#21 二枚の短冊 ─side 祐宜─
初めて美姫を見かけたのは、彼女がやってきた入社式の朝だった。これでも一応は人事部なので、新入社員たちと年齢が近いのもあって彼らの様子を見るように言われた。彼らは学生気分が抜けていないのか、社会人と呼ぶにはまだ早かった。
「堀辺君、佐倉君に〝誓い〟読んでもらうの確認しといて。あと、社章を受け取ってもらうのは……岩瀬さんで
山田部長から言われ、俺は肇を探しに行った。彼の兄が以前に本社で働いていたので、肇とも面識があった。兄のほうは少しクセがあったが──だから夢を追って転職していった──肇は人当たりのいい普通の青年だ。
全員の履歴書に目を通していたので、名前の順に座らせているのもあって美姫のことはすぐに分かった。写真では特に何も思わなかったが、本人を見て一目惚れしてしまった。肇と楽しそうに話すのを見ていると、彼に嫉妬してしまっていた。
彼らが研修している間はときどき様子を見ていたが、俺が美姫と話すことはなかった。特に用事がないことは分かっていたし、話せたところで彼女にどう思われているのかも、恋人がいるのかも知るのは怖かった。そんなうちに研修は終わり──、美姫は親会社へ出向に行ってしまった。
「なんか今日……ピリピリしてるなぁ?」
「疲れたときは甘いものが一番! 頑張れ、若大将」
もともとこの会社に期待はしていなかったので、給料を貰えるだけありがたいと思って仕事に専念していた。そんなうちに〝俺は冷たい〟という噂ができてしまい、本当に調子が悪いときは機嫌が悪いと思われるようになった。山田部長とはよく話したので本当の俺を知ってくれていたが、何の肩書きも付いていない俺を〝若大将〟と呼ぶのは納得いかなかった。
出向者には定期的に面談に行く、と言っていた部長たちがなかなか行かなかったのにも俺はモヤッとしていた。面談から帰ってきたあとの雑談で美姫の話を聞きたかったからだ。
「岩瀬さんって、こないだ入った子?」
本社の女性たちに、美姫の噂が入ってきていた。どうやら出向先店舗で彼氏ができたようで──、俺はまた顔がひきつるようになってしまった。出向者は例年、散々な目に遭って帰ってきているし俺もそうだったが、美姫は逆に楽しんでいるらしい。
これはもう彼女を手に入れるのは無理か──と思ったが、美姫は出向解除になって本社に異動してきた。事務を任せられる人材が他にいないらしい。
久々に会った美姫は相変わらず可愛かったが、学生気分はすっかり抜けてちゃんとした社会人に成長していた。さっそく彼女と話したかったが、やはり用事がない。大抵のことは部長や奈津子が先に教えていたし、俺も冷たいイメージが定着してしまっていたので今さら変えられなかった。美姫に改めて惚れたのもあって、
「おまえ彼女おらんやろ、嫁の友達で年上好きな子がおるから、来い」
友人・孝彦が結婚したあと、友人を招いてバーベキューをすると連絡があった。しかし俺は美姫のことを諦めきれず参加は見送ろうとしていた。もちろん、彼女とは相変わらず話せていないし、以前に聞いた彼氏とどうなったのかも知らない。
そんなとき事務所に七夕の笹を飾ることになって、既に飾られていた美姫の短冊を見つけた。〝彼氏ができますように〟と書いていた──ということは、例の彼氏とは終わっているらしい。バレンタインに彼女は俺の好みの物をくれたし、嬉しかったので俺も彼女だけ特別に返したが、あれは本命だったのだろうか。残念ながら肇には完全に義理だったようで彼は落ち込んでいたが──、それでも美姫と仲良く話すのは羨ましすぎて腹も立った。
美姫のことは好きなままだが、このままでは俺は独身で終わってしまう。孝彦の嫁の友人に、とりあえず会ってみようか。それがもし良い子なら、美姫のことを忘れて幸せになれるだろうか。少し遠い未来のことを想像して、俺は短冊に〝幸せな家庭を築けますように〟と書いて飾った。
願い事は紙に書くと、本当に叶うらしい。
バーベキューの日、俺は仕事が入ってしまったので少し遅れて桐野家に到着した。そしてそこにいた美姫に驚き──、孝彦が言っていた〝嫁の友達〟が美姫だったと知った。もちろん、その日は何も話せなかったし、数日後、美姫が和真と手を繋いでいるのを目撃し、また嫉妬してしまった。
しかしその一方で、俺は美姫との関係を変えられる自信があった。
山田部長が役定になって俺が昇格し、美姫が部下になることは既に決まっていた。美姫は驚いてはいたが、嫌だとは言わなかった。
「それで──、遠田とはどういう関係?」
聞いたときの俺は怖い顔をしていたと思う。美姫も徐々に表情が固くなって、言葉も反抗的になった。俺が上司になる、と思い出して謝ってはいたが、態度はあまり変わらなかった。
事務所ではいつも通りに過ごしていたが、俺と二人になるといつもすこし攻撃的だった。俺のことが嫌いになったのだろうか、それとも今まで会話がなかった分、勢いをつけないと話せないのだろうか。
美姫が本当は良い子なのは知っているし、俺の属性がストライクゾーンに入っていることも孝彦から聞いていた。性格はともかく外見も好印象だと信じていた──そうでなければバレンタインは、肇や他の奴らと同じ義理だったはずだ。
お酒が入った美姫はとても素直だった。俺から告白されるのは想定外だったようだが、やはりOKをもらえた。酔いが覚めても気持ちは変わらない、というより
会社では関係を隠すことにしていたので今まで通りにしていたが、周りに〝仲良くなった〟と言われるし、総務部長には関係を疑われた。バラしてしまっても問題はないが、肇がまだ美姫のことを好きそうにしていたし──引きずっているだけで次の候補は上がっていたらしい──、俺も美姫も、隠れて付き合う緊張を楽しんでいた。何より七夕の件があるので、バラすのは抵抗があった。
顔は毎日合わせているが、ろくに恋人らしい会話もしないまま一週間が過ぎた。それでも美姫は本当に俺を好きになってくれたようで、早すぎるプロポーズにも泣いて喜んでくれた。
「わかってるよな? 〝そのつもり〟で呼んだって」
美姫を抱くことは一週間前から予定していた。彼女も覚悟していたようだが、さすがに恥ずかしそうだったので電気は最初に消した。月明かりが照らす部屋の隅で、俺は美姫と肌を重ねた。
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