#09 七夕の願い事
「はぁ……」
「どうしたん? 岩瀬さん最近、ため息多いよな?」
「実は、友達が結婚したって聞いて……」
高校からの友人たちとは今もときどき連絡を取っていて、その一人・
美姫は相変わらず家と会社を往復する日々で、彼氏ができそうな気配は全くない。友人たちも似たような状況の人が多いので、紹介してもらいたくてもそもそも候補がいない。マッチングアプリに登録しようと思ったことはあるけれど、そこから結婚する人は増えているけれど美姫はまだ怖い。結婚相談所に登録するのは、お金がかかるので最後の手段にしたい。
「最初に彼氏できたのは私やったのに……」
「それは残念やったな。……まだ彼氏いてないん?」
「はい……」
「それなら、願い事に書いたら? 七夕の」
七夕の季節には毎年、店舗の目立つところに笹が飾られているのを美姫は見ていた。従業員が先に書いて飾り、あとから客にも書いてもらっていた。本社でも小ぶりな笹を飾っているらしい。
「岩瀬さん、何色にする?」
総務部長がどこかから笹を持ってきて、その笹の隣で里美が飾りつけをしていた。美姫も奈津子に連れられて短冊をもらいに行った。
「ピンクで良いんちゃう? 彼氏ほしいんやろ? はい」
「私に選ぶ権利は……?」
「ないで。早く書き」
里美からピンク色の短冊を渡され、願い事も他に思い付かなかったので素直に〝彼氏ができますように〟と書いた。
「ちゃんと名前も書いときや」
「ええ……」
美姫は戸惑ってから名前を書き、あまり目立たないところに自分で飾ろうとした──けれど。
「待って、それ貸して」
「え? なんですか?」
「貸し。んー……やっぱ、赤かな」
「えっ、ちょっと、何書いてるんですか?」
美姫が預けた短冊には、既にたくさんのハートマークが書かれてしまっていた。書いた里美は笑いながら、短冊を目立つところに飾った。
「えええ……すごい目立ってるじゃないですか……」
「これくらいせな、届けへんかもしれんやん。はは!」
短冊は他にも飾られていたけれど、まだ数は少なかったので美姫のがいちばん目立ってしまっていた。笹の前を初めて通る人はほとんど全員、美姫のほうを笑いながら見ていた。
「それ、落書きしたのは私じゃないですよ」
「めちゃくちゃいっぱいハート書かれてるやん」
「飾ろうとしたら、勝手に書かれたんです……」
美姫が書いた日に休んでいたバイヤーは、『犯人は……』と呟きながら里美のほうを見た。里美は美姫とバイヤーの会話を聞いていたようで、既に笑っていた。
「川原さん、だいぶ遊んでるよなぁ」
「うん。岩瀬さん若いから気にせんでも、すぐできるって」
「システムの佐倉君はどうなん? まぁまぁ格好良いやん?」
奈津子もやって来て肇を勧めてきたけれど。
「前……告白されたけど、断りました」
「ええっ? なんで?」
「悪くはないんですけど……今までの彼氏が年上ばっかやったから、同い年の人はあんまり……」
「ふぅん……。堀辺君は?」
奈津子は最後の言葉は声を小さくして言った。
「あの人は──、謎が多すぎて、今のとこ無いです」
「そうやな……。良い人やとは思うけどな」
事務所には独身男性は他にもいるけれど、その誰もが美姫の恋人候補にはならなかった。性格がダメだったり。外見が──申し訳ないけれどイマイチだったり。年齢があまりにも上だったり。
六月に入ってからようやく本社全員の短冊が飾られたので、美姫は改めて奈津子と一緒に眺めていた。
「男の人ら、会社のこと書いてるの多いなぁ」
一番上に飾られているのは、社長が書いた〝業績アップ〟を願う短冊だ。給料アップや家内安全を願うものも多く、女性たちで多いのは〝夫の給料アップ〟だ。
「ははっ、山田部長〝血糖値が下がりますように〟やって」
健康診断でも毎年のように引っ掛かっているようで、バレンタインに渡すチョコレートも糖質控えめのものにしようと女性たちで決めた。
「あっ、山田部長、今年も引っ掛かったんですか?」
「うん。もう無理やわ、この年で下がらん」
部長は言いながら席に戻り、机の引き出しから菓子パンを出して食べ始めた。血糖値を下げるつもりは、特にないらしい。
「ん? あれ? あそこ、何て書いてる? 目悪いから見えへん」
奈津子は目を細めながら少し見にくい場所にある短冊を指差し、美姫に読ませた。
「……幸せな家庭を築けますように。──堀辺さん」
「えっ? ──あの人……結婚するん?」
「そう、みたいですね……」
「彼女いてるとか、聞いたことないよな?」
「はい……」
まず本人から直接聞いた人は誰もいないし、肇からもそんな話は聞いたことがない。肇はときどき祐宜とプライベートの話をするらしいけれど、恋人の話は全くないらしい。
「堀辺君、結婚するん?」
いつの間にか席に戻っていた祐宜に、隣の山田部長が聞いた。
「……まぁ、まだ決まってないですけど」
「ふぅん。決まったら教えてや」
「堀辺のそんな話、初めて聞くけどな」
会話に加わったのは、祐宜の向かいに座る総務部長だ。
「そうですね。俺も初めてしますよ」
初めて聞く祐宜のプライベートの話を、おそらく女性たちは全員が聞いていた。視線はパソコンの画面を見つめて仕事をしているように見えるけれど、奈津子はちらちらと彼のほうを気にしていたし、美姫も彼に近いほうの耳を大きくしていた。
少しでも彼のことが何か分かるか、と期待したけれど、話はそこで終わってしまった。部長二人はいろいろ聞こうとしていたけれど、細かいことは今は言わない、と突っぱねられていた。
「もうちょっと言ってくれても良いのにな」
仕事が終わった帰り道、美姫は途中まで肇と一緒に帰った。さきほど聞いたばかりの祐宜の話をしてみたけれど、やはり肇もそんな話は聞いていないらしい。
「やっぱ、仕事とプライベートは別にしたいんかな」
「でも、仕事関係ない話もすることあるんやろ?」
「あるけど……僕が相談乗ってもらうくらいやからなぁ」
祐宜が結婚することは、個人の問題なので美姫には関係ないけれど。
(じゃあ、あれは何やったんやろう?)
ホワイトデーに彼がくれたものの意味が分からなくなった。既に彼女がいて義理だったのなら、美姫にも他の女性たちと同じもので良かったはずだ。美姫が渡したものがよっぽど嬉しくて、それでも今の関係はそのままにしておきたかったのか。考えれば考えるほど、祐宜のことが分からなくなった。
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