつ)迄見ても趣向に絶えない夢の限度は密かに安堵を講じて、無関の表情(かお)にて女神を射止める。夕闇に浮んだ母性につい又赤く灯って、限界を忘れた秋色の魔獣にその身を任せて行く。何処まで行けども、何処まで行っても、理想の流転は始まらない儘、弱い意識が空へ向かって、とうとう地上(ここ)で、その万能を留(とど)める為の人身への細工は微生を集めて、明日(あす)をカオスへと埋没させる破滅へ迄はつい手が届かずに唯、深い深海に光る竜宮の身元を洗い浚いに証明して行く。頃合い見計らう鉄人の檻が従順な呪文に依り開けられた後で自然の風に絆された誘惑は弱く作られた礼儀の在り処を又探し始めて、〝海底〟と名乗る使いの色に己を仕留めた。寒い寒い、真昼の頃に帳がふと転がされて行く頃、人の躰は自ずゲーム盤上の駒の様にぽつんぽつんと廻され始めて、時間を司るルーレットの歯は、モノクロに写した写真の中の古豪の故郷と、風圧に薄ら映った世間の夢と共に人の足を喰らい始めて行く。夢が空から下りた紫の層の様な物に吸い付く間も無く、横槍の様に又吹いて来た地上の突風が人の自由を奪って、人は誰を訪ねるでもなく逍遥を連ねて、やがては銀色の道標(みちしるべ)に示された波動の雲の上を、しっかりと、時折り急いで、まるで天へと昇る如く、気付けば着て居た長く白い羽衣の様な服の腰下のひらひらを横目で見送りながら、何時の間にか人の身体(からだ)は薄い灰色の雲の内からはっきりとした果ての見得ない青空に成った。

時間が過ぎたのか、一度月が見得た。月夜は愈々晴れて、やがて身近な朝が冴えつつ、俺の衣は何時(いつ)しかブラウスを逆手に着た様(よう)にして肌身を包んで返し、少々勝手の違う感触を肌に覚え始めた頃から俺の躰は段々天高い青空から又人人が蔓延って待ち受けて居る〝俗世〟へと下りて行って、嘗て空を飛び廻り、自由にその躍動を物にして名を馳せて居た天空の英雄から俺は一介の素人へと成り下がった様(よう)だった。まるで空気の断層を一枚ずつ隔てて、越えて、下降して行くようであり、モノクロの衣装を纏ったスーパーマンが更に巻き戻されて一般人の恰好へと成り行くあの様と類似していて、何物にも代え難かった万能の夢の実力が打ち消されるようで又俺は哀しくもあった。青空(せいくう)では何時(いつ)も快晴続きで滞る虚しさはその体をその処に射止められなかったのに、一段ずつ落ちて行く俺は自分の周りの空気を見る毎に、一新、一新、自分の心身共に自然に俗物へと移り変わるのを確認して居るかの様(よう)で、もう一度あの青空(せいくう)へと還りたかったのである。地上では必ず人間達が自分を待ち受けて居て、彼等の顔を、体臭を、気配を感じただけでも、一気に俺の正体は俗物と果てる、そんな思いを束の間に何回も数えつつ、俺は矢張り下降して行く。空から自分だけを照らしていた太陽の陽(ひ)は段々遠退いたまま次は代わりに水蒸気状の雲と呼ばれる物がこの身に降り掛かり、その水滴一つ一つが身に、衣服に付着する度に自分の俗物へと成り変わる物憂さにも似たもの哀しさをひたすら目の当たりにして居た。

仕方が無いかと少々虚無にこの身を縁取らせた処で途端に陽光はすっぽり雲に隠れて仕舞ったのか、あの強く黄金に輝く陽の光でさえも水蒸気の厚い断層の様な壁を突き通す事が出来ずに一度俺は完全に未知なるグレーゾーンの内へ埋没して居た。そして一度真っ暗闇の内に自分が在る事に気付いた後(のち)にもう一度目を開けて見ると日常の光景が差す弱い陽光が自分の周囲と下方から俺の全身を差して来て、一度も目を伏せる必要も無く、哀しい程に眩しさを感じる事は遂に出来ずに居た。弱い光がずうっと燦々照ってる日常の土壌は遂に出来上がった自分のテリトリーとばかりに俺を包み込み、後(あと)は知らん顔をしていた。

何も書けなかった深淵なる我が知らず内に何も掴めない透明の硝子ケースの内にこの心身(み)を貶めて居た。充分に掌(てのひら)で自分を転がした後(あと)に他人の眼(まなこ)が映した自身の創意を認める事が唯疎くて、始めから何も無かった様(よう)に態と日常の型に当て嵌めて詩を詠むようにして心を詠んで居た。それで気分を少しでも軽く出来るかと考えた為である。これは失敗ではなく明日を知らない自分を祝福する為の成人の成功を祈って成した一つの行程であって、最寄りの心を空高く上げて感情は静かに持ち、人の能力を最大にまで引き伸ばそうと夢中に成った挙句の業(わざ)である。誰に言われる迄も無く過去を断ち切る事を他人(ひと)から勧められた後、憔悴し切った我が音頭の響く向きを勝手に定めた荒行の様(よう)でもあり、見知らぬ我が故郷(ふるさと)の内で着の身着のまま物を書ければそれ良いのである、と数々の断層を越えた後の俺の体が言った事でもある。本文と借文との違いに到底気付けず、後(あと)に成って反省して見て恥が多い蓋をしたくなる程の文章ならばそれは上出来に在り、黒い縁に覆われた最新式のパソコンの内でも、何時(いつ)でも変らずオリジナルの規定が施されていれば良文の意味を呟く。忙しい筈の他人(ひと)との商いとは又、人の吐息を僅かに燻るものであり、一つの文章を如何こう変えても、マイナーチェンジでは如何にも成らぬ不動の相異が在る事は自然に生きる人として当り前の大事として在り、明日の苦労は明日の苦労と、未知なる盲筆(もうひつ)の範囲のベッドに明日も明後日もその次の日もずっと体を横たわらせて居てはそれ迄の労苦と効果はちょうど外方(あさって)の方向へ向いて二度とは返らぬ滑稽の照準を束ねて仕舞う。言葉巧みに強かなる儘に、自身を酔わせる文章の流れを貫いたとして、未だ見果てぬ苦行の効果はどうも他人の良文に見得る一と二を引いて来たようにも思わされ、気分宛らやがては己に還る才能の美学を一と決めて、行くは両手に、果ては束の間、才筆知らぬ文豪の手の幅に明日が来るのを今も見て居る。心が秋晴れの空より離れた一個人の優遇の機会は何時(いつ)迄も覆水盆に返らず、慌てた乞食の貰いは少ない、あの日に還る如くの衒いとはしょっ中、夢見る夢想花と化す。白百合の大原女(はらめ)が苦渋を啜って宿へ帰る頃、我の苦労も漸く燃え尽き孤独を知った。三行から成る人の人生への方向転換に見知った人の空路は、慇懃を醸した戦国武将の様な弾力の在る泡沫の言葉を持ち運び、現代と過去とを繋いだ綱渡りの庭を日照りが示したモンテスキューへと、古豪と武功は再度曇らす。俺は日照り続きと思った矢先に自身の庭を出た儘、連々(つらつら)はらはら、体が火照るまま走り出して、父親を連れて二人切りのK駅を歩いて居た。始めから何も目的の無かった人の庭を二人手を繋いで歩く姿は子供にさえ見得ない代物(もの)で、次の一手を講じる迄には俺も父親も遂に疲れ果てて居た様子で、一時(いっとき)の導(しるべ)を時間へ換えても、その渇きの様な夢の歩調は果(さ)きを知らずにいた。その日の二人の用事とは二人共が先ず銀行に用事が在った様子で、又二人共がその用を果たす為にと何か白紙に見得る書類を携え、ふとふと、てくてく、見知った銀行の前庭まで歩を進めたが偶然にもその日はその銀行の定休日であり、閉まったドアの向うで二人の人は頭(こうべ)を垂れて呆(ぼ)うっとして居り、後(あと)から辺りを過ぎて行く一人に事情を尋ねるとどうもその銀行は勝手な事情で店仕舞いして居た、との事だった。店側の都合で門を閉められた二人の男は、汗水垂らして此処まで来たのに落胆に生れた労を埋めろ、と在る事無い事呟いて居た様子で、ひっそり茂った人の吐息に、美味しく実った自分達の明日(あす)を早くも構築し始め、バスが行き通る目前のロータリーへと少々急ぎながら歩を進めて居るが俺の心は既に空を見て居た。その日はどの道二人共要る書類を手にして居らず門戸が開かれても究極の段に成って用事は果たせずに、暑い日照りの内をひそひそと、かたかたと、歩を合せて帰るしか無かったのである。

「ああ!今日はどの道あかんわ、仕方無いわなぁ。」と父親から勢い良く飛び出す様にして出て来た言葉は一旦空へ投げられてから俺の頭上、口、心中へと舞い戻って来た挙句に、一つの成長を見届けるが如くにこの青い空は小鳥をひゅうっと一匹飛ばして俺の心中にだけ映え、その後(あと)、跡形も無く消え去って行った。人の動きが散漫に緩慢に、ざっくばらんに早く、嘯く様(よう)に消えて行く。門戸は今でも固く閉ざされているのに何処かで習わしがひゅっとその表情(かお)を覗かせる様(よう)にしてオーラを付けて、又その後(あと)その付けたオーラの影響だけを残した儘で遠い彼方へ失せて行く。人人は知らずとも、俺だけはそのオーラの内実と動静の程と、一端の口を利きたがる迄に又成長するのであろう野心の程とを知って居り、手が痛くなるほど溺愛して来る蝶の群れが密かに夏の庭に咲いた俺の葦へ止(とま)った時には、人人は何処(いずこ)迄へも消されて行って、俺と親父はオーラが又一度は発散して来るであろう昏睡の意識に各々姿勢を正した。その銀行から近くの所に〝AMスリー〟という小さく赤く光って有名なコンビニ店が身を潜めて、どっしり構えた怒涛のオーラは何時(いつ)観ても人を寄せ付けている所謂人気を醸した儘で、そこには何故か男よりも女の姿が多く映って、滞る事無く、手鞠を突いた仄かな野望は又一度、俺の心の内へと体を潜めた。

赤く火照ったような人の脂を着せた退屈を親父が呟いた後(あと)、俺は同じく別の骸を着せた火照る躰を地に着けて、先ほど密かに二人して門の閉められてひっそり隠れる銀行から知らぬ間に当然に渡されて在った番号札は何時(いつ)の間にか開けられた銀行内の受付に渡して返し、すっかりと白い戸外に出て居た。その銀行内に束の間の感情と思い出を置き去って、少し未練の様な物まで憶えた俺の短気を尻目に二人の歩調は面白い様(よう)に外方(あさって)へ映え行き、暫く過ぎると、先ほど迄静かに懐かしく照り輝いていた夕暮れは傾くようにどす黒く雨模様と成り変わっていって、あっと言う間に夕立と成った。俺は唯自分の父親と二人して幸せに向かってそっと歩いて居ただけなのに、としてこの妙な天気の移り具合を全て父親の所為にして居た節が在り、如何にも止まない槍の様に身とバス停のビニール屋根を射て来る白い線雨(せんう)はまるで村雨の様(よう)にも連想されつつ中々止まず、遂に俺の心を射抜いて物凄い暴風雨と化して行ったのである。遠くには未(ま)だ紅い夕日が残っていた気もするが人は矢張り自ずと目前と足元の難儀に意識を向けるものであるらしく、唯濡れないようにと、雨合羽も無い人と人は、無いそこいらの止まり木を求めて彷徨い始めて居た。夕立時特有の突風も付け添えられて吹いて来た。辺りに在った小さな立て看板や赤いコーン、ロープが張られた工事現場に突き立てられていたシャベル等は序(ついで)の様に薙ぎ倒されて、道行く人人の足取りも覚束なくなる程、見れば見る程、感じれば感じる程、その突風はまるで雷鳴の様(よう)に蠢き廻って呑み込もうとし、店も駅構内も、そのロータリー全体をも、遂に風神に見放されたように成って神隠しにでも遭いそうなものと成って行った。観て居ると、見る見る内に強い突風は更に勢い溢れて、飛ばされぬ筈の人人迄もが簡単に吹き飛ばされそうに成り、雷鳴を聴く間もない程、人人の動向と恐怖への妄想、衝動の程とは激しく成って、何時(いつ)観ても人が空へ舞い上げられて飛んで行くその光景が浮かぶ程に、血みどろな気配を擁した暴風雨の音は色付き始めて一つの季節を過ぎ行く様(よう)だった。その内に雷さえ鳴り出して、黒い雲の厚さの向こうに文字通りに神様が居て、まるで一つの天使を空から下してくれたかの様(よう)に天変地異がこの世に巻き起こされたかと見紛う程の圧倒を、圧政の下(もと)に語り明かして来た様(よう)でもあった。又そのうち風がもっと酷く成って気圧の変化でも起きそうに錯覚されて、遠くに竜巻でも巻かれそうな淡く泥濘(ぬかる)んだ調子が地面に伝わり、俺はその波動の様な固さの上でふわふわ宙に浮いた様(よう)にも思われた。又竜巻は別に遠くにではなく、直ぐ身近で起きて、あんぐり開ける口が成長するのを肌と心に感じ取られる迄に人の内でも起きそうだったのである。

ビニール屋根や避雷針が俺と空との間を遮るようにして在っても俺は何時(いつ)も通りに良く光り続けるその雷鳴と、地響きとに怯えてしまい、良かった、懐かしかった、父親との夕暮れ時が、耳を澄まして自分達から遠ざかるのをふと感じた辺りで俺は直ぐさま身を翻して天候を立て直そうと試みて居たが叶わず、適当な逃げの態勢を醸して、何時(いつ)でも、一人でも、逃げられるようにと、手を懐へと隠した儘で父親の横を歩いて居た。父親はその様(よう)な俺の企み等には露も気付かずに唯真っ直ぐ前方(まえ)を見て進み、人人と体が打(ぶ)つかり合っても礼を失せず黙々と、自分のアジトの天候を平衡に保って居るようだった。そんな自分の父親の健気な立派なプライドの存在を目の当たりにしても俺は礑(はた)と横を見、前を見、ひたすら鳴り響く恐怖の雷鳴に必ず身を打たれて行く身の程と成り行き、自分の根差そうとして居た夕暮れへの羨望が台無しにされた事だけを呪う様(よう)にして頑なに成って行った。浮足立った人の羨望への眼(まなこ)の仔細は細く強い雨の一閃にさえ負けて仕舞ったようであり、人の活力を以て淡い骸を着せたお月様の下(もと)へ辿り着くのには、人の強欲は余りにも現実的で堅実的で、牙を剥き出した痩せた狼でも見知らぬ怒涛の夢を人に与え放っていた模様が在る。俺はそんな内で唯先に落雷を避けようとして屋根付きの道を行こうとするが何故か中々屋根下へは入れず、何処へ流れゆくのか知らぬ地面の雨水を避(よ)けるようにして向かった先はとにかく大きい建物の下、内、詰り駅構内かコンビニの内であった。そのまま白日が落ちて来そうに恐ろしく白色の浮いた天空には、自ず誰か守護神でも居りそうな位に活気が灯された冷たさで溢れ、真摯なる人の苦労の向かう先はふと、自ず又決定されていそうで俺は又つい夢中に成りつつも苛立っても居た。長靴も履かず何時(いつ)も電車の上と道の上とを歩いて来た俺の革靴は、自分の役割の無益の大(おお)さに日頃を忘れて目を見開いて闊歩させられて在り、唯俺は風よりも雨よりも、落雷こと雷を避(よ)ける為にと歩を速めて行った。

しかしそんな俺がずうっと横に居ても、何も恐れて居ない様(よう)に見得た父親は常に俺に歩く姿勢の模範を示すようにして歩きながら立って居り、暑い夕暮れの日を背にして、まるで俺が自分の近くまで辿り着くのを待って居るかのように恰好が好く、頼もしく見得た。だから俺は歩を速めて何処へ自分が行くのか父親から分らない様(よう)にして居てもふと足を止め、何度も父親が居るその夕日の下(もと)へ還ろうと手足を延ばし、夕暮れの当る空気を自分の界隈に探して居た。唯、又俺は、父親の跡(あと)に付いて行く事を密かに決めて居た節が在って、心中で父親の群象(ぐんしょう)に縋って謝り、鐘が鳴って遠くの丘まで皆で駆けて行く様(よう)に躍動が全身に閃いた後(のち)、俺の胸辺りはぞくぞくしていた。わくわくしていた。ふと見ると、赤い郵便ポストの蓋を開けて人が葉書を入れたと思えば次の瞬間配達屋が古いバイクに乗って来て次は大きい方の蓋を開けて人の葉書を総纏めにして手掴みで取り、見知らぬベージュ色した鞄へせっせと詰め込んで次の町へと又去って行った。その光景の一連を見た時にはもう雨は少し小降りに成っており、突風は荒々しく吹くのを止(や)めて、人は皆傘を差して歩いて居た。しかし未(ま)だ小さな風は突風を真似して吹いていたようで、幾人かが持つ人の大きさ程の傘は使い物に成らない様(よう)に成って行った。

俺はそんな中でも唯風よりも雨よりも、落雷に気を付けて当らぬように最良の注意を払い、何処かで拾った傘を持って歩く時には、傘を腰辺り程まで低く構えて差して歩いた。又ふと見ると父親の傘はそれ迄の強過ぎた風の所為でシートが裏側からへしゃげて仕舞って、中の骨組みが壊れた儘に、それでも未だ父親の手に凭れて輝彩(きさい)を放っていた。俺はそんな傘を手にして居る父親を茫然と見たまま何故か光が差した様(よう)なその父親の出で立ちに同じ血が呼ぶ安心を憶え、その父親の恰好を真似した。ずっとお日様が厚い雲の向こうに輝いている事を知っては居たが、妙な寒さで気が解(ほぐ)れたのか、そこに在った自分達の目的地迄の道程は自棄に長い物に感じられて居た。その辺りで目が覚めた。


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