#15 朝の電話

 答えはずっと前から決まっていた。それを祐宜に伝えようとしたけれど、想いはすぐには言葉に出来なかった。今まで考えたこともなかったこの状況で、緊張したのか声が出てこない。

「──あ、の」

 やっと声は出たけれど、嬉しくて胸が締め付けられているのと喉が乾ききっているのとで、それ以上は続けられなかった。

「大丈夫か?」

 祐宜が一瞬ためらってから背中をさすってくれたお陰でなんとか落ち着いて、ようやく美姫はグラスを持ち上げた。お酒は溶けた氷で薄くなっていたけれど、喉を潤すにはちょうど良かった。

「びっくりさせたな……ごめんな。でも、俺は本気やから」

 他にもっと祐宜に似合う綺麗な人がいるだろうとか、美姫の元彼のことを知っているのかとか、聞きたいことはたくさんあったけれど。

 祐宜が本当に真剣な顔をしているので、美姫はあれこれ考えるのをやめた。思っていることを、素直に伝えようと思った。

「いま、すごく、嬉しいです。びっくりしたけど……私も最初から気になってて」

「最初って、どの最初?」

「入社式の日です」

「えっ、一緒?」

「好きになったのは、最近ですけど……あ──また──」

 今度は緊張したせいか、また息が苦しくなってしまった。祐宜は今度はためらわずに背中を擦ってくれて、それから美姫の頭を二・三回撫でた。この人となら、付き合っていけると思った。

 それから少し話したあと二人は店を出て駅に向かったけれど、美姫が帰宅できる最終の電車は既に発車してしまっていた。タクシーで帰るかどうしようか悩んだ結果、美姫はまだ電車で帰宅できる祐宜の部屋に泊まることになった。

 もちろん、何もしない、と彼には約束してもらったけれど、美姫は部屋に入る直前にも戸惑ってしまった。

「さすがに嫌やろ、そんな上司」

 玄関を開けて入ってから祐宜は笑った。

「うん。何かあったら山田部長に言う」

「それはやめてくれ、いや、良いんか……? いや、でも俺ら付き合ってんやからな?」

「はは……うん」

「だから──これくらいは良いやろ?」

 耳元で囁かれたと思うと、美姫は祐宜に抱きしめられていた。上からすっぽり包まれて、彼の胸元に顔を埋めた。ほんのり何かが鼻腔をくすぐって──美姫の好きな香水の香りだった。

「守ってやるからな。上司としても、男としても」

 その晩、美姫は祐宜と一緒に眠った。どちらからともなくキスはしたけれど、それ以上のことは何も起こらなかった。


 翌朝、二人でのんびりしていると美姫のスマホが鳴った。鳴り止まないので画面を見ると、和真からの電話だった。

「祐宜……どうしよう? 遠田さんから」

「は?」

 祐宜は嫌な顔をして、『出るな』と続けた。そして美姫からスマホを取って代わりに出た。スピーカーにはしなかったので、話の内容まではわからない。

「部下には直接電話を繋がん決まりなんやけどな?」

 それは会社で社長宛に知らない会社から電話がかかってきたとき、里美がいつも言っていることだ。

『え? 誰? ……もしかして、ベーちゃん? なんで? これ美姫ちゃんの番号じゃ』

「なんでって、そういうわけやから」

『どういうわけや? 確かベーちゃん、結婚するって言ってたけど』

「するけど。一緒にいて悪いか?」

『いや……ちょっと待て、まだ朝やぞ、もしかして昨日』

「うちに泊まったけど。一緒に寝た。問題あるか?」

『ありまくる! だいたい、美姫ちゃんにかけたのに、なんでおまえが出んねん』

「いま一緒にいるからな」

『だから、それは──おい、まさか結婚するのって』

「美姫以外にいないけど。じゃあな」

『あっ、こら、おい!』

 もちろん、和真の発言は美姫には聞こえていないので、その内容を知ったのはずっと後のこと──。

 祐宜は一方的に電話を終わらせて、美姫にスマホを返した。

「朝から暇な奴やな」

 言いながら祐宜はテーブルに頬杖をついた。朝食は済ませていたので、電話の間に美姫は二人分の珈琲を入れていた。

「何の用事やったん?」

「さあ。どうでもいい。デートの誘いか何かやろ」

「……いてる?」

「別に。何もなってないし」

「……うそつき」

 あんな男に美姫は渡さない、と顔に書いていた。もし美姫が電話に出ていても、和真からの誘いは確実に断った。おそらく本社では一番の男前の祐宜を置いて、どこにも行く気はなかった。昨日は突然のことに驚いてしまったけれど、彼に対しての感情はいつの間にか〝愛おしい〟に変わっていた。全てを知ったわけではないし、何がそうさせたのかも分からないけれど。

 ふわっ、と彼を抱きしめて頬擦りすると、祐宜は笑った。

「……よく出来た部下やな」

「どういたしまして」

「……今度の土曜、予定あるか?」

「来週? ううん」

「じゃあ、デートしよう。夜はうちに泊めてやる。……というか泊まれ」

「強制? ──分かった、予定しとく」

 しばらくデートの予定をたてて、お昼ごはんに美姫はチャーハンとスープを作った。時間があったので、晩ご飯のカレーとサラダも作って冷蔵庫に入れた。食材はほとんどなかったので、近くの店で簡単に買ってきた。

 本当は夜まで一緒に過ごしたかったけれど。晩ご飯まで一緒に食べたかったけれど。今日こそちゃんと眠りたいのと、翌日は友人と会う約束をしているのとで、美姫は夕方には家に帰ってきた。マンションの前まで送ってくれた祐宜は、〝会社では今まで通り仕事以外は話さないけど埋め合わせは必ずする〟と約束してくれた。


「そうかそうか、ベーちゃん頑張ったな」

 祐宜との一晩の出来事を話し終えると、孝彦は嬉しそうな顔をしていた。

 美姫は彩未と汐里の三人で遊びに行く予定にしていたけど、あいにく天気が雨だったので桐野家に変更になった。孝彦も休みで在宅だったので、一緒に話を聞いてもらった。

「自分のことみたいに嬉しいな。あいつとは付き合い長いからなぁ。もちろん結婚前提で?」

「それは、まだ何も……」

「あいつのことやから言ってないだけで、そのつもりやと思うけどな」

「そう、かな……」

 確かに彼は、結婚したい、という話はしていたけれど、美姫はまだ何も言われていない。まだ一日しか過ごしていないので急には言えないのかもしれないけれど。

「美姫も結婚したら、ますます寂しくなるなぁ……」

 汐里がぽつりと言った。

「あれ? 汐里って確か、元彼と縒り戻すとか言ってなかった?」

「うん。連絡は取ってたんやけど……やっぱ微妙かも」

「そっか……。でも、良い人いるって、絶対! 私が大丈夫やったんやから、汐里のほうが確実と思う!」

「──私と孝彦、美姫と堀辺さん……汐里、遠田さんは?」

 彩未はそんな提案をしたけれど。

「あいつはやめた方が良い」

「あの人はやめた方がいいかも」

「あんまりタイプじゃない……」

 三人同時に拒否をして、すぐに却下された和真。

「ここまで拒否される奴って、おらんよな」

 その頃、和真がものすごく盛大なくしゃみをしているとは、誰が心配することもなく……。

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