#26 勝利宣言 ─side 祐宜─

 その日、美姫は俺が任せた仕事のために朝から一人で外出していた。本当は取引先に来てもらう予定にしていたが、事情で来れなくなってしまったらしい。心配はあったが美姫は上手く話すようになったので、俺よりスムーズに話が進むような気もしていた。隣にいないのは寂しかったが、周りからうるさく言われないので少しは静かに仕事ができるだろう。

 ──と思っていたが、一瞬の希望で終わってしまった。

「今日は一人なんやな」

 と総務部長がパソコンのモニター越しに覗いてきたし、

「あれ? 岩瀬さんに頼もうと思ってた仕事があるんやけど……堀辺君やっといてくれる?」

 と相談役も席の周りをうろうろしていた。

「今日は岩瀬さんおらんから寂しいんちゃうん?」

 いつの間にか美姫の席に座っていた奈津子はなぜか笑っていた。いったい何が嬉しいんだか、俺には分からなかった。本音を言うと寂しいが、それは言えない。

「何かご用でしょうか?」

「今日、岩瀬さんは戻ってくるん?」

「はい――そろそろ戻ると思いますよ」

 時刻は午後一時。美姫が出かけた場所はそれほど遠くないので、商談に二時間費やしたとしても十二時過ぎには戻る予定だった。けれど美姫はまだ、会社に戻っていない。

「今日こそ一緒にお昼食べようと思ってたのになぁ。いろいろ聞きたいこともあるし」

「……例の男の子の話ですか?」

「そうそう。何か聞いてる?」

「いや……」

 友人たちとの鍋の日に汐里も来ていたので、順調に交際しているという話はしていた。女三人で話していたので、俺はそれほど詳しくは聞いていない。忘年会のあとも一緒に過ごしたが、二人とも友人には連絡していない。

「今のとこ順調とは言ってたと思いますけど……俺もその、岩瀬さんの友達にこないだ会ったんで」

「ふぅん。まぁ、順調やったらええか。休憩行くわ」

 奈津子が出ていってから俺は仕事をしながら美姫の帰りを待っていたが、二時になっても彼女は戻らず、空腹にも耐えられなくなって食事に出かけた。

 遅くなってしまったので近所の喫茶店に行くと、肇の姿があった。彼は美姫のことが好きだったがフラれたようで、今は同期の咲凪と付き合っていると聞いた。彼の兄は俺の結婚を祝ってくれる予定にしているそうで──、肇に本当のことを話そうか迷ってしまう。

「佐倉、休憩か?」

「あ──堀辺さん、お疲れ様です」

 席に着くと店員が水を持ってきてくれて、俺は軽めのメニューを注文した。この辺りの喫茶店は仕事の休憩で入る男性が多いので軽食でも量は気持ち多めで、食後には珈琲か紅茶を出してくれる。ありがたいサービスではあるが、俺は絶対に美姫と行った〝大夢〟のほうが好きだ。

「堀辺さん、今日は遅いんですね」

「ああ……岩瀬さんが商談に出掛けて、帰ってくるの待ってたんやけど遅くてな」

「帰ってきたんですか?」

「いや……俺が出るときはまだやったわ」

 会社に連絡は来ていないし、スマホにも連絡は入っていなかった。外に出てから出掛けた方面の道を探してみたが、彼女の姿はなかった。

 届けられたピラフを食べながら、もう一度スマホを見た。ニュースアプリからの通知があるだけで、美姫からの連絡はない。

「岩瀬さんに任せたっていう仕事ですか? 忘年会のとき聞いたんですけど」

「そうそう。昼には戻る予定やったんやけどな……」

 言いながら再びスマホを見たが、美姫からの連絡はない。商談が長引いたか、電波が届かない場所にいるか、何かのトラブルに巻き込まれているのか。取引先からの連絡もないので、相手にはちゃんと会えているらしい。

「堀辺さん、最近……岩瀬さんと仲良くなりましたよね」

「まぁな……そのほうが仕事もしやすいしな」

「岩瀬さんが本社に来たとき、全然やったのに」

「ああ……そうやったな」

 美姫と付き合うようになってから、美姫はそれまでのことを全て話してくれた。俺には緊張して話せなかったのもあるが、俺が女性たちを避けているように見えていたらしい。

「僕あのとき、堀辺さんがわからん、ってだいぶ聞かされたんですよ」

「それは悪かったな……」

 美姫と話すようになってから、周りの雑談に巻き込まれることも増えた。俺と美姫の関係を疑う総務部長に引っ張られることが多いが、美姫と話しているときに入られることもある。そのおかげか、俺のことを〝冷たい〟と言う人はいなくなった。

「岩瀬さんって──堀辺さんの彼女じゃない、ですよね……?」

「え?」

 突然のことに言葉を失ってしまった。

「岩瀬さんに堀辺さんのこと聞いたらはぐらかされる、って咲凪が言ってて……でも、三年くらい付き合ってるって言ってたし、岩瀬さんも彼氏いたから」

「佐倉──あのな」

 俺は真剣な顔をして肇を見た。彼には本当のことを言っておいたほうが良いと思った。周りに本社の人間がいないことは確認済みだ。

「現状から言うと、婚約してる」

「──えええ? マジですか?」

 想定外の言葉だったようで、肇はしばらくぽかんと口を開けていた。

「え……いつから付き合ってるんですか? もしかして、僕が岩瀬さんにふられたとき既に?」

「いや、あのときは何もなかった。バーベキューからっていうのも事実やし。ここで三人で休憩したやろ? あの三日前から」

 美姫があの日、肇の隣に座ったのは正解だった。付き合う前までは肇とのほうが仲良かったし、向かい合ったおかげで合図を送ることもできた。店にはバイヤーたちもいたので、危険なことはしたくなかった。

「うわぁ……だから急に仲良くなったんですね」

「まぁ、それもあるな。でもその前に本音で話せるようになってたから、付き合ってなくても仲良くはなったと思うわ」

 美姫が俺のことを認めてくれていたのは予想外だった。バレンタインのこともあって嫌われている気はしていなかったが、それと信頼されるかは別だ。

「堀辺さんから告白したんですか?」

「そうやな。それまでほとんど話もしてなかったから、だいぶびっくりしてたけどな。正直に話したら、素直に応えてくれたわ」

 それがとても嬉しくて、あのとき思わず美姫の頭を撫でた。そのまま抱き寄せたかったが、店だったのでやめた。

「ちなみに堀辺さんは、いつから岩瀬さんのこと気になってたんですか?」

「──三年前。入社式のとき。美姫もそうやったらしいわ」

 それでも他の男と付き合ったり遠田を気にしたりしていたのは、俺と付き合えるとは思っていなかったかららしい。

「あっ、だから三年くらい付き合ってるって」

「そう。悪いな、佐倉のほうが先に美姫と仲良くなってたのにな」

「ほんまですよ……。でも岩瀬さんは年上が良いとは聞いてたし……堀辺さんやったら納得です」

 休憩時間が終わろうとしていたので、俺は肇の分も一緒に払って店を出た。美姫とのことを黙らせておく目的ではないが──、肇は絶対に言わないと約束してくれた。

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