#11 繋いだ手
「おはようございます」
バーベキューの次の日、会社の自分の席へ向かう美姫の足取りはとても重かった。仕事は溜まっているけれど、週の始めの月曜日で憂鬱ではあるけれど、それは特に関係していない。
「おはよう。昨日は収穫あった?」
既に出勤していた奈津子が笑顔で聞いてきた。友人の家でバーベキューをすることも、男性陣との出会いに期待することも、以前に話していた。
「昨日……特になかったです……」
本当に、何もなかった。
男性陣は全員がまあまあ格好良かったけれど、孝彦がメンバーのグループLINEを作ってくれたので美姫はお礼の連絡をして全員を友達登録したけれど、本当にそれだけで終わってしまっている。
それどころか、祐宜からは連絡が一切ない。寝るまで待ってみたけれど既読すらつかず、朝になっても何も変わらなかった。
「まぁ、焦らんでも良いんちゃう? まだ若いし」
「焦りますよ……」
メンバーに祐宜がいたことは、話そうと思っていたけれど悩んだ末にやめた。
それから少しして祐宜が出勤してきた。彼はいつも通り挨拶しながら自分の席に着き、そのまま仕事を始めた。女性たちの雑談に混ざることもなく、美姫とすれ違ってバーベキューの話をすることもなかった。彼が美姫に放った言葉は、帰るときの挨拶だけだった。
バーベキューに参加していた和真からのLINEは、数日後の夜に受け取った。改めて先日の話題に触れていて、また集まりたいね、と続いていた。
『いろいろお世話になりました。楽しかったです。冬に鍋パとかしたいですね!』
短い気はしたけれど、特に何も言葉が浮かばなかったのでそれだけで送信した。
『鍋パ良いな! 楽しみ! それでは、今日は眠いのでもう寝ます……ベーちゃんによろしく。おやすみ』
『おやすみなさい』
眠い和真を気遣って返事はそれだけにした。本当は祐宜について触れようと思ったけれど。もしかすると眠いのは嘘なのでは、とも思ったけれど。
その機会は、次の日の夜にやってきた。
「美姫ちゃん?」
「──遠田さん! びっくりした! 仕事帰りですか?」
会社を出て駅へ向かう道で、和真にバッタリ会った。和真はスーツを着ていたので、すっかり日も暮れて風もあるけど、八月なのでやはり暑そうだ。
「俺もビックリしたわ。ちょうど美姫ちゃんのこと考えてて」
「え?」
「あ、いや……その……。話したいんやけど、時間ある?」
美姫は残業をせずに会社を出たので、頭の中は一応からっぽだ。一人暮らしをしているので、特に晩ご飯の支度もしていない。
「単刀直入に言うけど」
適当に選んだ居酒屋の個室で、美姫と和真は向かい合って座った。テーブルの上には運ばれたばかりのお通しとお酒が二人分だ。
美姫は和真の言葉を想像していた。『単刀直入に』というくらいなので、告白される気がした。
「美姫ちゃん、可愛いな」
「え? はい……あ、いえ……それは、ないです」
美姫の予想は少し外れた。そして、言っていることが逆だ。
「なんで? ほんまに可愛いのに」
「最初はみんなそう言うんです。名前のせいで……でも、みんな、すぐにいなくなるんです」
「たぶんそれ、そいつら求め過ぎてるんやわ。世の中の女はみんな男のためなら何でもすると思ってる。派手な女が増えたから」
「──私が地味ってことですか」
その言葉に、和真は慌てて首を横に振った。
「違う違う。少なくとも俺は、こないだちょっとしかなかったけど、美姫ちゃんに一番興味わいた」
美姫は返す言葉が分からなかった。照れ隠しに黙ってつくねを一つ食べると、和真は続けた。
「ほんまやで? ベーちゃんが羨ましいわ」
「べ……堀辺さんとは、ほとんど接点ないです」
「うん、知ってる。ベーちゃんに聞いた。それで美姫ちゃんは多分ベーちゃんが好きって、孝彦から聞いた。ベーちゃんがあんなんやから、近付き難いんやろ?」
美姫が祐宜に惹かれているのは間違いないけれど、どうすれば仲良くなるのか全く分からなかった。彩未には正直に話したので、孝彦にも伝えられたのだろう。
「もっと自信持ったら?」
「でも、堀辺さん……LINEに既読もついてないんですよ」
「あいつ、不精すぎるな。言っとくわ、美姫ちゃん怒ってるって」
ははは、と笑ってから美姫はグラスを持ち上げた。お酒にはあまり強くないので、甘いチューハイだ。
「冬の鍋パはベーちゃんの家やな。堀辺……祐宜・美姫夫妻やったりして」
「む、無理ですよ! まともに話したこともないのに、それは」
「予定でも良いで。どうしても無理って言うなら、このまま俺がお持ち帰りしたいくらいなんやけど」
和真はグラスを片手に美姫を見つめていた。
いつになるかわからない祐宜との関わりを待つよりも、和真を選ぶほうが確実かもしれない。彼の外見は嫌いではないし──そろそろ本当に、彼氏とデートしたい。
「ベーちゃんはいつも何考えてんのかわからんけど、良い奴やわ。俺より断然、大人。保証する。でも」
和真は持っていたグラスを置いた。
「俺にだって、美姫ちゃんを抱く権利はあると思うんやけど」
そんな権利いつできた、と考えてみたけれど、思い当たるものは何もない。和真とはバーベキューで初めて会って、会うのはまだ今日で二回目だ。
「はは、ごめん、こんなこと言って。ほんまはこんなこと言いたくて呼んだんじゃなくて……。ああ、でも、好きなのはほんまやで?」
和真は笑いながら再びお酒を飲んだ。言っていることのどこまでが本気なのか判断が難しいけれど、一緒にいてすごく楽だった。何でも話せる気がした。軽い男に見えるけれど、特に気にならなかった。
「前にベーちゃんがさ、結婚するって言ってたんやけど、ほんまなんかな?」
「……それたぶん、事実です」
本人から聞いたことはないけれど、七夕の短冊に書いてあった。
「でも、あいつ、確か彼女おらんのよなぁ。お見合いしたんかな? あ、ベーちゃんが無理やったら、俺と付き合ってよ?」
仮に美姫が祐宜に告白したとしても、彼には婚約者がいるようなので断られて終わる──。身近に恋人候補がいないのが辛くなって、美姫は唇を結んだ。目の前にいる和真は格好良いけれど、今のところ候補には上がっていない。
店を出て駅に着いても、美姫はまだ悲しいままだった。
「──えっ?」
「辛そうやから」
電車を待つホームで和真が手を繋いできた。突然のことに驚いたけれど、美姫はそのまま電車を待ち続けた。
「おまえ、遠田……? 何してんの?」
突然の声に振り返ると、仕事帰りと思われる祐宜がそこに立っていた。
「おう、ベーちゃん。たまたま美姫ちゃんと会ったから、飯食ってた」
「ふぅん……」
彼はそれ以上は何も言わず、ただ一点を見つめてから去っていってしまった。美姫と和真は手を繋いだまま、ただ遠くなる足音を聞いていた。
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